panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

日本社会は快適なのか?


  日本の社会科学でもっとも考えられていない問題。当然に考えられるべきなのにそうではない代表的な問題。
  しかしこれこそ一大問題ではないかと思うが、多勢に無勢。快適さの定義、不快適さの起源と歴史、不快適さの構造的連関など、論じるテーマは多いのだが、こういうのに目をつぶって専門的な仕事を行うのが世の選ばれた人々なのである。うーん。

勤めてはじめて聞くのではないか


  出勤途上のラジオから水前寺清子先生のいつでも君はが流れる。何十年ぶりかと思い、人のときを思う。JT。ということではなく、この曲は傑作なのにそれほどおぼえられていないようだということに気づく。
  そしてやはりこの熊本県人の歌い方に難があると感じる。陽気すぎるし、もしかしたら下手なのではないか。名曲がだいなしではないか。でも星野哲郎先生の作詩。黄色いサクランボも星野先生。一昨日の深夜、五木寛之先生が歌謡曲を選曲して流すNHKのラジオでそうおっしゃっていた。函館の女の作詞家だが、なんと幅広いことか。プロなんだと五木先生もおっしゃっていた。五木といっても、ひろしではない。ひろしです、のひろしでもない。だから、ひろしではないと云っておるではないか。
  と朝から一人突っ込みで書いているところからわかるように、今日の仕事は準備万端なのだ。わっははははははははははははは。
  歌手でもないがこっちのほうが頻繁にかかるのはやっぱり曲全体の仕上がりのせいか。