panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

都合三つの施設を彷徨う


  朝から病院、歯医者、インフルエンザ注射と三施設を訪れ、いま午後3時にいたる。今日はとくにそれ以外は仕事はない珍しい日だが、明後日は全体集会(醜態ではない。一字違うと大変な失態である。実態はこれと一字違う。失態が実態だったりする己の過去を反省するか)だし、明日はその準備だ。
  でももう何か疲れたので、気力がわかない。なるほど4月この方、ずっと気力はしぼんでいたが、もう任務も5カ月となったので、そしてこの後半がますます大変なことは理解できるのだが、全然やる気がでない。そして、にもかかわらず、来年4月からは自由になるかと思うと、ほとんどベートーヴェン歓喜の感情が喚起される。フランス革命時の民衆のような、未来への希望に満ちて、同時に当然ながら、気力もやる気もない状態がふつふつと存在するという、引き裂かれる自己。事故物件としてのポキ。
  いまの状況はちょうど写真のようかもしれない。高松宮様だと思うが、孫三人に囲まれている軽井沢。それは、現在のポキとしての老人的疲弊性が真ん中の高貴な人物、そして4月以降のパラダイス銀河みたいな状況を三人の将来ある孫たちが象徴している。ふふふ。老人にして三人の孫。昔の森繁と七人の孫みたいであるなあ。そういうお年頃なのであるかしら。
  考えてみると、高貴な身分に生れると、、、いいなあ。って、あ、アホもいい加減にせんとね。アホちゃいまんねん、パーでんねんレベルのハイソな堕落ぶりであることを自戒しつつ。