センチメンタリズムからの脱却と『言の葉の庭』への覚悟?…

新海誠監督の最新作『言の葉の庭』が公開です。僕は『秒速5センチメートル』しか観たことがなかったので、『秒速〜』は再見として新海氏のセンチメンタル3部作(『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』)と新海氏自ら東映ジュブナイルアニメと語る『星を追う子ども』を観ました。

まずは、センチメンタル3部作ですが、「主人公の2人の心の距離と、その近づく・遠ざかる速さをテーマとしている」というように、もうアホなくらいセンチメンタリズムがテーマとなっております。
氏の最大の特徴と言ってもいいのが、画力です。

普通ならやり過ぎともとれるセンチメンタリズムですが、氏の画力によってもう少しで破綻してしまいそうなストーリーをギリギリの位置で成立させています。正直新海氏はストーリーテラーとしてはまったく通用しない、もともと一人ですべて出来てしまうと思っていたと語っているように、独りよがり過ぎるストーリーに僕は正直げんなりで、好きか嫌いかで言われれば嫌い。
センチメンタル1作目の『ほしのこえ』は、「あー『トップをねらえ!』ねー」とか、「血がびしゃっとつくシーンとかはエヴァっぽいなー」とかプロットは他から引用している分が目立ち、そこに自我のセンチメンタリズムを重ねた作品となっています。『ほしのこえ』では、主人公と恋人(ではないが)が宇宙と地球と離ればなれになります。しかし、なぜか携帯電話が使えて(衛星?)、恋人がだんだん地球から離れていくことで携帯メールの時間差も広がってしまいついに何年もメールが届かなくなるという悲劇が描かれています。センチメンタル3部作に通じるのは、恋人(正確には恋人とはなっていませんが)と離れる、距離感で、ようするにお洒落に言うと”心のつながり”を大切にしています。90年代社会現象と言われたエヴァのATフィールドとは対極に、セカイ系ではあるんですが、「会いたくて会えない」西野カナのように震えているような感じ。

3部作の2作目『雲のむこう、約束の場所』もセカイ系代表のようなストーリーで、最後の平行世界が壊れるか壊れないかなんてところは、セカンドインパクトっぽいし、やっぱり血がぴしゃっと付くシーンもそれっぽい。ストーリーだけ抜き出して考察すると、本当にボロボロで破綻しかねない(というか破綻してる)作品になってしまんですが、新海氏特有の描写力(光の射し方なんか特に上手い)でギリギリのラインを保っている。逆にあのセンチメンタリズムは、失敗するかしないか、破綻するかしないかのギリギリの瀬戸際をアニメーションに落とし込むことで、成功しているパターンなのかとも思えてくる。ただ、新海氏自身「反省点が多い作品」と語っているように、僕個人も「酷いな」と思っている。

3部作ラストを飾るのは、短編3編(『桜花抄』『コスモナウト』『秒速5センチメートル』)を一つに繋いだ『秒速5センチメートル』。おそらく彼のフィルモグラフィー的にみても重要な作品で、美し過ぎる桜が落ちる描写で有名な今作は、コアなファンから一般層までファンを広げた成功作となった。ストーリーは、3部作どれも一緒なように、恋人と離ればなれになり、その想いは時間を超えてどうなっていくか。『ほしのこえ』では宇宙、『雲のむこう、約束の場所』では平行世界と徐々にストーリーをスケールアップしていったが、新海氏自ら描きたかったことは、スケールアップしなくても描けるということに気づいたのか、わざわざアニメ的なものを描かなくてもいいんだと開き直ったのは本人に聞かなければわからないが、ストーリーをスケールダウンすることで、新海氏の真骨頂の「人と人との距離」を語るのが3部作のなかで一番成功している。
あの日あのときの甘い記憶、寂しい記憶、そんな脆く儚い学生時代の青春の日々、それと対極な退廃的社会人生活、そしてあの人は何を思い何をしているのだろうと、主人公たちのあの頃の気持ちをクローズアップさせることで、ストーリー自身をスケールダウンしていても、新海氏のやりたいことを成立させている。人と人、独りよがりのセカイ系的作品であり、ロボットも登場しないが、”ハッタリ効果”を十分に使うことで最高傑作と崇められるような映画となっている。

そして、センチメンタル3部作とは語り口を変えて挑んだのが『星を追う子ども』だ。作品のプロットとしては、ジブリ?と思われがちであるし、本人も「東映的」と語っているように、一見ステレオタイプな映画に見えても仕方ないくらいのジュブナイル的アニメーション映画。
僕個人的には、この駄作とも言われる『星を追う子ども』を一番評価している。面白いか面白くないかは別として、センチメンタリズムで人を”共感の渦”に落とし込んだ前作までは正直嫌いな作風で、そこから自分の好きなものだけで壇上にあがってはいけないと気づきこの映画を作った根性は評価に値するし、わりと悪くなかった。この映画で言われるジブリ的に新海氏は否定することなく認め、「単純に面白い!」と言うアニメを作りたくて、窓口を広げてこの作品を作ったとのこと。アニメっぽいアニメとしてアニメと向き合った作品であり、地下世界「アガルタ」へ迷い込むアスナは新海氏なんではないかと思ってしまう。本作は、生と死が複雑に交差しあっている。「アガルタ」への入水シーンなんてもろに羊水だし、子どもへの回帰であって、メタ的に自身の観てきたアニメへの回帰を新海氏は描きたかったのではないか。また、この映画では主人公が気持ちいいくらい走る。新海氏自身が駆けぬけてきた時代を象徴するかのように…

そして今年『言の葉の庭』では、前作のジュブナイルアニメから方向性を少し前に修正して狭い世界でのストーリーを押し進めるが、監督はどんな覚悟で作ったのだろうか…

※最新作『言の葉の庭』は別の記事で書きます。

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秒速5センチメートル [Blu-ray]

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THE CROWNのThe Spring Is Gone Tour 名古屋 今池 3Star 公演に行ってきた。

THE CROWNが来日で3000円!?と何ともお得なTOURだなーと思い参戦してきました。平日だったこともあり最悪CROWNだけ観れれば良いかなーと思ってたんですが、かなり遅れていたらしく国内バンド以外は全バンド観れました。

・Hypocras
ちょうど会場についてビール煽っていると、LIVEスタート。フルート使いのいるフォーク?メタルになるんでしょうか。これが意外とかっこ良くて、フルート使わないときは観客煽ったりして、面白かったです。いやー良いバンドでした。

・Create|Destroy
ボーカルがイケメンだった。しかしながら、この辺は酔ってたので、次のバンドとどっちがどっちだか覚えていません。笑
どちらも凄くかっこ良かったです。

・As Silence Breaks
ボーカルが吐き捨て系だった気が・・・(覚えてないけど、かっこよかった)

兀突骨
いやーもうねー凄くかっこ良かったよ。スラッシュ調のデスメタルかな。前のバンドとかと比べるとスラッシーなリフがふんだんでテンション上がりっ放し。ギターVSベースのバトルが良かった。また3star来るって行ってたからもう一回観たいね。

・Gorod
フランス産テクデス。ちょっと別格レベルにかっこ良かったね。思わず前まで行ってヘドバンモッシュしちゃったよ。最後はボーカルとも握手出来たし。
CD買っちゃおうかなー。

・The Crown
初来日!とうとう着ましたよデスラッシュ界の超大物!登場した瞬間の会場の雰囲気とかやばかったです。モッシュとヘドバンの渦にまかれながら、気づいたらダイブしてたし、もう唯一無二のかっこよさ。Deathexplosionは本当にかっこよかったなー。一番のテンションでした。Johanの声も人間外な野獣声で凄かった…


やっぱりsumerianのときと比べると年齢層高かったし、モッシュのあたりも強くて上がりっ放しでしたね。
次は待ちに待った、Extreme Death Feastです。今のところ静岡サナッシュ公演は確保しているのですが、行ければ名古屋公演も行きたいな〜。
まあ、その前に来週には喜多村英梨の名古屋公演があるので声優モードに切り替えます。

セカイ系から自らの成長へ『言の葉の庭』を観ました。※ネタバレあり

[あらすじ]
靴職人を志す15歳の高校生タカオは、雨が降るといつも学校をさぼって公園で靴のスケッチに熱中していた。そんなある日、彼は27歳のユキノと出会い、雨の日だけの再会を繰り返しながらお互いに少しずつ打ち解けていく。タカオは心のよりどころを失ってしまったユキノのために、彼女がもっと歩きたくなるような靴を作ろうと決心する。(yahoo映画より)

[感想]
他を寄せ付けない圧倒的に綺麗な絵。アニメーションで綺麗なものを追求していくとリアリティになっていくのが不思議だ。特に、新宿御苑の水面の描き方がまるで写真でも観ているかのように美しい。新海氏のキャリアのなかでもダントツに綺麗な絵がストーリーを牽引出来る水準まできている。
センチメンタリズムからの脱却と『言の葉の庭』への覚悟?… - つぶやきの延長線上 
前回の記事で、センチメンタリズムからの脱却を『星を追う子ども』で行い、アニメ的なものへの挑戦をしたと書かせて頂いたが、今回の『言の葉の庭』はアニメ的ものから更に進んだリアリズムを押し進めているように感じられた。『ほしのこえ』では宇宙、『雲のむこう、約束の場所』では平行世界、『秒速5センチメートル』では場所から時間へのセンチメンタリズムを投げ掛け、『星を追う子ども』ではアニメへの回帰、窓口を広げた世界観を描いてきたが、今回はもっとスケールダウン(新宿御苑)して、前半部分はまるで邪魔者を排除したかのような雨の公園でのひとときが描写される。
そして特質すべきものは、”雨”の存在だろう。新宿御苑という限られた場所と時間に+要素として、条件が必要なのだ。『秒速5センチメートル』は、場所から時間へのセンチメンタリズムだったが、今回は時間の追加要素として条件(天候)がストーリーの鍵なのである。前半部分のそうした限られた場所・時間・条件を観ると、またセンチメンタル3部作へ方向性が修正されたのかと思っていたら、中盤からこれまで新海氏のセカイ系を引っ張ってきたなかでは存在し得なかった”社会”が突如として立ちふさがる。
※ここで上手いのが、雨の描き分けが出来ていること、6月の梅雨の雨、彼らは頻繁に会う。7月の初夏はカラッとした雨、晴れ間が見えてきて会う頻度が少し減り、8月のゲリラ豪雨は、突如降られたかのように二人の出会いを演出する。

セカイ系としては存在し得ない”社会”は、ユキノの会社をサボる真実、タカオの夢と現実との狭間で揺れ動く気持ちとして描かれる。社会という第三者を描くことで、新海氏自らの新境地、いや、自らの人間的成長が表現されている部分だと感じ取れた。ただ、突如スコールのように揺れ動く主人公同士のエモーショナルな気持ちは、観客である僕を完璧に置いてけぼりにさせられ、最後は「ふざけんなばかやろー」と思ったりしてしまった。どうでもいいけど、高校生くらいに綺麗な先生の家に招かれたらすげー興奮するんだろうな…(タカオは育ちのせいか人間として成長しすぎなんだよ)ただ、タカオの家族にも向かない気持ちが、ユキノという同族へフラストレーションの矛先が向かってしまったのだろう。

面白いか面白くないかは別として、新海氏自らの成長が垣間みれた作品としては次作が気になる映画となった。今後は、絵だけで表現出来るようにストーリーを排除しまくったアニメーションが観たいな。
しかしながら今作で最大の不満は、花澤香菜の声が浮いてたことだろうな。

NANA MIZUKI LIVE CIRCUS 2013まで後一ヶ月!

念願の大阪城ホールがイープラス先行で見事当選!(ありがとうイープラス)これで、本ツアーは、大阪1日目、西武両日、愛知両日の全5公演に参加出来ることが決定しました。肝心の城ホールはスタンドの後ろの方で、恐らくリウム海が綺麗に見えるだろうなーと言う席です。これまではアリーナが多かったので、遠いけど少し楽しみでもあります。1月ぶりの奈々さんのLIVEは楽しみだなー。

勝手にセットリスト予想 ※順不同です。

アヴァロンの王冠
Naked Soldier
LINKAGE
Lovely Fruit
Get my drift?
STAR ROAD
Crescent Child
奇跡のメロディア
約束
Happy☆Go-Round!
FEARELESS HERO
Astrogation
アオイイロ
夏恋模様
SUPER GENERATION
POP MASTER
suddenly〜巡り合えて〜
New Sensation
ラクル☆フライト
新曲:シンフォギアGの主題歌
POWER GATE
ETERNAL BLAZE
You have a dream
残光のガイア

サーカスって言うタイトルから、元気系ソングが多いのを予想、それとベースはロクネバからの曲が占めるだろう。ただ、UNIONとは違ってもう少しバラードが増えても良い気がするんだよな。ガイアは結構どこでもハマる万能型だし。シンフォギアGの曲がどれだけ激しいかで他のバランスも決まってくる気がするね。

さあセットリスト毎日考えて楽しみにまってましょうか。とりあえず目の前のキタエリLIVEに備えます。

ディカプリオの虚像と偉大な男『華麗なるギャツビー(2D/字幕)』を観ました。※ネタバレあり

[あらすじ]
ニック(トビー・マグワイア)が暮らす家の隣に建つ、ぜいを凝らした宮殿のような豪邸。ニックは、そこで毎晩のように盛大なパーティーを開く若き大富豪ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)と言葉を交わす仲になる。どこからやって来たのか、いかにしてばく大な富を得たのか、なぜパーティーを開催し続けるのか、日を追うごとに彼への疑問を大きく膨らませていくニック。やがて、名家の出身ながらも身寄りがないこと、戦争でさまざまな勲章を受けたことなどを明かされるが、ニックはこの話に疑念を持つ。(yahoo映画より)

[感想]
今更僕が、この映画というより、グレードギャツビーについて感想を語る必要があるのだろうか。あのアメリカ文学を代表する超偉大な1冊の本である。映画がどうだとか、語るのは別の人に任せて個人的ギャツビーへの想いをただ書き留めておきたいと思う。
僕があの偉大なアメリカ文学の『ザ・グレード・ギャツビー』と出会ったのは、ちょうど10年前くらいの頃で、僕はまだ高校生だった。当時の僕は、部活動(野球)にいそしむ毎日だったわけだが、家に帰ればでネットサーフィン(今思えば遅い回線だったな)をしたり、友だちと遊びにいったりするごく普通の高校生だったわけだ。それなのになぜか、ちょっとかっこよくお洒落ぶりたかったのか覚えていないが、海外文学に触れる機会が増えるようになる。それまで母親がしきりに読んでいたミステリー小説くらいしか読んだことの無かった僕は、背伸びをして、カフカやらサリンジャーやらを読みふけっていた。そんな中出会った、あの偉大な小説『ザ・グレード・ギャツビー』(僕は、原題『The Great Gatsby』の読み方が好きです)と出会った。小説というより彼に出会ったというほうが適切な言葉回しだろう。キラキラとしたパーティー、超豪華なお城、魅力的なギャツビーの存在と高校生を刺激するには十分過ぎる要素にどっぷりとのめり込んでしまった。
あれから10年ほど経った今でも、この物語と出会ったのは鮮明に覚えており、どこぞの整髪料のCMがギャツビーギャツビー言おうが、僕の中でのギャツビー像が作られてしまっていた。
それと、どこかギャツビーの虚像としての存在に、当時、素直な自分を出せなかった自分自身を重ねて考えてしまっていて、今でもそうだが僕自身ハッタリばっかり言っている。そんな近しい存在ではないが、どこか共感をしていたんだろう。それが僕がギャツビーを好きな一番の理由だと思う。

ギャツビー役をレオナルド・ディカプリオがやると知って、合うの?合わないの?とか色々と考えてみたが、映画を見た感想としては、レオナルド・ディカプリオ以外でも勿論成立するが、彼にとってはこの役をやることは大いなる意味があったんではないかと考えられた。ギャツビーは言えば、過去をやり直す為、『魔法少女まどか☆マギカ』の暁美ほむらや『Steins;Gate』の岡部倫太郎、『バタフライ・エフェクト』のエヴァンのように一途な想いがちょっとおかしな方向にふれちゃったかのようにひたすらデイジーのことを想う。無一文から成金として築き上げた城、ファッション、言葉使いだが、すべては虚像を意としている。その虚像は、あの『タイタニック』によってしか評価されなくなってしまったレオナルド・ディカプリオ自身の境遇に重なって見える。ギャツビーは自ら虚像を作ったが、レオナルド・ディカプリオはマスコミや世間の人によって虚像の存在として、作り上げられてしまったのだ。これほど、ギャツビ−に合ったというか、彼の人生に合った配役はあるだろうか。スコセッシの『シャッターアイランド』、ノーランの『インセプション』と近年の彼の作品は、悲劇な主人公を演じるのが記憶にあたらしい。しかしながら、今年、タランティーノの『ジャンゴ』によって、悪役で一つ上のステップへ俳優として進めたのだろう。そして、彼のキャリアすべてがかかった『華麗なるギャツビー』を終えた彼は、少し休むと休憩宣言している。(もう俳優辞めるとか聞いたけれど、本人曰く、少し休みたかっただけらしい)

そんな彼の状況と、僕のギャツビーへの想いを照らし合わせていくと、僕にとって、これはどう考えても傑作間違い無しな作品なのだ。ニックがギャツビーを初めて桟橋でギャツビーと認識したとき僕はぽろっと涙を流してしまった。それから、デイジーと再会するシーン、デイジーがシャツに埋もれるシーン、そしてラストとエンドロール含め号泣してしまっていた。(隣にいた人はどん引きしていたに違いない)
これほどまでに、客観的に観れなかった映画も珍しい。3D版もあるようなので、時間があれば観にいこうと思っている。とりあえず、僕にとっては間違いなく傑作映画でありました。

グレート・ギャツビー

グレート・ギャツビー