panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

高田純次のあとのバーンスタイン

  今日は夕方、カレーをつくりながら、高田純次の『適当日記』を読み、『適当伝説』(DVD)を見ていたのだが、夜、自室でバーンスタインウィーンフィルマーラーの1番をユーチューブでたまたま眺めていたら、ふらちにも、二人が似ていることに気づいた。
  性格や才能ではない。いうまでもなく。才能は甲乙つけがたい感じもするが。顔が似ているのである。そのため、バーンスタインが深刻な顔で腕を振り上げるたびに、笑みが浮かぶのである。我輩の温厚な顔にも。ふふふ。
  あ、皇太子殿下がテレビに出てきたときの家人たちの態度と同じではないか。とととととととととととととととととと、とんでもなかあ!

ぼたもち、一個に減る。

  ストラヴィンスキーのプルチネルラは、彼が古典回帰した代表作で、ペルゴレージの作品を現代化したものとして有名である。NHK・FMのクラシック番組のテーマ曲でもあったから、知ってる人は多いだろう。http://www.youtube.com/watch?v=X4KYuhfag5I&list=PLCDE1347A748F1A80
  しかし26歳でなくなったスター、ペルゴレージの作品ではなく、別の人の作曲であることも今では比較的知られている(ストラヴィンスキーペルゴレージだと思っていた)。しかし原曲を聴いたことは、我輩はなかった。
  今日とうとうどこか外国から到着したのがその原曲。外国に注文した覚えはないのだが、届いたのはアメリカからだった。しかも中古のはずなのに、新品だった。まずいことをしたのだろうか。ともあれ、作曲家はドメニコ・ガッロGalloというイタリアの18世紀の人で、あまり知られていない。でもこのCDは演奏もいいし、録音もいい。
  そして何よりも、ストラヴィンスキーの編曲がまったく原曲そのものだということである。むしろ原曲の方がうまいように思える。というか、大変な名盤である。写真を掲載できなくて残念だが、一瞬にして心が空高く舞うような高揚感。
  一方、居間のテーブルの上にあるぼたもちは今日一個に減ったが、それは我輩が仕方なく食べたせいである。まだ、一個残っている。明日になったら腐っているかもしれない。
  プルチネルラに免じて、許してやってもいいが、くくくくくやしい。
  なお、原曲はバイオリン2丁、チェロ1丁、ハープシコード1台である。18世紀前半というのはヨーロッパ音楽の頂点だった。ドイツにはバッハがいて、イタリアは一群のカストラート・オペラの作曲家たちがいた。ベト君(人名。ドイツ人。東南おおアジアの国の人の意味ではない)がいないほうが、ヨーロッパ音楽は死期を延ばせたのではないかとすら思う。
  それにしても、彼岸は明日までである。ぼたもちはどうなるのかと思うと、プルチネルラなんかどうでもいいか。ん、プルチネルラがあるのだから、ぼたもちはどうでもいい、、、か。

個人的な秋、個人的には雨となる。そして、ぼたもちは相変わらず2個残っており、、、

  どうしたことであろうか。我輩がたまわった恩賜(おんし)のぼたもちが、今朝、起きてみると、まだ居間のテーブルの上に存在している。存在してはいるが、内容的には、硬化も進み、食べるにはチンしないといけない状態となっているはずだ。いかんせんこの無視?我輩の東南おおアジア雑貨と同じ運命をたどるのであろうか。ふん。
  今日も自宅謹慎である。雨だし。途中少々時間を使って外出はするのであるが。個人的な用である。そもそも秋の我輩の仕事のローテーションは、大変申し訳ないが、週一回、月曜日のみなのである。ま、いたいけな我輩の脆弱な体調を考えると(これをソエ〇化と呼びたい)、週一度の仕事中でもイスの上で休まないといけないわけだが。うーん。なんと衰えたものか。
  昨日は『劣化国家』『韓流時代劇と朝鮮史の真実』(宮脇淳子、扶桑社)を読了。大体。朝鮮史については宮脇のいろいろな本を既に読んでいるので再確認することが大半だが、朝鮮半島に生まれなくてよかったとつくづく思う。日本の貢献は莫大なものがあるが(彼らが自力で近代化できたとは思えない)、一切感謝されないどころか、文句ばかりいわれるのにはもう政府ぐるみで反撃しないと。商店も本屋もまるでなかった李氏朝鮮の糞尿まみれのソウルは、我々の常識では想像できないが、どうやら李氏は女直人らしく李氏朝鮮は、これは宮脇の推測だが、他民族による征服国家だったように思われる(女直人は満洲族)。
  つまり朝鮮人が自分たちの政治的決定を行った経験がないために、まともな大人になりきれなかったということで韓国人の政治行動を理解すれば、恨(はん)だの(これは要するに、うらみだ)、攻撃性だのが幼児の行動パターンだとわかるだけでなく、なぜ下層連中があれほど悲惨な生活を余儀なくされたのかもわかる。要するに、インドと同じ、他民族支配の征服国家一般の傾向として朝鮮も朝鮮人も理解できる。
  案ずるに、朝鮮人の威張るところの儒教精神だの儒教国家だのというのは、一言でいえば、カースト制度だったということである。儒教カースト。・・・さよなら、朝鮮。寄ってこないでください。