panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ドゥテルテの国


  警察署の前にて。ドゥテルテ大統領とよく似たタイプの人々が、上は制服のTシャツを着て警官とも称しており、狭い部屋でたむろっていた。よきコーディネイターがいたから当事者若人と二人で折衝にあたり、ポキは座って観察していた。ですぐに誰でも気づくように、これではむしろ、ドゥテルテが殺害しようとしているシンジケートの人間たちなのではないか。間違ったところに来たのではないか。警察署受付の付近のモニターからは、アメリカのギャング映画がずっと流れているし。ポキが見たときは、ジーン・ハックマンが出ていた。
  ジーンともこないし、ハックションともこない。あきれるが、すぐ慣れる。そういうもんだと。むしろただちに日本の生真面目すぎる勤務態度への違和感に飛躍するのだが、同行者たちはずっとショックを受け続けていたようである。
  考えてみると、すぐ慣れるという習性は、ポキのすぐれた本能である。もし観光できているポキにドゥテルテがじきじきに命じてきたら、麻薬犯罪者なんか一撃してしまいそうなくらいである。この辺の臨機応変はポキの信条なのである。・・・ただ残念なのは、生涯、日本とも日本的慣行とも慣れしたむことができなかったことである。なぜだろなあ。
  ということで。

  忘れていたことがあって、サントニーニョ教会の写真を掲載する。すばらしく壮大華麗な大教会で、これでは現地人(ネイティブ。かつての表現では土人であるが)がスペインに圧倒されることも致し方ない。それよりポキがうれしいのは、サントという発音である。英語だとセント(セイント)となるわけだが、サントという表記通りのラテン系の発音が、昔から好きなのである。ニーニョは幼子イエスのことらしい。まずしいヨゼフの幼子だから抱いているのは乳母ではない。実母である。
  このブログで実母といえばユリだが、もちろんユリではない。それはポキの実母であって、イエスの実母ではない。でもイエスは父・子・聖霊の三位一体だから、実母に抱かれる幼子イエスはその母を生んだ神でもあって、幼子のくせに実母よりきっと年寄りなはずである。とか考えると、ニケーア宗教会議(だったか)のころにまでさかのぼって、対抗して議論したくなる。
  ともあれ立派な教会だった。カトリックはただの実母にすぎない?マリア信仰を許すわけだが、その辺の曖昧さが立派だ。「家族主義的無道徳主義」というのが、南欧イタリア政治の特徴なのだから。これを大学院初めころに知ったときは、笑った笑った。家族ファーストで倫理観のない政治である。・・・もしかしてとなりの国も南欧なのか。「アジアのアイリッシュ」とか言われている半島の国も。


  跋扈する家族主義的無道徳主義者たち。