panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

YouTubeで聴くピアノ------とうとう禁じ手を打つ

  やらないつもりだったのだが、昨夜とうとうユーチューブで、モーツァルトとバッハを聴いた。
  12月の謎の・・・人の豪華絢爛カラオケ室開店に備え(ソイ26の3階にできるのである。分かるのはバンコク在住者だけだし、、いいか)、楽曲の復習をしていたのである。ま、我輩が出る幕ではないが、万一に備え念のため。我輩はそれを見届けて帰国するのである。思案橋ブルース、長崎ブルース、ソエモン町ブルースから、大阪の女、東京ブルースと昭和3,40年代の歌の記憶を確かめ、やはり、もう一度逢いたいが矢代亜紀先生唯一の傑作だと考えた。なかに、波のむこうはまた波ばかりの片想い、という台詞があって、意味は不明だが(どういうこと?)、何だか日本語の曖昧な抒情(どの言語も曖昧ではあるが)にマッチした、考えつきにくい一節だなあと思うのであった。多岐川由美先生の酸っぱい経験や野際陽子先生の非情のライセンスアイ・ジョージ先生の硝子のジョニーなども思い出し(あ、伊藤咲子先生の乙女のワルツを忘れていた)、ちょと気を許して、バッハと入れてみたのである。4字だし、簡単だから。
  かくして、ずっとクラシックのピアノを聴くことになった。久しぶりなので、嬉しい。今もブログの後ろで、というか目の前でアルゲリッチが弾いている。ショパン生誕200年をアジアで過ごすのは勇気がいった。バンコクでは何一つショパンを思わせるものはなく、ヴェトナムのテレビ以外でショパンに遭遇したこともない。バンコクには、そもそも書店だけでなく、CDショップもあまりない。大都会バンコクで一番ないのは知性と教養なのだ。外見は西欧文化の植民地みたいになっているのに、その文化的精髄を想起させるものはほとんどない。死ねよ、ドラゴン。
  しかしプノンペンでは大人の男が真剣に文具屋でボールペンを選んでいた。ヴェトナムでは昼間から頭のよさそうな男たちが何人も本の立ち読みをしていた。でもそういう場面はバンコクでは経験したことはない。バンコクは完全にグローバル資本主義に組み込まれた商業都市なのである。本屋や文具屋で過ごす時間は経済的損失なのだろう。遅れたカンボとヴェトでは労働生産性が低いので、こういうことになるのだと、経済学者なら云うのだろうが。でも、それだけではない。知性が生産効率に負けてしまうほどのレヴェルの文化的伝統だということではなかろうか。日本のサラリーマンは、それでも世界的には、本を読む種族なのである。そこには厚い文化的蓄積や記憶が作用しているはずだ。比べることすら、おこがましい。噴飯ものだと最近は思うのである。・・・今日はタイ関係のブログが少ない理由について述べました。
  バルトーク3番のピアコン、第2楽章。
http://www.youtube.com/watch?v=zsMIuNgVVPg&feature=related
  モニヴォン通りの文具店。国際書房でない方。いくつか買い、スーツケースはたわんだ。