panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

嵯峨には行ったことがなかった、、、のか

大原三千院。誰かのを拝借。この門で写真をとった)
  ガソリンが高騰している。しかるに今日はやや遠出をしてスイス風レストランで昼の食事をとった。入った瞬間出ようと思ったが、店主にみつかって最後までいることになった。というか食べて帰ってきた。観葉植物がジャングルと化して、ほとんど鬱蒼としている。どういうことなのだろうか。
  帰って井上章一の『京都ぎらい』を引きつづき読む。最終的には第1章ほど他の章は面白くない。もっとイケズな京都のことを書いてほしかったが、ところどころ哄笑してしまう。洛外と洛中の文化的差別の構造が第1章のテーマである。
  さて地図がのっているし、ブラタモリ嵯峨嵐山のあたりも放映されたので、地図をよくみてみると、高校時代の修学旅行で行ったさきが大原の三千院であって、嵯峨野には行っていないということにようやく気づいた。自由時間はその一回だけだった。しかし人生の大半、我輩は嵯峨(もしくは嵯峨野と覚えていたのだが)と大原が近くにあって、一緒にまわっており、でも嵯峨だの嵐山だの記憶は消えていると思ってきたのである。
  どっこい、二つの方向は井上先生の地図によれば、正反対なのだ。というか、ヤフーの地図でもやはり正反対である。うーん。なんという幻想のなかにいたのだろうか。行ったことのない場所の記憶がないのに行ったはずだと記憶していたというこの抜群の能力。使い道はないが、幸せを引き寄せる力はあったのかもしれない。
  6日間7歳の子どもが神隠しになることができる辺境北海道の出身である我輩は、京都のような日本的価値の中心をおそれている。だから生涯で京都に行ったのは一昨年が二回目であった。大阪も二度しか行ったことはない。大阪はみやこ蝶々・ナントユウジ夫妻先生のイメージなのでまともに人間が住んでいることを最初のときに知って、ほぼがっかりした記憶がある。いずれにしても西日本の人間は東日本、ましてや北日本の人間を、ちょうど洛中が洛外を鼻で笑うように思っているはずだから、できるだけ避けているのである。そして東南アジアから西日本を俯瞰して、二つって同じじゃね?とか思って、精神の均衡を保ってきたのである。
  何という天才的意気消沈回避であろう。何という小心者であろう。