panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

暑さに少し触れただけで、立ち上がれない


  食事をして(大勢で食べたので疲れたのか)、自室にもどって、しばらくすると、眠り眠り病にかかったようになる。おっと、眠り眠り病というのは今発明した言葉だが、重い体を支えることができず、長−い足を机に投げ出して、ヴィヴァ君が聞こえるなあとか思いながら、意識が半ば混濁するといった状況である。うーん。何に対しても熱中していないのに、この弛緩した状態が熱中病なのか。なんという情けない状況なのか。熱中病。言葉と実態が解離している。あたかも何かにとりつかれたごとく亡くなるような名前をもらうことだけは避けたい。・・・言葉とともに生きる。JT。というのではないが、だらしくなくなった状態を熱中とかいわれるいわれはないというだけである。
  ともあれ一つ緊急の依頼がきて、頭が弛緩状態を脱してめざめ、暑いんだなあこの夏は、とか正常なしかし凡庸な思考というか感想をもつにいたる。回復したのである。したのか。したと考えたい。
  今日は電車で来たから、こんなことになったのだと思う。一回電車できただけでこれだとすると、東京の人間たちは超人ばかりなのではないか。ハルク。ハルメクではない。それは老人むけの雑誌のことだ。
  ということでもう少しで5時。人びとが正規の仕事をおえる時間である。みんなよく働いてるなあ。ほんとに感心する。でも改心はしない。
  そういえば佐々木という名前で昔の友人を思い出した。中学のころよく帰りに遊びにいったのだが、普段は妹と暮らしていた。成人した兄もいたはずだが、普段はいなかった。というか出稼ぎにでていて、いなかったのである。北海道は出稼ぎの送り出し県である。だから毎日、小学生の妹と中学生の兄が煮炊きをして暮らしていたのだ。後年、佐々木君は寿司屋の見習いをやめ、タクシー運転手になった。あるとき同級生を乗せた。同級生は気付かないが、佐々木君は途中で気付いて、「ひでえ道でねが」と後ろにむかって云った。自宅へ帰る道をバカにされたと思った同級生は、ひどい道とは何事か、失礼をいうなと怒った。この同級生は頭はいいのに家庭の状況で進学できず、以後何事にもコンプレックスをもつことが多かった。しかしこれは当時の北海道では珍しいことではない。それはさておき、しかし佐々木君は繰り返した。「秀道でねが」。同級生は秀道という名前だったのである。
  実話である。辺境北海道に花開いた方言文化では、ひどい道も秀道も同じ発音になってしまうというギリシア悲劇にも似た状況をえぐりとった、珠玉の短編実話である。以て瞑すべし。五体満足。