panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

行かなかった、見なかった、勝たなかった


(うちの南東側のビル建設も来たときから見ると、さまになってきた)
  来月のアパートの支払いは終わった。いつもお互いに半理解な英語でやり取りするので、終わった後は不全感が残る。あれで白人と意思疎通できているのか。それとも我輩に問、、、。この調子でいくと、帰国数日前にネットが使えなくなってしまう。そこでこのブログも終わりか。あるいは書けなかった分を日本でアップして、大団円なのか。
  それにしても、伝え聞くところでは、華人ばかりではなく、家人も跋扈状態で、我輩のいないわが世の春を日本で謳歌しているらしい。殊勝にも早めの便を予約した我輩の無償の人類愛は、無残にも打ち砕かれた状態である。ち、ちき、、、チキンカツ!。・・・あまり早く帰っては人々の期待を裏切ることになるのか。ふーーーん。ここが思案橋ですなあ。 
  さて昨夜は、あるところでなかなか激しい攻防戦を眺めることになった。タイでは一瞬一瞬がドラマである。詳細は控えるが、一昨日の晩も、我輩がビールを勝手に飲んでアパートに帰った後に、さらに劇的展開が進行したらしい。病院まで出てくるから書けない。我輩はその頃ブラタモリを見ていたのである。東京上野もなかなかなと思っていた頃、事件は生じた。華人、家人、タイ人。皆さん、それぞれ燃焼してますなあ。我輩だけか、ガイドブック読んで、空想---タモリ式には妄想---旅行でまどろんでるのは。思えば、生涯、動きのない人生であった。
  かつてシーザーは云った。来た、見た、勝った。我輩は、行かなかった、見なかった、勝ちもしなかった、と墓に彫り込むことになるのか。あ、○○家の墓となってるな、うちの墓は。彫り込めない。さあて、皆さん方の記憶に彫り込んでいただくしかない。生涯唯一の動きがこのバンコク生活であったかもしれない。・・・でもまたユーチューブで各種クラシック音楽をお気に入り化して大変な数になってきたわけで、日本はもう始まったかもしれない。うーーーん。
  エンポリではお粥しかたべるものがない。