panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ヘンデル対ポルポーラの朝



  自宅はいまやメゾソプラノの18世紀である。狂ったように歌い酔ったように耽溺(たんでき)する歌声ばかりしばらく聴きつづけたので、何だか器楽曲で清めないといけないようになってきた。でもやはりヘンデルのライバルで最高のカストラート、ファリネリを擁したポルポーラを選んでしまうところに、いぜん18世紀の呪縛がある。でも今週は16世紀の傭兵についてしゃべることになっている。頭は16世紀の軍事的状況である。
  作曲家の小林亜セイの次の言葉でやや正しいと思われるところを太字にした。
  「今は昔と違って家族が一緒に夕飯も食べられない。一家だんらんがなくなった。今の方が貧しい。『貫太郎』の時代はみんな心が通じていた。今は忙しい、騒がしい競争の時代。寂しいね。教育も受験のため。我々の時代はしっかりと情操教育を受けた。今は情操より競争。みんな仲良く生きようという気が少しでもあればと思う」。
  40年前もいまも基本は変わらない。ただ一つはっきり違うのは、必要な素養の欠けた人間が大学に来るようになったことである。それが波及効果の大きいかなりな問題だと思う。