panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

郊外バンテアイ・スレイ遺跡を見る------道すがらの農村風景が同じほど印象的

  7人(3カップル+我輩)のミニバスに昨日から乗っている。お値段が安い。今日は4時間近い郊外遺跡探訪。一人だけ食事なしで12時に終わり、ホテルに戻る。昼食はタイ料理なのだ。残念ながら敬遠しかない。ホテルからちょっと散歩がてら出て、といっても15秒でシエム中心地。またショップを見る。日本のNGOなんかの店がある。カンボジアの観光者物価が結構するので、買うか決めかねる。
  さて昨夜は、アンコールワットの後、また山に登ってサンセットを見ようと、階段をよじ登った。あー、こわ!(でもこれ、定番なのだ。定番しかしていないともいえるが、皆よくやるなあ)。天は天邪鬼だ。案の定、雲が立ち込め、やはりダメ。2夜連続、天よりの過保護に泣く。ま、いいだろう。夕食は、プノンペンの方のメールにもあったアプサラ・ダンスショー。舞台の伝統芸能を眺めながらバイキングである。こういうのは久しぶりだ。10年とはいわないが、何かうれしい。相当広い劇場が満席。白人も多いが、お、同朋もいるいる。たくさんいる。我輩は6人テーブルの誕生日席にちょこっと座り、同乗の若い方々とビールを飲む。偶然にも保険と医療関係である。実に完備してるんでね?。怪我して診てもらい看護までされ後から保険請求だ。そしたら我輩はクレーム係か。カンボジアで電話と旅行社以外で初めて日本語を話す喜び。でもタイ以外の旅行では、結構しゃべってるなあ。一人謎の闖入者であったが、迷惑をかけたかもしれない。写真もたくさんとったが、顔などは掲載しないのがブログの原則。ご安心願いたい。
  そして今朝のバンテアイ・スレイ。道々、3つほど遺構=廃墟を見て回る。どれも面白い。ガイド付きだからか。でも何度も急階段を登るので、足ががくがく笑っている。アンコールも3日目。筋肉痛なのだ。汗もよく出る。遺構もさることながら、ずっと続く農村の高床式家屋が印象的で、眠たくても眠れない。ブーフーウーのように、藁屋根の家、木の家、レンガの家。さらにはもっと立派な家と、高床式にもいろいろあって、金持ちと貧困者がはっきりわかる。幹線ではないので、今でもジャングルで暮らす人々的なテレビ番組に登場しそうな家並みもある。
  しかし悲壮感はない。テレビで眺めると、かなり深刻な気持ちになるのだが、そうやって周りも暮らしているのだ。これが何百年もしてきた暮らし方なのだから、旧来方式が踏襲されているというだけなのだろう、、、か。まずはこの辺で。昼ご飯を食べないと。土手鍋の伝統料理がある。今食べるか、最後の夜にとっとくか。あー、卑小な問題であった。すまん。

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  食事に出たら、さっき別れたばかりのうち4人がブルーパンプキンでお茶している。早速寄って行き、あまつさえ5番目のイスを引っ張ってきて座る。また、一人誕生日席である。さらには写真をとり、、、しかもブログに乗せていいと云うので、かくして出すのであった。下を見よ。たまには、ブログも華やかにしないといけませんなあ。
  なお、昼ゴハンは、クメール・アモックにした。アモックも伝統料理。川魚をいろんな香辛料で和え炒めバナナの葉っぱで包んだもので、かなりいける。夜、イタリアンにする必要はなかったんだなあ。でも気づいてよかった。ハッピーアワーはビールが0.5ドル(42,3円)。バンコクの10分の1?。アンコールビールの生。よく合う。山のようにカフェがあるので、選ぶのは苦労だが、楽しくもある。一月いても行きたい店全部に行けるか分からない。そのくらい差別化を知らない東南アジア的状態で店が並んでいるのだ。しかも合わせて、3.25ドル。安い。これでは白人の貧乏根性に火がつくだろう。長逗留になるはずだ。が、これは現地の人にはかなり高いのだ。一軍の白人と日本人には目に見えないが、二軍ベンチの現地人がカフェにいたためしがない。いるとすると、綺麗な女性か、成り上がりの有力者みたいな男だ。一度この類型が一緒に食事しているところに遭遇したが、男はステーキをボリボリ食っていた。はじめてメニューにステーキがあるのを知った。指は金だらけ。腫瘍ではない。金である。ってどんな連想?