自虐超弩級千万

2007-04-01 じぎゃくの15番 蔓延するニセ教育勅語ver1.5

先日のエントリー・蔓延するニセ教育勅語に、反応あったみたい。

新しいバージョンも作られたようです。めでたしめでたし。

『たいせつなもの』(β1.5FLASH版)


全然、変わってないじゃんマイナーチェンジしてるらしいですよ(どこだ?)。

面倒くさいんで、変更部分はコチラを参照のこと。間違い探しですれっつごー。

ええと、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト」「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」もそのまんま。

もちろん、「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」なんぞ、相変わらず出てきやしない。

その代わりと言ってはなんですが、なんかいろいろ言い訳してます。

この話は「幼児にむけて」「勅語の精神」を伝える事に重きをおいているのです。

指摘にあるように「皇祖皇宗」を「皆の祖先」としたのは確かに文意とは離れます。しかし、当時はともかく今の子供たちに身近な話だとするには、天皇との距離は遠いものです。

天皇との距離は、昔より全然身近なんですがね。

なんつったって、ワイドショーで散々採り上げられるくらい(^^;;

現人神として敬われるか、人間として親しまれるかの違いです。

天皇との距離というより、その表現自体が現制度からかけ離れてるだけ。

つまり身近でないのは、我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコトという表現そのものです。

皇祖皇宗だけが国を作ったのでないのは、それこそ幼児にも理解できますし。

なので、現実に沿うように都合よく改竄意訳ですよ意訳…(`∀´)ニヤッ

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ⇒もし、非常事態が発生した場合は、勇敢におおやけに奉仕して、

以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ⇒永遠に続く皇運(上記天皇感からみると「国全体の安定と繁栄」)をまもりましょう。

これを幼児向けにどう言うかやってみればわかるが、幼児というのは「非常事態には絶対的に守られるべき」存在なので、能動的に話すのは難しいのですよ。

やってみればもへったくれも、やればいいじゃん

現に、戦時中の絵本は、そのまんまやってるではないですか。*1

「非常事態には絶対的に守られるべき」どころか、進んでお国を守るために戦えと。

むしろ、こういう絵本の方が教育勅語に忠実なんですがね。


ついでに言えば、上記の訳し方も本来おかしいんですよ。

「もし、非常事態が発生した場合は、勇敢におおやけに奉仕して、」

永遠に続く皇運(上記天皇感からみると「国全体の安定と繁栄」)をまもりましょう。

おおやけとか国全体というより、天皇。百歩譲っても国体(天皇と密接不可分な)と訳すべきでしょう。第一、 「安定と繁栄」とか、どこから出て来たんだろ。

国民道徳協会訳とも違いますし、まして絵本はもっとヘンな訳。伝言ゲーム?

これ天皇感とか云々言う以前の根本的問題なんですけどね。

つまり、勅語の訳を改変している(それも意図的に)とか、

最も重要な部分を無視している(それも意図的に)とか、そういうレベル。

少なくとも当時はこんな使われ方(訳され方)はされてません。

明治天皇の聖旨を、作者の考えるイデオロギーに都合良く意訳・改竄して、

明治天皇の名と威を借りて語(騙?)っている行為に他ならないわけですよこの絵本は。

だから明治天皇に対して不敬じゃないの?と言っておるわけですよ。


ついでに、後書きで「批判されるものではありません」と言ってる徳目の項。

日夜困惑日記@望夢楼 教育勅語「国民道徳協会訳」の怪より

 「父母ニ孝ニ……」から「……皇運ヲ扶翼スヘシ」までの徳目の部分については、それぞれの徳目は独立して列挙されている、とする解釈と、すべての徳目は最後の「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂する――つまり、「父母ニ孝ニ」するのも「夫婦相和」するのも「学ヲ修メ業ヲ習」うのも、すべては天皇陛下のためである――とする解釈とがある。初期は前者の解釈が優勢であったが、国定第2期修身教科書『高等小学修身書』巻2(1913=大正2)以後、後者の解釈が広まることになったという(籠谷次郎「教育勅語」、原武史+吉田裕〔編〕『岩波天皇・皇室辞典』岩波書店、2005)。戦前の文部省の公式解釈は後者ということになるが、この解釈をとるとすれば、文意のねじまげにも程がある、ということになる。また、前者の解釈をとるにしても、重要な部分を無視してしまっていることには変わりない。(赤字強調・ブログ主)

つまり、「夫婦和合」「遵法精神」など十二の徳目も、天皇陛下の御為とする解釈が、当時は一般的(通説)です。当時、こんな絵本出した日には不敬罪ですよ逮捕ですよ。



それに、ぶっちゃけ言ってしまえば、徳目の項だけを列挙すれば、

どんなカルト宗教でも、ご立派なこと言ってることになっちゃうんですよね。

トータルを判断せず、肝心なことを語らずに、一般ウケすることだけ並び立て、あたかもその価値観の全部が素晴らしいものであると偽装する手法。

カルト宗教マルチ商法や、作者のお嫌いそうな共産主義的イデオロギーのやり口と、少なくとも手法的にはなんら変わりありませんね。


ってことで、前回のエントリーに書いていた以下の結論ですが、

『たいせつなもの』なる絵本そのものに問題はない。

謹んで私の不明をお詫びしまして、立場変更しますごめんなさい。

教育勅語を標榜する限り、教育勅語よりタチが悪い。

科学を標榜するニセ科学みたいなものですよ。何度でも繰り返しますが、

べんきょうは なまけずに、いろんなことを おぼえたり かんがえたりして かしこくなりましょう。(^^





おまけ。コメント欄

一方通行の批判には耳を貸す必要は無いでしょう。

その通りです。あの絵本が不敬だのだの思わなければ、

別に変更する必要も撤去する必要もないでしょう。

無責任にニセ教育勅語を垂れ流しておることへの批判はさせて戴きますが。

ついでに、わざわざそちらに乗り込むつもりもありません。

だって面倒くさいもん。

最初から意見を変えるつもりのない人とは、議論やっても意味ないですし。*2



あ、私ですか? 間違ったことなら訂正しますし、立場も変えますよ。

あの訳文が(当時の)教育勅語の本旨だったらね。

とりあえずは、あの絵本は、タチが悪いという方向には変更しましたので(^_^

*1絵本の歴史については、松岡正剛の千夜千冊を参照のこと

*2こちらにまとめました