The Dragon Scroll

Be just and fear not.

僕たちはきっと理解し合える〜SenseとMeaning〜

PFP関東#9に参加した。


http://projectfacilitationproject.go2.jp/wiki/index.php?%B4%D8%C5%EC%A5%EF%A1%BC%A5%AF%A5%B7%A5%E7%A5%C3%A5%D7%A1%F4%A3%B9


id:J_Matsumotoさんの「チームのコミュニケーションをSenseとMeaningで考える」から
いくつかの気付きを得ることができた。
id:J_Matsumotoさんと、このイベントを開催したPFP関東に感謝です。


コミュニケーションはSense
Meaningからなると考えることができるそうです*1


Meaningとは、そのままのとおり、対象が持つ「意味」のこと。
例えば、バナナをWikipediaで引くと、

バナナ(甘蕉 ・実芭蕉/学名Musa spp. )はバショウ科バショウ属の食用品種群の総称。幾つかの原種から育種された多年草であり、その果物である。原産は熱帯アジア、マレーシアなど。生産地はインド、ブラジル、フィリピン、エクアドルなど、アフリカ諸国でも重要な食料。

とあります。
おそらく、ここに書いていることは、「意味」として
バナナを的確にあらわしているのでしょうね。
しかし、上の文から「バナナ」を取ってみて下さい。

○○○(甘蕉 ・実芭蕉/学名Musa spp. )はバショウ科バショウ属の食用品種群の総称。幾つかの原種から育種された多年草であり、その果物である。原産は熱帯アジア、マレーシアなど。生産地はインド、ブラジル、フィリピン、エクアドルなど、アフリカ諸国でも重要な食料。

私は、この文からバナナを推測することなんてできません。


一方、

私が、こんな絵を書いて、
「黄色くてね、皮がむけるんだよ。中は白い柔らかい果肉があって、甘いんだよ!」
といえば、バナナのことを言っていると大概の方が理解できるでしょう*2
これがSense。
Senseとは、感情・感覚・ムード・その場の空気といった意味合いのようです。


別の例。
例えば、とあるプログラムの進捗確認のケース。
開発者が、開発したバッチプログラムの本数から
「進捗率は90%(10本中9本完了)です。」と答える。
管理者は、9割にも進んでいることに大喜びするだろう。


ところが、あとの1割が何日経ってもビクとも進まない。
当然、管理者は、彼/彼女のことを問い詰める。
「いやー、あとの10%が大変なんです。この1本が売上の月次集計処理を
行っていまして、色々なところからデータを取得して…」
なんて答えても中々管理者は納得してくれない…。


この例では、

「進捗率は90%(10本中9本完了)です。」

は、meaningのみを伝えている。
管理者は大喜びして、そのmeaningを理解したつもりになっている。
一方、

「いやー、あとの10%が大変なんです。…」

は、senseを、その残りの1本の難しさを伝えようとしている。
管理者は、それを理解することができていない*3


つまり、コミュニケーションをとる際には、
meaningだけでは十分ではなく、senseの共有も行う必要があり、
senseの理解ができて、真の意思伝達ができたと
言えるようだ。
偶然にも、以前このようなエントリを書いている。
感情の海で溺れてしまう前に。 - papandaDiary - Be just and fear not.
コミュニケーションは感情を媒体にする。
コミュニケーションはsenseを共有することで真の理解を生むことができる。


私たちが仕事を進める上で取るコミュニケーションというのは、
meaningに偏りすぎているかもしれない。
仕事に感情は不要だろうか。
確かにそうかもしれない。やる気で仕事の成果が左右されるのは
組織にとっては望ましいことではないかもしれない。
しかし、そのやる気が、時として爆発的な生産性を生む。
諦めない気持ちが、奇跡を生む。


私たちがいつも悩まされる、「要件の認識違い」「仕様の認識違い」は
senseが欠落しているがゆえに生まれるコミュニケーション不全なのではないだろうか。
お客様は、自分の業務をsenseとmeaningで語る。
システム屋は、それをmeaningですべて捉えようとする。
よって、OUTPUTの要件定義書や外部設計書からはsenseが抜ける。
お客様は、その文章を、meaningとしては理解できるかもしれない。
だが、自分がsenseとして語った部分が反映されているかどうかまでは
分からない。
その結果、いくらそのドキュメントに基づいて、モノを作って収めたところで、
「これは違う!」「そんな意味では言っていない!」
という言葉を皮切りに迷走が始まることになる。


であるならば、senseは、実際に動くモノでお客様に確認してもらおうではないか。
動くモノから、アフォーダンスを感じ取ってもらう。
そこから得たフィードバック(=sense)と言葉で定義したmeaningから、
お客様の要求が何であるか、そこに近づくことができるのではないか*4


meaningとsenseのから得たもう一つのヒント。
それは、「開発標準」のこと。
ISOなんたらや、CMMIのために組織によっては、重厚な「標準」を
用意していることだろう。
この「標準」にはmeaningが詰まっている。開発プロセスのための辞書だ。
それを利用(服従?)したエンジニアは、様々なsenseを持つ。
「これは、本当に必要なタスクなのか?」
「これは、本当に必要なドキュメントなのか?」
「あまりにも、手間が掛かりすぎる。」
senseが、meaningにフィードバックされ、適時、改善されていくのであれば
その「標準」はむしろ現場の叡智になりうる。


しかし、往々にして、それが欠けている。
「標準」の腰は重く、なかなか中身が変わることはない。
現場にとって「標準」は、何のために存在するのか分からないものになっていく。
これでは、お互いが理解するのは難しいだろう。

標準は現場で開発されるもの。現場の気付きで改善されるもの。(Mary Poppendieck)

*1:ここで捉えている、sense、meaningが学問として意味的に厳密にあっているかどうかは置いときましょう。

*2:この絵は要らないかもしれない

*3:進捗は、定量的確認と相手の顔色から読み取る。

*4:it's an agile development.