panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

きちんとしたストーリーテリングときちんとした編集、を!!!



  前者は家人の希望、後者はポキの希望でみたが、うーん、明らかにポキの敗北だった。映画館のある同じ町が二つの映画のあとでは別にみえた。
  ハネケ監督は後者の監督で有名だが、イザペル・ユペールを見に行ったわけだが、フランス映画というかオーストリー映画というか映画の文法がいかにも古い。思わせぶりなのはゴダール風だし、テーマもブルジョワ家庭の内的崩壊なのだが、いまではどの階層の家庭も崩壊しつつあるみたいだから、いかにも大時代的なテーマ設定に思える。
  だからといってダイアン・キートンが好きかといわれれば、絶対にノーである。ゴッドファーザーにも出てくるが、いかにも場違いな娘として出てきて、最後は娘を失う母親役だか、いつも作り物っぽい人ではある。でも老人たちには人気で映画館は満杯だった。ハッピーエンドのほうも結構入っていたが、失望のあまり、タイトルエンドが出ても誰も帰ろうとしない。タイトルエンドには珍しく音楽がないのだが、なぜ出て行かないかというと、失敗と失望に耐えて映画館を出て行く準備のためであったろう。通常は何人か出て行くのものだが。
  さしものポキもあきれて、たてなかった。飾窓の女からはじまった、やや映画がまた好きかも的な動きはかくして消えたのである。またしばらく映画館からは遠ざかるだろう。
  でも考えてもみると、キートンの、ニュヨーク、眺めのいい部屋云々も家人と見に来たなあ。テイストは同じである。キートン・ファンというのがアメリカと日本にいるのである。なぜだろうか。