panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

悲しき熱帯より我帰還

  もう遅い。日本時間ではもう21日になろうとする。形だけ整えるべく書く。とうとうトンレサップ湖は見れず(まったく)、シエムとプノンペンの沿線の民家を6時間かけて眺め直し、外国人からは搾取しようというカンボの浅ましい姿を空港で体験し(25ドルの空港使用料。し、知らなかった。あ、成田はもっとかあ。おがしぐね?)、飛行機は10分遅れて出発しながら10分早く到着する(賞味50分)という離れ業も見せてもらい、試しにとマッカサン駅で降りて、死ぬほどタクシーが来ないのも味わい(いくら何でも。もう開通してるんだから、どうやってこのターミナル駅から帰るのか。タイ人は上から下まで、やっぱり、バカだ)、ともあれ帰りつく。
  カンボジアは笑顔づくしであった。子供地獄(後日解説)の子供から、バイタクの大人まで。微笑まないのにその呼称を僭称しているタイ。カンボは、まったくくらべものにならない味わいある世界であった。短期間、行ったからでもあろうが、これがまた、近代化の推進とともに、タイ化するわけだ。19世紀後半、もっとも健康な笑いを笑っていたのは日本人だからね。その日本人が、昔の微笑を求めて、かつては地球の一部とも思っていなかったカンボのようなディープ・アジアまでいったんだから。って我輩である。でも、貧しさは極まっていて、大半の民家に電線が通じていないのが分かったのは、3時間くらいバスに揺られた後だった。想像を絶する夜が待ってるんだなあ。