30分×4話のアニメにすれば良かったのでは?『渇き。』

『告白』で賛否両論の渦を作り出した中島哲也監督の新作『渇き。』を見てきました。

僕はあまり中島哲也作品は見ていなくて、『パコと魔法の絵本』と『告白』くらいしか見た事なかったのですが、特に苦手イメージはないけど、記憶にもさほど残っていない、そんな距離感。

「パコ」と「告白」というと、ドギツイ感じの色使い以外はなんとなく作風が違って感じますが、僕の少ない記憶を辿ると今作も「告白」路線。激しいカット割りにミュージックビデオ風のしゃれた構成。それに、印象的なカットを反復させて何度も使用し、サブリミナル効果的なドラッグ感に酔わせると言った作風。今作は、特のその演出が顕著に出ていて、もはや「映画」というか「映像作品」の世界に入り込んでいる。

ミュージックビデオ的な一瞬一瞬の快楽の積み重ねで構成されているが、それ以上に「アニメ」っぽさがニュアンスとして、しっくりくると思った。人と人が対峙しているのに、やたらと視線が交わらなかったり、急にアニメーションを使ったり、「不思議の国のアリス」を引用することで、寓話っぽさといったらいいのか。アニメ的な作り物の物語に感じられた。

「アニメ」っぽさ演出は、役者や台詞回しにも感じられる。やたらと「狂っている」とか「愛している」(だったっけな)といったような台詞回しを反復させることで非現実感を生み出し、(わざと狙ってやってるであろう)役所広司のバリュエーションのないキレる・怒鳴る演技の連続させることで人物を記号的に扱っているように感じた。役所広司もそうだったけど、橋本愛のキレる・怒鳴る演技も全て一緒で、どこか嘘っぽさを感じる。この辺は映画的というより、アニメっぽさを追求していたんじゃないかな?と感じた。

ただ、正直この「狂っている」という台詞だったり、「狂気」的なテンションは、演技が全て一定で起伏がなくアニメっぽく感じたので、さほど「狂気」は感じられませんでした。一般的なことを言うけど、「過剰」には引き算が必要だと思う。この「狂気」のテンションを「アニメ」の方法でやってしまったので、この映画の特色であるドラッグ感が「映画として」減退したように感じた。

アニメ的な演出や記号的な俳優の使い方であれば、やはり「アニメ」にしたほうがいい。複雑なカット割りで全体とコントロールするような作り方は、多分「アニメ」の土俵にあると思うし、このコントロールされきった「狂気」はどこか嘘っぽく感じてしまった。「木の葉を隠すなら森の中」じゃないけど、もし「アニメ」だったら、映っているものがそもそも作り物(嘘)なのであるから、「狂気」という嘘も嘘のなかに隠せると思う。だから個人的には、120分の尺であれば、4分割して30分アニメを4話で構成した方が、もっと好き勝手コントロール出来るし、面白かったのではないだろうか?と感じてしまった。

あまり否定ばっかりだとあれなので、良かった点を挙げると、妻夫木聡の全く人間味のないナレーター的な演技が良かった。やっぱり、こりゃアニメのナレーター的にガイドラインを意味深に知らせる役として任せた方が映える!と少し興奮してしまった。結構いい味出してましたなー。


総じて考えると、中島哲也がやろうとする試みとしては決して悪いと思いませんでしたが、ちょっと土俵が違うんでないでしょうか?というような疑問が拭えなかったです。まあ、賛の声も聞こえるので、こうして日本映画が注目されるのも悪くないのではないでしょうか。それと、書き終わってから気づいたんですが、全くストーリーに触れてませんでしたね。珍しくネタバレなしで締めます。

果てしなき渇き (宝島社文庫)

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