panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

幻想から遠く離れて


  もう帰京している。やはり日本国内でも少し歩くと非常に疲れる。100歳だから仕方ないと思っていたが、老化が早いと家人にいわれて、考える。もう東南アジアを歩くなどもってのほかなのだと。いずれにしてもそういうことを肝に銘じる名古屋行だった。
  今回の名古屋は旅行でなく、見舞いである。そのためこの旅ブログとしてはとくに記すことはない。それに生存証明の対象3名が同行したという事情もあって、対外的に記録しておくべきことはない。ただ時間があったら名古屋めし探訪を考えていたが、見舞い関係で考えるべきことが多かったので大した感想もない。
  たださきほどケンミンショーをなにげなくみていて、山形のそば文化の紹介に感銘をうけたが(一昨年、山形市で食したそばもうまかった)、それに比していえば、どうやら我輩は名古屋文化の特徴である八丁味噌とも鳥(コーチン)とも相容れないという印象だった。北の人間なんだなあ。
  家人2,3の求めで名古屋駅に着いた直後、山本屋総本家タワー点で味噌煮込みを食べた写真はこれ。うまいのだろうか。ダシは思ったより効いていた。ただし何年も前の記憶より格段にうまい。でも、その後、夜に決行したディープな有名どて煮屋からは味噌の香りがないことに気づいた。というか八丁味噌の香りがする。当然ながら。
  でも我輩は津軽三年味噌の白味噌で育った北海道の人間である。どうしてもこえられない一線、ブラキストン・ラインがあると感じるのであった。ブラキストン・ラインは津軽海峡にあるのだが、なら津軽三年味噌とも一線を画するべきだが、そこはあっちもこっちも見える範囲の地理的親戚であるからして、ま、なし崩しに無視しておきたい。
  ということで、翌日、布団を買って施設に届けたあとに向かった有名・蓬莱軒(ほうらいけん)のひつまぶしが我輩にとって、昔も今も最高の名古屋めしであることに変わりはなかった。その感動は骨髄に及び、だから、いま現在の我輩を食べるような肉食系恐竜があらわれたとして、きっと満足するだろう。おいしい我輩なもんで。
  名古屋は大都会だし、しかものんびりしている。人も温和だった。ここで生まれればここで死んでいくのがいいのだろう。でも日本の東の北の北、最果てからやってきた小さき異邦人は、隠れ家のような西原珈琲店カゴメ本社前の。ここはいいところだった)ホンジュラス産コーヒー一杯600円で満足して、隠れるように帰京するのが正しい処世なのだろう。さらば名古屋めし。

  これはただしセントラルタワー40階のどうやら高島屋関係の喫茶店。眺めよし。味噌煮込みの後には甘いもの。