panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

天国とぬるい地獄


  帰宅後、5時に夢中!火曜日編を録画でみる。今日は岡本ナツキと井森美幸。二人のやりとりと司会のふかわりょうは天国的な世界を幻術かのごとく生み出していた。もともと今日は天国的な日であったわけで、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)で一日を終わりそうである。ちなみにモツ君、戴冠式(26番)を聴取中(写真)。めでたさのなかのコンチェルト。・・・しかしなぜこれが学生時代、とても好きだったのだろうか。
  他方で、北国で考えていたのは、東南アジアは、もう我輩の中では、天国であることをやめたのである、ということであった。そもそも家人たちは誰ももう一生アジアには行かなくていいとかいっているし、近辺に、妻帯者になったものは出るし、勤務地の一つがアジアであるのに悲しいことにそれが中国で、出張のたびに鳥インフルと戦っているような人々しかいなくなったというのも大きいが、天国的日本から地獄といっては何だが、たまには、暑い、苦しい、騙されるは、切ないは、といったところに出かける楽しみというのもあるなあという風に思うようになったことが、ある。それは東南アジアでしょ。
  ということなのであるが。一段また東南アジアに関する認識が高まったというか、元の木阿弥というか。ふふふ。人生、一歩先は闇でござんすねえ。
  決死の地獄はごめんだが、ぬるい地獄という概念があって、人にはいえないような、いってしまえば笑われそうな、きわどい刹那の地獄。すなわち東南アジア。