panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ザ・ファイナル・デスティネーション------リスク社会論の教科書

  タイ語放送はニュースをちょっと見て洪水かと思って、後から日本のタイ語を解する人に北部で水が出ていると聞いて確認するので、ほとんど分かってないに等しい。結局、日本語放送以外には、英語の映画をみることが多い。うちのチャネルではMaxというのとHBOというのが主だ。Maxはヴェトでもカンボでもやっていた。日本でもあったかも。最近繰返しやってる映画が表題の『最終到着点』というアメリカ映画。
  これが面白い。大半の読者には関心がないかと思うが、ドイツ人社会学者がいいだしたリスク社会論を忠実に映画にしたようなもので、日常に潜む様々な危険が洗い出されている。たとえば南国の天井でゆっくり回っている扇風機。あれって何だか不安定で怖いよね。かつてそういうのがある国から来た人に聞いたことがあるくらいで、我輩は昔から、あれはいつ落ちても不思議はないと思ってきた。他にもエレベーターで紐がはさまって怪我をするとか、実は文明を成り立たせているいろんな装置=文明の利器はただちに凶器に変ずる潜在的リスクをもっている。映画ではもっと徹底的で残酷な殺し方がいっぱい紹介されるのだが、要するに、自然災害ではなく、人工的災害あるいは2次的人災が我々の快適な都市的生活の新たな、主なリスクを形成する。そういう社会の問題を論じるのがリスク社会論だが、トースターから電動くぎ打ち機、草刈り機から美容室のサービスまで、そういう危険なしには現代生活は成り立たない。心配症には大変な環境のなかにいるわけだ。ま、我輩は適当な心配症なので日常生活は送れているが、いったん気になれば、これほど怖いことはない。映画も大変怖い。首の切断はバイク事故ではよくあるというが、バイクなしには東南アジアは生活できないのでもあり、、、。
  ここにはまだリスクはないようだ。何を煮るのか、大鍋が人力で運ばれていく。ヘルメットではない。ちょっと大きいと思う。これが自分が煮られてしまえば、リスクなのか。でもちょっと文明の利器というには、、、。