panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

盆栽の宇宙誌

  
  日曜。夜。10時。
  一段落ついたが、頭が働かない。ちょっと整理。
  (1)盆栽についてはこのロルフ・スタンの1985年の本(せりか書房)が出発点。ここでベトナムのホンノンボの説明がある。ちなみに私詩人、じゃなくて私自身がこの本を知ったのは、宮田珠己『東南アジア四次元日記』旅行人、1997年による。

  でもベトナムに実際に行くと、どこにもあるから注意深い人は気づくと思う。我輩の場合も現地で知って後から文献的に確認した。いろんな陶製のおもちゃを置くわけだが、ハノイが本場のようである。バッチャン焼きはすぐそばにある。でも個人的な経験ではホーチミンのほうがたくさんいいものがあったように思う。かなり大きなものが多かった。薄汚いものも多く、そこに可愛らしい東屋や仙人がいて釣りなんかをしているのが可笑しかった。・・・ん、可笑しいと書いて、おかしいと読むのか。可笑可笑。
  (2)フィリピンについてであるが、アンダーソンの新著はちょっと読めない。彼は自分の方法を「政治の天文学」と自称している。フィリピンのナショナリズムキューバ独立運動、ヨーロッパのアナーキズムを19世紀末の同時代性において捉えようとすると、そうした叙述のスタイルが生まれるというのだが、知識の不足もあってちょっち歯が立たない、、、ぞ、と。圧倒的な知識量である。これは日本ですべてきちんと理解できる人がいるのだろうか。相当に誤記(?)が多いという印象もある。・・・ちょっと行くだけのフィリピンのためには、これは明らかに荷が重い。大きなツヅラには、、、。
  (3)大学受験の地理の教科書と参考書を買ってきて、東南アジアの総まとめをしている。この程度の知識でも社会科学者一般には知らないということが多い、ということを悟る。日本史を捨てて地理で社会を大学受験した、文科系としては相当の変則というか手抜き学生であった(前にも書いたが、他に地理をとった文系の学生を知らない)私もほとんどを忘れている。もともと地理的視点からする巨視的な把握は好きだし得意でもあるのだが、あるいは地理学が非常に進歩したのかもしれない。ボーゼン自室、いや茫然自失(ちなみに世界史は十分すぎるほど勉強した。国立は社会は2科目とるわけで)。