panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

赤十字病院のサウナで迎える華のルアンパバンの夕方


(夕暮れるすいか寺)
  しなければらないこと、1.LPで有名な朝の托鉢僧へのタンブン(お布施というか食料供給)。LPでは疲れて寝ると早めに目が覚めて、6時くらいに一番睡魔が襲う。いやあ、まずい。残るは2回。明日と明後日。
  2.懸案のボートだが、パクセーにも支店のある珍しい日系旅行会社と電話するも、ラオ人で今一つ要領を得ない。こんな会話を自分もアメリカ人としているんだろうなと思うだけに、真剣にフォローするのだが、要するに、国境でもう一泊すればボートでも行けるということだった。30万K。せいぜい20万じゃないかなあ。でも相場だろうから、行くことにした。・・・その場合、タイに入るまでに2泊必要であることになる!。つまり9日だけでなく、10日も。国際電話でタイのホテルに一泊ずつ、づらすよう説得してもらい、11,12日にタイに泊まり13日に帰ることにした。もうこうなったら飛行機かなあ。タイ移動は。ぎりぎりだから。9,10日とさらに我輩はラオスで過ごす。やー、ラオス北部は交通の赤点地帯である。これがアジアなのか。なんだなあ。思えば、アジア移動は、ちょっち、苦しい。・・・後でそのラオ人社員と実際に話すと、実に流暢な日本語で、いろいろ便宜をはかってくれた。でも日本に行ったことがないのは、いつでもそうだが、驚く。ありがたかった。
  で話のついでに、観光値段でいうと、コーラも商店で5000Kなのだ。ちょうど20バーツ換算。だから1万Kが40バーツ。でも20バーツのコーラ缶って、タイでもない。タイだと15か17バーツだったんではないかなあ。なぜ経済力の圧倒的に劣る、物価の安いはずのこの国で、普通の商店が20バーツの値をつけるんだろう(観光者はカフェでだからもっと高い値段)。日本からあるいはアメリカから来たらまったく気づかないだろうけど、バカ高いと思う。観光値段としてもカンボをしのぐ。これではタイの物価である。これでいいのか。我輩は概略、タイにいると思えばいいだけではあるが、釈然としない。・・・でも繰返すが、観光者にはそういう値段だから文句云っても、、、。って、やっぱ観光だとは本人、つまり我輩は思っていないということだなあ。皆さんにはたんに観光だと思われるだろうが。でもだったら、埃を探って歩くなんてしないわけで、、、。
  だからといって、誤解されたくないんだが、ラオスが嫌いかといえば、ふふふ、この国を嫌いになるのは実は容易ではない。まず子供がかわいい。アジアの子供はどこもかわいいが、ここは特別、愛らしい。ギュッと抱きしめたいくらい琴線に触れる。貧しいだけではないだろう。何か似てるのである。我輩たちに。とくに少数民族は、年取った連中でも、あいつじゃね?みたいな近しさを感じる。日本人で、おじさんにラオス人に似た人がいない人の方が、珍しいと思う。昔の日本人を彷彿とさせるので、ハッとして昔の記憶がよみがえることがある。大きな声で話す田舎者のラオス人も、あの口角泡を飛ばして話していた、不遇だった知的なオジにそっくりだ。唾が食べ物に入るので一緒に食事すると、我輩が全然食べれなくなるという、いわくつきのオジに。懐かしい。
  このホテルは中心からずれているが、周りには一番古い寺、すいか寺とガイドブックに出ている寺があり、向かいには、歩き方には完全に省略されている赤十字病院がある。ってこれが?。しかもこれはマッサージとサウナで地元民の憩いになっているらしい。1万K払って入った。1.5×2メートル見当のサウナ室は薬草でもうもうとして周りが見えない。6時前から入って7時前に出た。4回入室し、汗だくになって出た。そのまま乾燥させ、薬草の成分が浸透するのを待つのがこっちのやり方で、インディアン料理後の今もシャワーは浴びていない。何かいいのである。フランス人が男性3人来ていたが、大半地元民で男女は別々のサウナだが、出てくるのは一緒のデッキで、そこでおそらく成分一緒の薬草茶を飲みかわし、薄いこちらの布(バスタオル大)1枚で触れあってきた。オープンエアなのに蚊はいない。常時、線香状の匂いがするから、何かを焚いてるのであろう。でもいないことはいない。なぜバンコクが蚊なのか。目黒のさんまなのか。って意味不明。
  テレビもそのデッキにあり、皆、適当な姿勢で、布一枚で見ている。料理とクイズが終わると、6時になり、な、何とタイ国歌が流れるではないか。そう、これはタイの番組だったのだ。言葉が識別できなくて。でもそれを誰もが真剣に見ていたのだとすると、違いは、、、。恐るべし、ラオ=タイ族。やはり同じ民族だったんだなあ。我輩は京都弁の番組が理解できないのに。ってたんに京都が嫌いなだけでね?。ふふふ。好きなんだよ、理解できないだけで。もほほ。
  かくして第3夜は過ぎていく。明日は起きるぞー。・・・ワット・セーンの境内で。