panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

アジアにはアジアもない


  今回幹線沿いではあるが、貧しい人々の暮らしを垣間見て、もうこれ以上の貧しさを見る必要はないのではないかと思った。理由は長くなるので書けないが(実は書いて消してしまった。パソコンの反乱。でももう一度書く気力はない。長く面倒な議論なのだ)、ともあれ、アジアは我輩の中では、微笑を含めて、(いろいろな形での)貧困と結び付いてこそのアジアなので、アジア滞在の意義はあったとしたい。逆にいうと、もうアジアにいる意味はない。意義が生じたことが意味の喪失を招くのは当然ではある。よかったといえるし、よくなかったともいえる。でも終わったことは終わった。
  アジアはかつてはヨーロッパを凌ぐ文明圏だった(でも膨大な貧困と表裏一体であったのだからそれを文明というのも気が引ける)。それが16世紀を境に逆転するのは何故か。これが近代とは何か(という社会科学最大の問い)に答える最良の視点ではないかと考えて、アジアや遠い過去の歴史、東西の交渉などに、はじめて真剣に取り組むことになった。それまでの我輩のアジア嫌いは一部では有名だったのである。テーマにアジアをとりあげる学生には辛辣だった。なぜかというと、アジアは簡単に解ける社会科学の問題だと思ったからだ。近代や近代の終わりに際して、なぜ遅れて近代化しようというアジアを扱うのか。これは安易な態度だ。解答はもう出ていて、それを各国にあてはめて答えるのは知的怠慢だと。
  でもどうなんだろう。やはり近代の持つ一定の普遍的要素は、圧倒的なのではないか。アジアがアジアであるのは、やはりその普遍的要素を欠くからで、欠如態としてしかアジアが存立できないなら、アジアはやはり個々の近代化国家として分散的に扱われるべきものではないのか。
  いいかえると、アジアはやはり近代化によって駆逐されていくのではないか。白人が何と思おうと、日本がもうアジアではないように。アジアの貧困はおいそれとはなくならないだろうが、早晩、カンボジアもタイとなり、タイはまったく日本となるだろう。違いは残るとしても、あえて100歳の我輩がもう一度来て滞在するようなことにはならないのではないかと思う。日本の慢心した大人がよくいう、日本より20年遅れているという云い方はまったく不愉快だし、こんなに20年前の日本が遅れていたのかと云い返してやりたい思いがするが、でも、やはり軌道は同じ近代化であって、同一軌道上のローカルな違いがかろうじてアジアの風物を成り立たせ、観光の目玉にするだけのことではなろうか。
  アジアらしさを求めてもどうしようもないのは、アジアの人びと自身がアジアでないことを願うからである。アジアのままでは、この貧困や混乱を解決できないのだから。中国を見よ。あれは、つまり最近の中国の対外政策は、清朝末期の崩壊のプロセスと同じだ。中国なるものにこだわるから、ああなるのだ。大中国すら政治を近代化しなくてはならない事は必然である。日本だってそうしてきたんだから。・・・かくして我輩も、内なるアジアの最後を見届けた感じである。カンボジアの経費のかかった旅もよしとしなければならない。節約しよっと。木刀、いや黙祷。
  子供地獄とは観光地でわんさか裸足の子供たちが群がって、買ってくれと叫ぶことである。我輩も一度根負けして、笛を買った。誰か欲しい方は?。1ドルだけど。その子がこれ。カントリー・ギャル。妹を抱えている。弟ではない。

  なお、交通事故の車。何となくさまになってるんじゃね?。最初は気づかなかった。水浴かなって。