panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ホームにて


  夕方、爆笑問題のラジオを聞くともなしに聞いていると、今日のテーマは女うただった。どうでもいいが、太田裕美木綿のハンカチーフのことは忘れよう。どこがいいのかまったく不明だ、とか漫然と思いながら、あせって、さきほど触れたこちらの肝心の事態の修復につとめていると、最後に中島みゆき先生の「悪女」が爆笑問題の田中によると100点満点だった。これが田中のもっとも好きな彼女の歌でもあった。
  で女うたとしては確かにそうかもしれないが、中島先生で我輩がもっとも胸をつかれるのは悪女ではない。昔、悪女を聴かせて、状況と内容を正確に再現させる問題を出したこともある我輩である。暇だったんで。ほんとは聞き手の聞き取り能力が不安だったので。案の定、状況把握が十分でない若人が何人も出てきて、暗然としたという記憶があるが、最近の老化と下流化を考えると、果たしてその記憶が正しいかははっきりしない。
  しかし、ただ、そういう我輩ではあるが、やはり「時代」や悪女と並ぶ以上に(ある政治学者は引退セレモニーでこの時代を流した)、このホームにての詩情がいかにも痛切なのではないか。歌詞も旋律も。
  我輩はほとんど何も知らないが、たしか中島みゆきは帯広出身(帯広白楊高校?)で札幌の藤なんとか大学か短大に入った。そういう背景を踏まえてみれば、空色の電車で帯広まで帰省していたのであろう。よくは北海道のことは知らないので何ともいえないが。我輩は内地!では道産子だとか云ってるが、長万部以北の北の大地については知らないも同然である。しかし、自宅通学以外の学生だった人間にはよくわかるのではなかろうか。この歌の哀切感が。
  それにしても、なぜ中島みゆき先生も大泉洋先生も東京に住んでいるのだろう。中島先生にいたっては週刊誌で前に親も連れてきたとあった記憶がある。なるほど我輩の記憶は不安定である。だから確かなのか自分でも疑問だが、このいまとなっては大歌手と大俳優化しつつある道産子があえて北海道、つまり札幌だが、そこにいつづけるという選択があってしかるべきだったのではなかろうか。
  ということで、この忙しいのに田中のせいで、つまらんことに時間をさいた。
  夜、9時すぎ。一人自宅にて。