panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ブッダ・パークという想像力

  さてラオスで一番思い出すのは、今のところ、バッハの2台のピアノのための協奏曲かもしれない。来る直前にユーチューブで発見したのである。ヴェデルニコフリヒテルと協演=饗宴しているのを。リヒテルはたくさん持っているが、今一つよさが分からない。しかしとうとう最後まで不遇だったヴェデルニコフは間違いなく完璧な天才だった。少年時代日本にいたことが理由で両親は殺害され(たと思うが)、本人も晩年まで外国に出ることができなかったことは前に書いたのでは。二人が共演して不思議はないが、この演奏のテンポはどうだ。ソ連時代のロシア・ピアニズムはバッハやモーツァルトを練習曲だと思っていた節がある。そのため弾く時は指の練習に圧倒的なテンポで弾く。ところが今はこのテンポが主流だ。何十年か早かったのである。だからグールドがあのテンポでソ連を席巻した時、息も継げないそのテンポは、ソ連人ピアニストには決して衝撃ではなかったかもしれない。
  http://www.youtube.com/watch?v=8xXspgdoD74&feature=related
  しかしラオスを歩きつつ、あるいはバスの中で外を見ながら、頭の中で鳴っているこの曲のテンポは、どうしてもこの通りとはならない。やはりこれは自然でないか、我輩の音楽的能力を上回っている。もどかしいが、もどかしながら、ぼんやりすると、また鳴っている。メコン沿いの貧しいラオスの民家が目に入るのを意識しながら、頭の中ではバッハが渦巻くのであった。・・・じゃ、食事。今日はラオス料理に挑みます。

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  ラープその他に挑戦して帰ってきた。ビアラーオも旨い。昨日は体調が万全ではなかったのかも。今夜は旨かった。でもそこの女将みたいなのがゴウツクババア風であった。店員は愛想がいいのに。あれでは人はあまり帰まい。となりが賑やかだった。
  さて消えた続きを書くのは気が重い。とにかくブッダ・パークに行ったのである。ブッダ仏陀ブッダである。つまりもともと寺院である。というか今もそうかも。にしては、まったく型破りだ。
  でも行くまでがやはり我輩の場合は重要である。バスはミニバス。つまりマイクロバス。やはり5000Kだが、30人以上も乗ってたのでは。何人かは立っていた。ちょっと油断していて、バス本体のことは考えていなかった。ヴェトで懲りていたのに。見て驚く迂闊さ。汚いし、臭いもする。でも座れたし、日本人は名誉白人だし。って訴えられるか。窓は全開。風を防ぐためサングラス。でもまったく暑くはない。この季節はインドシナの天国かも。しかも席を譲り合うので、実に麗しい。見返りを求めない。感謝もあっさりしているか、ないくらいだ。我輩は名誉白人なので座りっぱなしである。ふふふ。ほんとは、どこで降りるかびくびくしているわけで。でも運転手が降ろしてくれた。
  首都ヴィエンチャンから1時間。もしかしてビルマに来たかもといった何もないところ、それがブッダパークだ。バスは昨日やってきた国際友好橋方面に戻って、そこからメコン沿いに走っていく。砂とか砂利の置き場になっているらしく粉塵がすごい。
 また消えてる。力が弱いんだね、ここの無線ラン。また明日ですね。