panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

自分の善意に驚く


  つくづく老化したと思ったのは、昨夜も今日全般も、なぜか非常に疲れて、横になると寝てしまうということだった。
  これは昨日しゃべりすぎたか、ラインしすぎ、かつ儀式に伴う若干の定型的興奮もあって、肉体的に疲労したということ以外には考えられない。とはいえ、昨日は何か大きなことを何かしたというわけでもないのだが。さすがに101歳という年齢のせいであろうか。こうして気づかぬ内に、もう制限時間一杯になって、なるほどと思うことになるのである。うーん。
  昨日からこの本を読了。全編ペダンチックで、読みとばす。と意外と、妻が大腸ガンになったといことの事実的細部はそれほど書かれていない。ために一日で読めた。家人1の本だが、家人は全部を読んだということで、それにくらべ、正直、もう肉体面だけでなく、精神面というか理解力、要するに知力という面でもポキには制限時間がきたのかもしれない。
  西部先生は云っていることとやっていることがちぐはぐだと思うのだが(本人は一致させようとするわけだし、させられないとみると巧妙な論理や修辞を弄して一貫性を保つかのように振る舞うのだが)、その点はさておき、北海道の人間は日本のなかではあくまで異邦人だという認識が面白い。それが
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  パソコンの調子がわるくて途中で消えたはずのが、前に書いたものだが、残っていた。アップしておくか。土曜日に書いた。
  なお、驚いた自分の善意についてはまるっきり何のことかわからない。