panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

なぜ学校は校舎をこえて我々を縛るのか−−−ラジオ体操はミシェル・フーコー的対象である。

  
  水曜。曇り。夕方は暑苦しい。午前はまだ許せるかもしれない風吹く亜熱帯。
  こういう掲示をみると、小学校時代の苦い夏の思い出につながる。なぜ休みなのに、普段以上に早く起きて、体を動かさなければならないのか。
  首にかけた何だか紙ッ切れにスタンプをもらうため、泣き泣き(ちょっと大げさだが)校庭とかその辺の広場に朝靄のなか駆け込むのであるが、思い出すだに腹立たしい。
  学校に休みはない。休みは休みではないからである。大学でも夏休みは夏期研究休暇と呼ぶのである。・・・ふん。近代日本の学校こそ、間違いなく、我々の家庭と日常生活を駄目にした最大の元凶だと思う。これは経験的確信である。信仰といってもよい。誰が何といおうと、これだけはゆずれない。が、値段次第では、、、という問題ではない。
  土日もなく、6時半と写真にはある。土日もなく、6時半、、、。親も子供も虚しい体操で心身ともに朝から疲労するのが常だった。そして集団も集合も嫌いな小学生は、ラジオ体操の期間が終わるころになってようやく解放感を味わったものだったが、北国の夏休みはすぐ終わる。本州とは比較にならないくらい短いのであった。しかも何だ、このお友達って。何度も何度も(って2度だが)。あまりにマイルドだぜ・・・小梅太夫的絶叫!