panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

第2日目始まりは強烈な太陽と乾いた風------おまけに砂土ぼこり。而(しか)して・・・


(卵が旨いので、ブロイラーは発明者の名前なのかと思ったりした朝)
  さて自力救済をモットーに70年。やはりタラート・サオ市場から普通のバスでブッダーパークに行ってきます。途中、博物館に寄り、できればスイカジュースを飲んで。ただ、何もない朝食なんだが、卵が今日もよくて、腹一杯になってしまうもどかしさ。写真を掲載。10時出発です。

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  自力救済して帰ってまいりました。4時40分。簡単に今日のおさらい。まず、国立博物館はものの3分。ホテルのすぐ横だから。10時45分にはそこを出たから、2階建ての割にはよく見たことになる。面白かった。バンコクのより規模は小さいが。でも途中から共産党による独立闘争に切り替わるから、毛先生、レーニン先生、ホーチミン先生その他ラオスの左翼英雄たちの活動がメインとなる。フロント(前衛、前線)という言葉が頻出である。ほぼラオス史に無知であったことが露呈する。復習しておこう。それからプラプラ歩く。
  ラオ・プラザ・ホテルというのが一番のホテルのようで中心に立っているが、それが博物館のさらに東の横(私は西から東へ行く人)。旅行社が入っている。バスの案内でも聞くかと思ったが、サンダルでは格式が違い過ぎる。しかしそこは紳士な私である。どかどか入って情報を集めた。意外なことに我輩が泊まるルアンプラバンのホテルのパンフレットがある。意外は言葉の綾。実はラオスに来る直前、歩き方以外のガイドブックで、そのホテル周辺がレストランだの華やかな一帯だということが分かっていたのである。ホテルの名前が出ていたからね。ふふふ。こんな立派な旅行社でも扱っているわけで、ズバリ、いぐね?。でもなぜ安い?。まずいんでね?。他方、ヴィエンチャンではデイインホテルのパンフもあるではないか。むふふ。正義は買って兜の尾を締め上げよう。
  さてその旅行社では、バスはお取り扱いしておりませんと云われ(なんか恥ずかしくね?しかもこれからバス乗り場へ行く身には)、ほー、そうですかあ、と鷹揚に答え、追うように(追われるように)出てきた。ぷー氏が泊まったことで歴史的ホテルと化した伝説のデイインはすぐそこ。よく見ると、その旅行社の置いてるパンフは大半プラザホテルの近所のものだった。いかさまじゃね?。ま、ヴィエンチャンの中心だから。腹は一杯。かくしてデイインを素通りして、北側の道をずっと東に歩く。これが、昨日行き損ねたタラート・サオ市場に直結し、そしてその横にバスステーションがあるのだった。実に昨日的じゃなく、機能的にできてる。
  途中には中央郵便局もある。早速、葉書2通出してみる。思い出せる住所は2つしかない。家と実家だ。減退する記憶力。そこのお姉さんが大変親切で切手も自分で貼ってくれる。これは初めての経験。舞い上がる。た、単純だが、仕方ない。嬉しいんだから。葉書は2000K(今後はキープの略)、切手は8000K。20円と80円ね。桁を何とかしてほしい。郵便局はタラ−ト・サオ市場の真向かい。だからバスステーションもすぐなのであった。でも郵便局の周りはウェスタン・ユニオンだのDHLだのEMSだのが密集している。負けないのか、ラオ・ポスタル・サーヴィスは。
  あ、あ、あ、また消えた。ブッダパーク行ったとこまで書いたのに。ち、ちき、、、今日はチキンソテーで。