panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

はんなり、あずまし、そしてサバーイ−−−−−−文化の粋としての言葉−−−みつを?


  NHKラジオ第二、夜9時からの文化講演会。今夜は佐藤稔という秋田大学名誉教授。秋田の言葉の話。
  うーん。秋田弁がすっかり理解できる。まったく同じだといってもよい。例の寝具母が川崎で昔秋田の人間と誤解されて困惑・立腹していたが、ふふふ、立腹?・・・抱腹、絶倒じゃね?
  各々の文化の粋は言葉にあらわれる。京都人のいうはんなりは京都人以外にははっきりとその微妙なところは伝わらない。何となくわかったようになっているだけだ。秋田弁だとあずまし、ないし、あずましいという云い方があり、これはすがすがしい、広々して気持ちが落ち着く、おおらかな気持ちになるというくらいの意味だ。
  私はなんとでもその意味は敷衍できる。なぜって、まったく秋田弁通りだから。道南地方は。でもこれを読んでる人にはその絶妙な意味合いは理解できないだろう。もっとも核心的な文化要素だから。まさに佐藤先生の指摘される通りに。
  でもそうすると、タイでよくいうサバーイはまさにあずましそのものではないか。気持ちがいいという意味だと現地ガイドはいうと思うが、要は、道南=秋田の人間が「あずましなあ」というときのあの感じなんであろう。・・・うん。