panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

荘厳なるかな雨のアンコールワット

  天は我を見守っていた。頼むから見放してくれ!と八甲田山状に叫んでも天は聞こえない、わけはない。聞いているのである。しかし天は我輩をレインマンと定めたもうた。そのため、必ず肝心のときは、どうも子分らしい雨が我輩を祝福してくれるのである。ありがとう、その深情け。けっ。、、、失礼。(これって同じ風に前に書いたかも)
  2時半にホテルを出発したとき、空は完全に晴れていた。晴天。シエムからアンコールまでの道はホテル・メリディアンを最後に、そこから長い一本道のアプローチになっている。ワグナーのバイロイトも長いアプローチとなる道、つまり参道があると思うが、アンコールもそうだ。わかりにくいか。東照宮日光街道だといえばいいのか。これが結構長く、いいのである。期待が高まり、日常から切断される。ところが午後、晴天からも切断されてしまったのであった。ホテルから20分しないうちにである。サングラスをしていたんだからねえ、貸切ハイヤーに乗った時は。ふん。、、、失礼、アンコール(=再び)。
  アンコールワットの西口=正面に辿りつき、ここテレビでみたなあと思った広場で、だんだん雨が降り出した。その後の2時間、細々降り注ぐ雨のなか、わがアンコールワット経験は遂行された。しかし、それはよくなかったのだろうか。、、、そうともいえないのである。雨模様のなかで見るワットは、映画で悪霊が出てくるときに見る、黒雲流れる異様な緊張感に包まれることになったからである。かくて、アンコールワットはまことに荘厳であった。この一語に尽きる。これほど荘厳な建物、荘厳な瞬間、荘厳な怖れがあっただろうか。石化した我輩の頭はそれに匹敵する経験を覚えていないのである。ま、いぐね?老化!。
  何なのか。この雰囲気。周りは午前中の他のツアー連中だらけだ。そう、これがツアーの基本だからだ。しかしそんな雑音は気にならない。中国人の大笑いも、韓国人の雄叫びも、関西人のただの関西弁も、あらゆるものはなりをひそめ、アンコールワットだけが厳粛に存在している。ようやく厳粛音痴の我輩も、アンコールワットの何たるか、その片鱗に触れたと思う。ぜひ、関心のない方はとくに、シェムリアップに足を運んでいただきたい。言葉にならないのだが。何だろう、この圧倒的な厳かさは。
  ・・・じゃ、食事行ってきまーす。って、おい、どこに厳粛さの反映が?。でも夜の観光カンボジア民族ショーをキャンセルしたので、何か食べないと。カンボジアは涼しいのである。ずっと。体を温めないとということで、休んだのである。でもタイよりどこ行っても涼しんだけど、、、。やっぱり厳粛音痴?。いや、照れてるのである。アンコールワットはどことも違う感じなのだ。午前のアンコールトムとも。恐るべき例外がアンコールワットなのだった。・・・我輩と似てるともいえる。怖ろしくない例外、かわいい例外が我輩である。ってたんなる例外かあ。