panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

水筒、漏斗、ダストシュート、そして、、、------日本にないわけではないが、目にすることは少ない

(プロンポン駅からエンポリ方面。左がエンポリアム、右がクイーンズパークホテル)
  朝にブログを書き、時間があれば夜にも書くわけだが、水が完全に切れていたので今朝は補給に降りた。6リットルのプラスティックボトルがタイでは大量の水の場合の運搬の基本で、これには頭に持ち手がついている。弱そうで弱くない。このボトルがうちのコンドでは11バーツで満タンになる。政府は市販のミネラルウォーターの値段が高すぎるとクレームをつけているのだが、なるほどそうだ。エンポリアムのフードコートではミネラルウォータが500ミリ15バーツ。かなりバカらしい値段だが、タイ飯には水がつきものなので買ってしまう。それでどうにか満腹になる。という意味では水は食事の一部なのだ。この点が日本と違う。日本では一部ではないからタダなんだろう。ま、水道水だから。バンコクでタダの水は日系の食堂くらいしか出ない。我輩はたまにダカラの小瓶に補給してエンポリにいっているが、あのサイズで一回分ぴったりだ。貧乏臭いと思うせいか、とりだす態度が卑屈になるのが難点だ。水筒を使っているタイ人もいる。我輩も一度買おうと思ったが、持ち運びにはダカラが最適だと気づいた。だから。って。
  水は一度に6リットル瓶を2,3個補給している家庭もある。というか、このコンドミニアムにはかなりの日本人と白人が住んでいて、そのうち結構タイ人の若い女性が一緒のケースがある。いわゆるそういうことである。したがって補給にいそしんでいるのはタイ人なのだが、6リットルは普通には供せない大きさなので、小分けにしているはず。我輩もさっき小分けした。1.5リットル瓶に移しかえるのである。そのためのジョウゴも買った。漏斗と書くあのジョウゴだ。日本でも昔は醤油を母が漏斗で移し替えていたのを覚えているが、あまり使うことはないだろう。こちらは頻繁だ。すぐなくなるからね。水は。
  水筒だの漏斗だの、もう日本では普通の大人がかかわりあうことのなくなった品物に出あうのは、不思議な懐かしさがある。水筒を前に昼飯の弁当を食べていた大学の先生を見かけたことがある。学部の図書室だから、学生立ち入り禁止、つまり院生の頃だ。何十年もたつのに忘れないのはなぜだろう。古式ゆかしいなあと思い、半分呆れ、かつ半分うらやましかったのか。育ちのよい大人子供のような先生だった。覚えているのは何か複雑な感情を覚えたからだろう。我輩にも複雑な感情の頃があったのである。笑えるなあ。ほほほ。他方、バンコクで漏斗を買うときは結構時間をかけた。大きさがいろいろで、小ぶりな愛らしさをとるか、大ぶりの実用性をとるか。結局中間くらいの半透明のものにした。これは持って帰るかな。愛着がわいた。でも家にもある。が、マイ漏斗としてこのチンピラみたいな軽さがいいと思う。
  ゴミのダストシュートというのか、ゴミは各階から下に落とす式だから、非常に楽だ。前にも書いたと思う。東京にも昔高級マンションか何かではやったことがあるような記憶があるが、日本の衛生観念には馴染まなかったろう。一般化してないものね。でもアメリカはこうだみたいな昔の記憶のなかでは、嬉しいものの一つ。
  最後に、今日のタイ気、つまり大気をあげておこう。爽やかだ。建物の影にいるかぎり日本の最高の秋だ。天気はよく、風がそよぎ、そして心もち寒いくらい。これだからこの暑さ殺人事件的環境でもタイ人は過ごせるわけか。この季節を一年間待って暮らしているんだろう。やはり乾期っていうのは、こういう一日の始まりがあるというだけでも、経験するに値する。
  内容のないわりに今日のは長く、時間も過ぎた。これが瓶仲間である。

  タマ大の帰りはここからバスで帰る。ここまで歩いては疲弊するのだが、カオサン通りはこのすぐ後ろである。秋めいた空気がわかるだろうか。

  秋の夜長という言葉もタイにはある、、、のか。我輩は赤ワインは飲まない。