panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

懐かしい顔

  前にも云ったが、我輩の中学前後はベトナム戦争たけなわで、北爆のニュースは登校前のお決まりだった。ないとさびしいくらいだった(投書しないように)。アホな中学生がグエン・カオキだのグエン・バンチューだの(アメリカ側ヴェトナム人)の名前を覚え込んで、はや幾年月。ようやく大量のヴェトナム人が生きて動いているところにやってきた。とくに彼らが見たかったわけではない。私にとってヴェトナム戦争は、縁遠い国際政治学の教科書の1ページに過ぎない。が、偶然来て、見てみると、やはりカオキ風がたくさんいる、ということがなぜか嬉しい。なつかしい。
  チェコビールを飲ませるビアホールというところに行ったら、となりでいい表情をしている白いワイシャツ姿は、カオキそのものだ。しばしば横目で眺める。白い歯を出して、にこやかに笑っている。立派な人物なのではなかろうか。引き込まれそうな笑い顔だ。73に分けた長めのあくまでも黒い髪が、私のなかのヴェトナム人そのものである。あー、なつかしい。でも彼とは勿論、初めてなのだ。
  でもなつかしい。カオキもバンチューも、腐敗のあげくに陥落した南ヴェトナムの高官だった。カオキはアメリカで貿易商として成功したが、かつて麻薬取引のうわさもあったはず。とくにバンチュー(伴忠太ではない。ってあたりまえか)はその元締めだったのでは。つまり悪い奴らではあるのだ。それにしても、今から思うと、田舎の中学生がはじめて知る異国としてのアジアの顔が彼らであったわけで、肝心のホーチミンはあまり記憶にないが、資本主義側だったからかNHKが重点的に紹介した南ヴェトナム政府の軍人や政治家の名前は他にもいろいろ思いだせる。そして、その筆頭であるカオキ君が横にいる。ナオキではない。ま、高官のなかではいい顔だと思ったのである。カオキは、しかし、ホーチミン市内のどこにもいた。あれもこれも。典型的なキン族(ヴェトナム人)の顔だったのだ。その結果、思いがけず、町を歩くと、友あり遠方より(こちらが)来たる、の気分になるのであった。
  植民地の鬼であるフランスから徹底的に搾取され、戦後も植民地復活を、しかも欧米全体の合意の下に(ひどぐね、白人!)実行されたヴェトナムである。その点について難しいことは山ほどあって詳細は知らない。ただ、私にとっては、ヴェトナム人の清冽な浅黒い細長い顔は、そういうこともあって、タイ人よりはずっと好ましい、好きな顔だということに気づいた。しつこく追いすがるヴェトナム人あり、悠然と微笑むヴェトナム人あり。いろいろあったが、知的な層の奥深さは、タイのかなわぬものではないかという気分で帰ってきた。ま、気分で云ってるだけだが。でも次では、町の中心部に、ジョニー・デップの映画のような知的佇まい(たたずまい)があったことを報告する。あーーーーーーーーー、また疲れたじゃないかあああ。ブログは健康に悪い。
  チェコビールはややきつい感じのビールだった。その店。この左横にカオキがいる。