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廣瀬浩司授業資料格納所、メモ

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2018-04-13

先端文化学演習I シラバス(最新版)コピー

フランス思想をフランス語(英語)でたのしむ

先端文化研究とフランス思想研究。メルロ=ポンティを中心に、さらに読み進んでいきます。原則としてフランス語原文を参照しながら、ゆっくりとゆっくりと読むことにします。フランス思想そのものに関心のある人は、英訳による参加もみとめます。フランス語の読解能力を深めたい人の参加も認める。フランス語を平行して学習する人も認める。とにかく精読したいので、数行ずつ、1頁ずつすすむことから始めますので、フランス語に自信のない人もおそれずに参加してください

現代文化について深く考え、論文を仕上げるには、欧文を直接読解することが不可欠である。単語レベルでも確認することが必要です。原則としてフランス語を中心にしたいですが、英訳や邦訳ももちろん参照して下さい。芸術論と晩年の思想を中心とする予定です。

AC64102 先端文化学演習I
1.5 単位, 2・3 年次, 春ABC 火3
廣瀬 浩司
授業概要
[身体・感性文化論演習] : からだの感覚は、文化とどのような関係にあるのか、基本的な文献を講読しつつ、ひとつひとつ丁寧に考える力をつける。
備考
AC32802と同一。
授業形態
演習
授業の到達目標及びテーマ
現代文化研究とフランス思想研究。メルロ=ポンティを中心に、フランス思想のテクストを読む。原則としてフランス語原文を参照しながら、ゆっくりとゆっくりと読むことにしたい。フランス思想そのものに関心のある人は、英訳による参加もみとめる。フランス語の読解能力を深めたい人の参加も認める。フランス語を平行して学習する人も認める。とにかく精読したいので、数行ずつ、1頁ずつすすむことから始めますので、フランス語に自信のない人もおそれずに参加してください
キーワード
メルロ=ポンティ,デリダ
授業計画
現代文化について深く考え、論文を仕上げるには、欧文を直接読解することが不可欠である。単語レベルでも確認することが必要です。原則としてフランス語を中心にしたいですが、英訳や邦訳ももちろん参照して下さい。言語論、芸術論を中心とする予定です。さしあたってメルロ=ポンティメルロ=ポンティ『間接的言語と沈黙の声』1を精読することから始めます。
第1回 イントロダクション
第2回 メルロ=ポンティ『間接的言語と沈黙の声』1
第3回 メルロ=ポンティ『間接的言語と沈黙の声』2
第4回 メルロ=ポンティ『間接的言語と沈黙の声』3
第5回 メルロ=ポンティ『間接的言語と沈黙の声』4
第6回 メルロ=ポンティ『間接的言語と沈黙の声』5
第7回 討論
第8回 テクスト2
第9回 テクスト2の2
第10回 テクスト2の3
第11回 討論
第12回 テクスト3
第13回 テクスト3の2
第14回 テクスト3の3
第15回 まとめ
フランス思想などの予備知識はいりませんが、現代の文化、芸術、言語論についての関心がないとおもしろくないかもしれません
評価方法・基準
人数によるが、原則として 授業参加、発表(五〇%)、まとめ的なレポート(五〇%)
参考文献
プリントで配布します。フランス語原文は配布、英訳は希望により配布。邦訳も参照してよいですが配布はしません。
1. Merleau-Ponty,Signes, Gallimard
2. Merleau-Ponty,The Merleau-Ponty Reader, Northwestern University Press;
3. メルロ=ポンティ,『シーニュ1』(みすず書房)
4. メルロ=ポンティ,『間接的言語と沈黙の声』(みすず書房メルロ=ポンティコレクション)
5. 松葉祥一、本郷均、廣瀬浩司編,『メルロ=ポンティ読本』(法政大学出版局)

オフィスアワー



その他

2018-03-19

ヨーロッパで人文学を学ぶ


ヨーロッパ人文学を学ぶ
――フランスベルギーへの留学と国際的コミュニケーション
来聴歓迎
日時:3月21日(水)13:00-16:30
場所:人文社会棟 A721


13:00:「イントロダクション」 廣瀬 浩司(現代語・現代文化専攻)
13:05-14:00 :「フランスで研究することーー精神医学現象学をパリで学ぶ」
講師:佐藤 愛 氏
立命館大学言語教育センター嘱託講師、パリ第一大学哲学科留学)

14:00-15:00:「ベルギーで研究することーー境界の揺らぐ「小国」で学ぶ』
講師:吹田 映子 氏
日本大学非常勤講師ブリュッセル自由大学美術史考古学科留学)
(休憩)
15:10-15:30:「フランス語圏への留学と研究
――DELF/DALF(フランス国民教育省認定フランス語資格試験)の概要を中心に」
講師:縣 由衣子 氏
(現代語・現代文化専攻博士後期課程、ルーヴァンカトリック大学・哲学科留学)

15:30-16:30:自由ディスカッション、質疑応答

大学院ヨーロッパに、とりわけフランスベルギーなどのフランス語圏に留学して研究することはどのような経験なのでしょうか。そのためにはどんな準備が必要なのでしょうか。
フランスベルギーに留学された二人の若い先生をお招きし、準備段階の心構えから、留学時の国際的コミュニケーションの楽しさや苦労、研究のなかでの位置付けなどを語っていただきます。
またベルギーに最近留学した博士課程の学生に、資格試験の勉強などについても語っていただきます。
フランス語圏への留学についての質問なども受けつけます。どなたでもお気軽にご来聴下さい。留学に興味のある学類生も歓迎いたします

連絡先:廣瀬浩司(hirose.koji.gt@u.tsukuba.ac.jp)

主催:平成29年度「教育戦略推進プロジェクト支援事業」
「人文系大学院生のキャリアのグローバル化資する
国際的協働による学位プログラムへの取組」

2018-01-16

先端文化学演習II:「語る言葉と語られた言葉」

メルロ=ポンティの言語論

・『知覚の現象学』(1945)の「表現としての身体と言語」の章。身体表現の創造性と言語の創造性を並行したものとしてとらえる(「語る言語(parole parlante)」と「語られた言語」(parole parlée)の区別。「セザンヌの疑い」にも、「初めの言語」の例があることに注意。

・『意識と言語の獲得——ソルボンヌ講義』(1949-1952)心理学言語学との関係。

・『世界の散文』(1950年代。未完のまま、「間接的言語と沈黙の声」という論文にする。『シーニュ 1』所収)。ソシュール構造主義を取り入れる。差異としての意味。言語体系の重みをどう考えるか。言語体系の重みを担いつつ、側面的に意味を創設する働きを模索。「間接的言語」。


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問い:
・一方で私たちは言語体系がすでに制度化された世界に投げ込まれる。そんななかで、たんなる既成の意味の交換ではないような、言葉を発することができるか。そのときその「言語」と「意味」はどのような関係にあるのだろうか。
→ 「言語が自立したシステムをなしていること」、それでも「新たなことが語られる」ことはどう両立するのだろうか。メルロ=ポンティは「無からの創造」を否定していることに注意。

・「記号と意味の結びつき」と「間接的言語」(初めての言葉、「それまで語られなかった何か」を語る言葉、「他者に何かを伝え、何らかの意味を真に共有するような言葉」)
→ 「斜めの意味」とはどのようなものか?「側面的な引き込みによるコミュニケーションがある」(『制度化講義』未訳)

・言語における受動性と能動性の絡み合い
・そのうえで身体表現と言語表現のあいだの区別を考え直す。

2018-01-09

西村ユミさんと解釈的現象学

西村ユミ
「患者を理解するということ──看護師の経験、その身体性に学ぶ」

1 看護現象学とは
Cf. ベナー『解釈的現象学ーー健康と病気における身体性・ケアリング・倫理』(医歯薬出版株式会社
解釈的現象学とは。
「解釈」→
・「説明」と対立
・世界における人間の「自己了解」
・歴史上のある文脈に依存した実践知の理解
・その実践における暗黙の自己了解を、その行動のうちに見て取る。
・我々の理解はそれ自体が身体性(embodiment)に根ざしている。

さらに
人間存在の時間性を考慮すれば、「語り」とその時間的な変化を追うことも重要になる。

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II. 西村ユミ「患者を理解するということ──看護師の経験、その身体性に学ぶ」(『現代思想』2008年臨時増刊号)
参考文献:『語りかける身体』(ゆみる出版)『看護実践の語りーー言葉にならない営みを言葉にする』(新曜社)『ケアの実践とは何か』(榊原哲也と共著、ナカニシヤ)

1 患者その人を理解することどのようなことか。
・誰にとっても理解可能で活用可能な情報を集めることによる「チーム医療
・患者から客観的に取得される客観的情報(看護師の能力に依存)がある

問い:患者を理解するとは、このような客観的情報を基盤にするものなのか。
→ 看護師から患者への方向の理解でも、看護師の能力の問題でもなく「両者の関係として現れる、患者を理解しようとする看護師の経験自体の成り立ち」を捉え直すこと。

2 看護学生Aの例
学生の経験が、熟練者の習慣によって覆い隠されたものを暴き出すという仮説。
とくに、学生がある特定の患者に引き寄せられる、という経験に注目。

3. 経験の分析
1)気がかりに促される
知覚自体に疑問や関心が内包されていること。
2)自分の気持ちがわからない
自分の援助の方向性が「何か違う」とき。学生自身のまとまりのなさ。
3)「同じ気持ちになれたという感じ」
患者と一緒に居ることを通して直に感じ取られてしまう感覚(間身体性)
4)一緒に過ごす時間
自分の気持ちが患者の気持ちを感じる手がかりになり、その逆も成り立っていた。

患者を理解しようとすること。
1)患者に促された理解
「気掛かり」を足場とした関係。他者に促された経験。
他者とともにある私、患者とともにある医師
2)他者を知ること/自己自身を知ることを学ぶこと
「患者の立場に立つ」ことの自己中心性。
患者の「ペース」で考えない。

「患者を理解しようとする」ことの問い直し→自己の実践を知る+病の経験が、そのひとの人生の歴史の「今」であることを知る。

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コメント
・病院という「真理」「知」の場において、そうした真理が立ち現れるのに看護師の実践が関っていること。
・その実践の真理は、語りの実践の時間的プロセスの中においてこそ、次第次第に見えてくること。
看護師当事者ではなく、そこに参与している「第三者」(?)にのみ見えてくるプロセスがある。「被関与的な傍観者」が「到来」する、ということ
・この真理は、普通の意味での「誤謬」とない交ぜになったプロセスとして展開する。
・「間身体性」は後からしか気づかれない。根源的関係性はつねに遅れてやってくる。ここにこそ真理と誤謬が交錯する場がある。
・語りの時間性、看護師の時間性、患者の時間性の接続。患者の「生」はつねに部分的にしか知り得ない。部分的であることにおける普遍性。「側面的普遍性

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可能性と問題点
・実践の「改善」の可能性。規範的な行為からの「ずれ」において創出される関係性。
・この実践は医療器具などの「もの」も含むシステムと関係している。
現象学的な「記述」を通して「超越論的な領野」(メルロ=ポンティ)が開けてくる(
『知覚の現象学』第三部。

・実践的知と医学的実践の知の関係。背反的なものか
・言語的な語りと身体的実践の関係は一致するのか。言いよどみと事後訂正に注目すること。何が語られているかではなく、語りながら考える思考形態。
・人間的な「理解」と、科学的な知の関係は相反するのか。
看護師の「習慣」をどのレベルで設定するか。
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メルロ=ポンティへの連想
・側面的普遍性。真偽の交錯。部分と全体との相互侵入
・「制度」をどのレベルで設定するか。
・耳が聞こえない人が、相手の身振りの表情において、他者の現れを感知すること
・語りの変容における同一性
レヴィナス的な呼びかけ、応答モデル(「顔」モデル)との相違
トラウマなき出会いの可能性

2018-01-04

セザンヌの懐疑以降

「なんか間主観性の話で行き詰まっているのだけれど」
「そうではない、学説史なら言えるのかもしれないが、とつじょ退屈したのだ」
「はあ」
「自己と他者というタームで考えるのに退屈したというのがひとつ」
「ほお」
「それからそもそも対話』という形式に退屈したのだ」
プラトンモデルだものね」
「それを逃れるために、一頃はやったのが『シミュラークル』だった。シミュラークルとしての
ソフィストシミュラークルとしてのソクラテス。」
「中期デリダ対話形式もそれだね」
「そう、ふたりだとだめなのだ」
「大勢で討論すればいいわけ?」
「それは考えるだにおそろしい」
「でしょ。『私たちひとりひとりが多数であった』なーんちゃって」
「3人もだめ。理由は言うまでもないけれど。」
弁証法か」
「まあそうかもしれないヘーゲルに失礼とも言えるが」
「2.5人って感じがいいんじゃない」
「方向としてはそうだ」
「3人にして、ひとりはひたすら黙っている、とかね」
「いい線かもしれない」
「....」
「どうした」
「....」
「どうしたのだ」
「ああ、もうおしまいだ」
「ええ!」
「てな感じかな」
アルトーっぽいなあ」
「まあ思いつきとしては、マルクス兄弟哲学すればいいんじゃないの」
「映画か」
「昔あれを、自我超自我、無意識にたとえた人がいたけれど」
「そういうのを賢しらという」
「そうだね」
「ただ間主観性のモデルを、マルクス兄弟から出発して考えるというのは
悪くない発想ではあるな」
「乗り気じゃないね」
「なんかフランス批評ぽくてさ。男だけというのもいかがなものか」
「まあそうだ」
「シテ、ワキ、間狂言、ってのはどう?」
「趣味としては悪くないが、やはりヒエラルキーが固定されているのが
気になる。」
間狂言がいちばん強くて、シテが一番弱い能とか。。。ないか」
「いずれにせよ逆転の可能性が確保されていなければならない。能に
そういう要素がないとは言えないけれど。」
「それに男性中心主義とも言えないな
女性性はシテが担う。弱さも担っているかもしれない。それは面白いけれど、
証言者のワキや物語性の担い手の間狂言は男なんだな。」
「物語や証言は男性中心主義的であるってことだ」
「ほんとかな。いずれにせよ、各人が各人の役割を交代でやれがいいのだけれど。。。それをシステム化
する枠組が必要だと」
「行為の枠組、記憶を呼び起こす装置としての枠組、変容を引き起こす枠組、などなどかな」
「能にそれを委ねるのは難しいんじゃない」
「演劇でなくてもよいのだ。演劇も制度なのだから」
「制度が演劇的なんじゃないの」
「ちがう、演劇が制度的なのだ」

2017-12-26

『眼と精神』キーワードメモ

『眼と精神』キーワードメモ
・視覚と運動の絡み合い。驚くべき重なり合い。→ 重なり合いは「ずれ」も含むか。
・地図の比喩
・身体はみずからを動かす。
・見る者であると同時に見えるものでもある。相互相互に内属する

p. 260-261
・物のあいだにとらわれている自己、その表と裏、過去と未来 → 解説の「メビウスの輪」の比喩
・見ることは、諸物の直中から見る。
・結晶の比喩

「自己」という内部性は、物質的配置以外のものではないが、その「結果」でもなく、それ以上の何か(意味?)を生み出す。

→ 「絵画」という「謎」の誕生。二乗された見えるもの、肉体的本質、イコン
・ラスコーの絵画の例
イマージュという言葉についての諸説
1) たんなる事物の複製、弱まった知覚。これを「精神」が解読する
2) サルトル。知覚と想像を区別。想像は独自な志向性。「不在」なものを目指す。不在のものが現れる(準現前。「想像の中の柱は数えられない」)
→ 想像的意識とは「無化」である。
3) メルロ=ポンティサルトルの到達点から出発。知覚と想像(存在と無)の区別に当てはまらない次元を掘り下げる。知覚にも夢的なものがある(受動性とその時間性)、想像も無ではなく、現実を織りなしている(現実の想像的織地)

「外部の内部である。」「感じることの二面性」
付記:解説より。「外部に遠心化すると同時に内部へと求心化する」364

2017-12-25

西村ユミーー他のシステムへの「イニシエーション」の現象学

リズム論について
・クラーゲス『リズムの本質』
ドゥルーズ千のプラトー』「リトゥルネロ」の章
・山下尚一(超越論的リズム)『ジゼール・ブルレ研究―音楽的時間・身体・リズム』(ナカニシヤ出版
土方巽(プリント)

◎ 問い : ナルシシシズムについて:自己との関係が他者との関係の「開かれ」であることを理解すること。
ヒント:ナルシシズム他者がない、と言ってしまうと、発達障害自閉症児や芸術家の「自己」を積極的に論じることができないのではないか。外部から他者を持ち込む立場(フロイト超自我)ではなく、宗教的な「内なる他者」でもないような、他者の「現れ」を問題にすること。

・自己との関係(自己触発=時間の流れと関係)が、同時に他との関係であること。自己がまさに閉じられようとする瞬間に、他が入り込んでくること(デリダ
時間の中の空間性(「間隔化espacement」)

メルロ=ポンティ:時間性の「厚み」を身体性において掘り下げる。「肉」
→ 宮本省三論文を熟読。自己触発が生じる以前には自己も他者もない。指しゃぶりにおいて「痛み」という出来事が生じるとき、自己にとっても、それを見ている他者にとっても「何か」が起きたという出来事が生じる。
→ 西村ユミ論文他者の生への参入(イニシエーション

cf. ミシェル・アンリデリダ他者への開かれに先だって、さらなる内在性がある。

オートポイエーシス論:「入力も出力もない」

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西村ユミ
『語りかける身体』(ゆみる書房)『看護実践の語り』(新曜社
西村ユミーー他のシステムへの「イニシエーション」の現象学

2017-12-17

ナルシシズムから始まる間主観性

指しゃぶりのようなナルシシズム(自分の身体が痛い)、遊具との戯れ → 「そこ」で「なにか」が「生起している」こと
→ その出来事への「引き込まれ」 → その場における「他」なるものの生起 → それと「対位法」的に生起する外部の
出来事 → 両者の境界の生起 → それに外部から傍観者的に引き込まれるかぎりで、他者として振る舞う「ひと」の到来
→ 「ひと」がナルシス的身体と接続すること

2017-12-12

先端文化学研究6 セザンヌの懐疑 メモ2

セザンヌの懐疑メモ、その2
・シンボル:病的なものの「記号」ではない(意味との「差し向かい」ではない)10
セザンヌの「デフォルマシオン」について。生まれつつある秩序、根源において捉えられる自然(16)として

・「奥行き」について。この問題についてメルロ=ポンティは『知覚の現象学』の空間論でも取り上げるが、とくに晩年において、「奥行きは第三の次元ではなく、第一の次元である」(『眼と精神』)とする。それは
・奥行きとは、見える世界の「端」でかいま見られるものであるが、見えるものに含まれているもの、さらには見えるものの構造を支えたり、さらには構成したりするものである。
・それはだから「無」ではなく、見えるものの「表情」として現れる。表情とは、物の肌理、色彩のコントラスト、物の「雰囲気」などであり、そのひとつひとつが、物全体、世界全体の「表現」となっている。
・身体はまさにこの奥行きにすっかり包み込まれている。身体自身も見えるもののひとつとして「見る」。
・何を見るのか。見えるものを見えるようにしている「働き」(それ自体は見えない「可視性」)こそを、見えるようにする。「根源的に現前しないものの根源的な現前可能性」(『見えるものと見えないもの』)
・それによって身体が「動くこと」ができるような場が感じ取られる。
cf. 家高洋『メルロ=ポンティの空間論』大阪大学出版会

・モチーフ:生まれ出ようとする有機体(22)風景が私の中で思考する(22)
→ いわゆるミクロコスモスマクロコスモスの照応? しかしセザンヌは有限な身体でありつづけるし、失敗することもある。
メルロ=ポンティにおいて絵画は「騙し絵」ではない。あらかじめ他者と共有されているもののコピーやイリュージョンを作り出すのではない。むしろ他者と共有されるかもしれない「何か」を作る、何かが現れてくるような「隙間」「隔たり」を穿つ。
・表現 p. 22, 24, 27。これと「言語」の問題がかかわる(最初の人間が語ったように語る=これをメルロ=ポンティは「語る言葉(parole parlante)」と呼ぶ。言葉が言葉になる場であるような「隔たり」=同時に世界が「語ろうとしていること」を「取り上げ直す」

時間論について
・未来と過去との交換関係。そのあいだにさまざまな反響や暗示や繰り返しやつながりがある(33-34)
しかしそのような交換関係は、あるひとりの人間にどうやって組み込まれたのか。なにか「根源的な出来事」があったのか。しかしそれを探究すればするほど、出来事の意味は重層化していく。シンボルは多義的になっていく(フロイトの多元決定)

cf. フロイト「正夢について」
フロイト現象学)が問うている「根源的出来事」とは、前客観的な次元を創発する出来事であり、回顧的な問いかけに裏打ちされてのみ「意味」をあらしめるような出来事である。その出来事はそれが「現実」であるか「虚構」であるかとは無関係に「ある」。多数の解釈を引き起こすかぎりで唯一性を持つ。これが現象学のいう「地平」の「根源的創設」である。





出席者コメントより
・生の循環運動について。象徴があり、生の歴史のつながりから、一貫した方向付けを見出しながら自由があり、微妙な差異をうみつつ、くりかえされるありかた。他者キャンバスをとおしてのみ(差し向かいでなく)かいま見られる。
・直線的な規定ではなく、取り上げなおしが至る場面で可能。とりあげなおすという行為によって生まれる「ずれ」がそのときの自己の変化とも言え、目に見えることのない自由の獲得だと(あとで)わかる。
・循環:変容していく自分自身のこと、そこから過去や未来が結び付いていくというイメージ
選択するその瞬間、一瞬のみがつねに不確かなものとして、眼に見えず、存在する自由が現れるときであり、上方へと移行するスパイラルのなかで自由を通り過ぎ、追い追われている(つかめない):

・自分自身そのものは運命的、受動的に与えられるものという前提 → 生まれの現象学。「私が私に与えられている」(『知覚の現象学他者の章)
自由とは「選択」なのか?
・作品を完成させることは不自由なのか

因果関係を毀し、関係性を別のしかたで構築することで、その二者のあいだにある厚みのある間に意味の生まれがあり、自由がある。
・過去とつながりつつつながっていない自己の連関のなかで、その瞬間毎に選択を行っている。

精神分析学が明らかにしてくれることは私たちを自由にするのか
自然科学の因果性の必然的関係性を肯定的にとらえて昇華している哲学者はいるのか?

2017-12-03 先端文化学研究6:小レポートに向けて このエントリーを含むブックマーク

来週の小レポートについて
目的:期末レポートの課題となるような問いを立て、それに答えるための材料集め、分析結果の見通しを立てる。土方、オートポイエーシス論、人見眞里の発達論などをひろく論じることが望ましい。

評価点:
・講義の内容に即した課題や問いが設定されているか。
レジュメのまとめではなく、そこで挙げられた例や方法に密着した記述がなされているか。
・講義の理解度、その自分なりの発展、さしあたっての結論などができているか。
・論述の形式はレポートに準じること。すなわち
ー題名(必須)
―序:自分なりの問い
―本文(いくつかの段落に分ける)
―結論(さしあたっての見通しでよい)
・文章力
・注意点。理解できなかった点ではなく、自分なりに理解できたことを書くこと。そのうえで自分が探究すべき材料(実際のパフォーマンスやビデオ)や課題は提起するのはよい。ただし他の授業で扱っているものは使用不可。
・他の文献を使ってもよいが、出典を明記できるようにしておくこと。土方の言葉はプリント、レジュメに基づいてよい。
・資料はすべて持ち込み可。
ちょっと復習:
1) 土方について項目(10.16レジュメに土方の言葉あり)
(一)正確に経験の裂目をみきわめること
(二) 「自分の肉体の中の井戸の水を一度飲んでみたらどうだろうか、自分のからだにはしご段をかけておりていってみたらどうだろうか。自分のからだに闇をむしって食ってみると思うのです」(H II, 11)
(三)はぐれている自己の身体を熟視すること
(四)器としての身体
(五)オブジェの採集
(六)死んだ姉のイマーゴ
問い:土方の言説は一見して自己の身体とのナルシス的関係の強化である。そこに「観客」はどうかかわるのか。土方が「スペクタクル」や「参加型アート」を拒否したことは、観客の拒否なのか。
オートポイエーシス
課題の抜き出し(レジュメより)
1) 行為がいわばパターン化してしまったときに、どのように「内感領域の分節」を活性化させるか。
2) そのためにどのような「行為誘導イメージ」を作り出せばよいのだろうか。
3) 触覚性感覚は、「認知」や「注意」の手前で、調整機能や気づきや行為的選択を可能にしている。このような次元を「前景化」するにはどうするか。
4) 発達、能力、学習、身体内感と言語の差異など
人見眞里「ゼロのキネステーゼ」までに
・身体の重さが「ゼロにセットされている」こと。その内感のたえまない更新可能性による安定。
・外界の差異の予期と感じ取り
・下向きの垂直性と上向きの垂直性:行為における自分の身体の支持、指定のための潜在的重力

脳の損傷による機能解離や「障害
・意図と解離した動き(のなさ)
p. 202以下のSくんとYちゃんとWくんの例
・「つながろうとして断ち切られ、到達しようとしてはそこが立ち消えるような経験の蓄積」(p. 203)
・「彼の身体のゼロポイントは、感じ取られてしまう様々なベクトルの中で、あるいは感じ取れない下肢のぶんを勘定にいれない形で、自身の身体のサイズよりさらに小さく組み替えられて、最小限に更新され続けている」(p. 205上)
更新のモードが活性化されない。

セラピストは何をすればよいのか、何をしたらいけないのか(p. 205-6)
・視覚と接触と動きを主要なテーマ(Sくん):世界が動く、あるいは自分自身がそこへ向かうということがどういうことなのか了解できた
・世界に向かう手がかりを得ること、自分の身体について感じ取りながら持続的に注意を積み重ねること(Yちゃん)
背信のモードを身のうちに抱えながらも、すこしずつ世界への信頼を得ようとしている

これらは「身体全体が実際の動きに向けて準備を整えた状態、すなわち「ゼロのキネステーゼ」である。p. 208

より詳細には「脳性麻痺リハビリテーション
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/4572.pdf
参照(写真などもあり)。