panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

小保ちゃんはヘンデルか


  病院にいった。肝臓とは別のことで行ったのだが、別状なかった。最初から何も問題はないように思っていたのだが、回りが云うので行ってみたわけである。ともあれよかった。よくなくても大した問題ではない。くどいようだが。
  さて最近我輩の担当は女性医師ばかりで、小保ちゃん問題もあるし、できれば男がいいと思うのだが、そう云うのはいまでは激しく差別的なのか。でもどの人もあまりやる気がないようだし、やる気がないのはいいのだが、能力が高そうにみえないことがなあ。専門家の能力差というのは個人個人で点土地、じゃなくて天と地なのだ。
  病院のあと一日800円の駐車場に車を置いて、青山にビザを取りにいくことにしていたが、昼食をとると、急激に、2日で1日の原則が浮上して、戻ってきた。すぐさま眠てしまたあるよ。やはり昨日の仕事疲れが激しい。寝ながら、まったく意識の片隅で、ヘンデルを聴く。
  さてホリガーが1981年にデノンに録音したヘンデルのトリオソナタ。前にジャコテの写真としてのせたが、このCDは傑作なので、また紹介しておく。買えば1000円である。
  ヘンデルは王侯のような存在で、故郷ハレに帰ってきたとき、病気のバッハはライプチヒからすぐなので、会いたいと使者を送ったが、ヘンデルは地方的作曲家だったバッハを訪ねることはなかった。何度もいうように、要は、ヘンデルはハーバードの先生で、バッハは山梨大の先生だった。山梨大の先生がハーバードの先生に表敬訪問すべきなのである。ということで、バッハは同郷同年のヘンデルに生涯会うことはなかった。
  でもヘンデルはまったくバッハには及ばない作曲家である。音楽の母はやはり男である父にくらべるまでもない。ということは事実なのだが、このホリガーたちの演奏で聴くと、ヘンデルも恐ろしいくらいの書き手であったということがわかる。そしてホリガーもまた恐ろしいほどの、つまり古今東西随一のオーボエストだということもわかる。
  でさっきの比喩でふと思ったのだが、小保ちゃんはOA入試の早大出であるが、ハーバードのバカンティ教授のお墨付きで理研にやってきた。それを茨大(茨城大学。イバダイと読む。うーん。このイバダイの響きはなぜか懐かしい。誰かここで教えてたかなあああ)の農学部出の若山君はうまく指導できなかった。ハーバードからきた若い研究生みたいな人間なのに、ずっと年長者で業績もある、後の山梨大教授若山先生は躊躇していたという感じである。
  200年近く前、山梨大教授バッハは、ハーバードのノーベル賞受賞者ヘンデルにぜひとも来いとはいえなかった。200年後、今となってはたかが小保ちゃんとはいえ、若山先生には、彼女はヘンデルのごとく光輝いて見えていたんだろう。捏造疑惑については若ちゃんのそうした心境にも思いをはせないといけないと思う小雨の夕方である。
  しかしやっぱりダメだと思うのはベートーヴェンである。彼はバッハも研究していたはずであるが、一番のあこがれはヘンデル先生だったのである。わかっちゃいないのである、ベト君。

(若ちゃん自身、光輝いてはいるんだが)