panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

晩年様式について考える


  最後は集中力も切れて、眠ってしまったが、どうにか終わった。でも同じ部屋で連続して三つも会議をやるというのはやるせない。
  しかも大きな宿題をもらっているわけで。あー、また調整である。長征ではない。それは毛沢東
  サッロはロシア宮廷楽長をつとめたし、別の北国でも長いことやっていたイタリアの作曲家だったはずだが、昔まだ何もネットのカケラもないころには、モツ君がサッロのアリアの一節を変奏曲にしてウィーン?にきたサッロを喜ばせたという逸話で知られた人物だった。
  こうして簡単に聴けるというのは震えるくらいの幸せである。でも幸せって、やってくると、そうでもないとか思ってしまうものなのだ。足りないもの、欠けたものがあって、それが欲しいと思っている宙ぶらりんの、つまりサスペンスフルな状態が一番幸せなのかもしれない。
  いずれにしてもポキはこのフィリップの友達という変な名前の合奏団愛好家なのである。めっけものだった。
  あ、また本題にはいる前に気力がつきた。