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paris-rabbit-sanの日記

2010-08-26 おせんべいと文化

新潟といえば、米から派生する酒や米菓がまっさきに思いつく、という人は少なくない。

が、新潟の米菓、とりわけおせんべいがいかほどにうまいか、僕には正直よくわからない。

新潟寿司金沢のそれと比べてそうでもないのは、そういう素材に頼りきってしまって、

それをより洗練させる術を積み上げてこなかったからではないか、と思うがいかがなものか。

これはアートへの理解度、あるいは普及度とも相関関係にある。

何をおいしいと思うか?

何を美しいと思うか?

この問いに対する答えの根底に「文化」というものが脈々と流れている。


原研哉さんの「デザインのデザイン」を思い出す。

デザインのデザイン

デザインのデザイン

日常は美意識を育てる苗床である。

先にクルマや住空間の話を引合に出したが、たとえばコンビニエンスストアで販売されているような

もの一つひとつに実はエデュケーショナルな効果があって、僕らは毎日これらのものを通して教育されている。

一方で、精密な販売データの解析がスーパーやコンビニを通じて日々行われている。

マーケティングは新鮮な感受性もキャッチすれば、怠惰の方向に傾斜しがちなユーザーの性向をも正確にキャッチする。

精密なマーケティングはこの「ゆるみ」とでも呼ぶべき顧客のルーズさをもしっかりと分析し、

商品という形に仕上げて流通させていく。

顧客の本音に寄り添った商品はよく売れるが、これは一方でマーケティングを通した生活文化の甘やかしであり、

この反復によって、文化全体が怠惰な方向に傾いていく危険性をはらんでいる。

そこに生み出される商品は、グローバルな視点で見た場合に、かならずしも他の市場を啓発するような力を持ち得ない。ヨーロッパ型のブランドがある特定の個性を強い意志で保ち続けるのに対して、

日本の日用品はマーケティングの反復によってどんどん「怠惰」で「ゆるみ」のある商品に変化していく。

結果として、日本人はコンビニやスーパーでの買い物と、ブランドショップでの買い物に二極化していくのだ。

もしも、デザインという、生活環境におけるものに対する合理的な見方が、せめて義務教育の初期に行われていたならば、生活者全体の性向は変わっていたかもしれない。

マンホールの蓋がなぜ丸いか。丸くないと蓋が穴の中に落ちてしまうから」というのは数学の問題ではなく、

デザインの問題である。だから、さらに根本的に言うと、日本人にはデザインの基礎教育が不足しているのである。

ただ、ここで僕が書いてきたのは、そういう基礎教育の提案ではない。

これからの経済は少なくとも「生産技術」の競争に加えて、フランチャイズの市場に潜在する「文化レベル」

の競争になる。それぞれの文化あるいは市場から、いかに他の市場をインスパイアできる製品を生み出せるか。

そういうことを予見しつつ、市場という畑を肥やしていくという可能性について僕は思いをめぐらせている。

顧客が求めているもの以上のものを提案する、ということは、その顧客はその提案することをおそらく当初は理解しない蓋然性が高いことを意味する。

そのような活動をビジネスの枠組みで行っていくことの難しさを感じるとともに、

またそれ以上の魅力をも感じるから不思議である。


僕はまだ「文化」という陳腐化された言葉が決して嫌いではない。

2010-08-23 ブログにてリツイートしてみる

内田先生の新刊を読む。

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

専門家の見通しではないにしても以下のような予測は、あるいはそうなのかもしれない。

総数600万と呼ばれるブログには、これまで身辺雑記エッセイが多く含まれていました。

ところが、ツイッターという新しいメディアが出てきました。

これはいかにも日常の出来事を「随筆風」に点描するのにジャストフィットなツールですので、

ブログ日記の書き手たちの相当数はすでにツイッターに流れています。

いずれ、ブログにはそういう「やわらかいネタ」を控除した残りの、政治経済文化社会のもろもろの自称についての

「演説」に類するものが残されるのでないかと僕は予測しています。

『街場のメディア論』191頁より


僕のも間違いなく身辺雑記の「随筆風」なそれであるので、ブログにあらたまってつらつらと書くほどのことでは

ないのかもしれないことを自覚すべきであろうが、まだツイッターに対する知識があまりにも低いので、

もう少しばかり、この場を借りることになるだろう。


そのよくわからないツイッターには「リツイート」という機能があるらしく、その説明は以下の通り。

リツイート

【英】retweet, RT

リツイートとは、Twitterにおいて、他のユーザーのツイート(つぶやき)を引用形式で自分のアカウントから発信することである。

「RT」と表記されることが多い。

一般的に、リツイートを行う際は「RT @(ユーザー名)」といった形式の引用元情報を添えて、本文には変更を加えずに、

フォロワー(自分のツイートを受信している他のユーザー)に向けて発信される。

リツイートを行うことで、自分が興味を持った誰かのツイートを手軽にフォロワーへと流すことができる。

つまりこの話興味深いからぜひ読んでよ〜ということが奨励されているのである。

自分が語ろうとしていたことをそれ以上にうまく語っている場合、わざわざ書くよりも、それをそのまま引用元を含めて紹介するほうが

合理的であるし、読み手にも伝えたいことが伝えやすいに違いない。


で、僕としてもブログ上でリツイートしてみたい。

ずっと残り続けるものであれば、リンク先を紹介するだけでいいのだけれど、この場合はそうではないので、

ここでの全文引用を許していただきたい。(糸井さんごめんなさい。)

ほぼ日の「今日のダーリン」8/23(という名のエッセイのようなもの)より。

「復活」を感じさせることって、ありますよね。

たとえば、土曜と日曜のニュースで知った

水泳、平泳ぎ北島康介選手の、

パンパシフィック水泳での活躍ぶり。

100メートルと、200メートル、ふたつの優勝でした。


おそらく、過去の成功体験をいちど切り離して、

別人のようにじぶんの水泳を組み立て直して、

そうして勝ち取った結果だと思うんですよね。

 

一度だけヒーローになることも、ほんとに難しい。

しかし、二度、三度と頂点に立つような人って、

奇跡のようにさえ見えます。


おそらく、なのですが、

一度目にヒーローになった選手と、

二度目にヒーローになった選手と、

三度目にヒーローになった選手は、

同じ名前の同じ人なのですが、

別の選手なんだと思うんです。

北島康介1号」「北島康介2号」「北島康介3号」って。

前のじぶんを、引き継ぎはするものの、

とても重要ななにかを「捨てる」ことをしないと、

「復活」と言われるような、

二度目三度目の活躍は絶対にできないと思う。


人は、少しでも向上すると知っていたら、

けっこうしっかりと努力をするものなのです。

特に、すばらしい活躍をしたことのある人なら、

なおさらのことです。

だけど、うまくいったじぶんの方法を、

変えたり捨てたりするのは、ほんとに難しい。

進化には「否定」の要素があるんですよね。

(太線部は引用者による)


僕もなにかを捨てるってことが、次の階に続くドアにたどり着けるカギを見つける方法かな、

ということを考えます。

日々努力することって、同じフロアを奥へ奥へと進むことであっても、それにはいつか限界がきます。


たまにこんなたとえ話をします。

標高300メートルの山の山頂にやっとのことで登り切った人が隣に見える標高600メートルの山に登るには

まずその今まで、何年かかかって登ってきた山を下りなければならない。

それが捨てる、ということです。


しかしながら、その捨てるということがばかばかしい、あるいは、めんどくさいと思う人は、

その300メートルの山がいかに高いかを語るための情報を集め、いかにその道のりがたいへんであったかを語ります。

過去を美化することにより、自尊心を維持するのです。

冷蔵庫のありもので、なんとかするのです。

主婦の知恵としては褒められたものですが、プロフェッショナルとしてはいかがなものでしょう。


逆に、その300メートルの山ではもの足りず、隣により高い山がある以上、なんとしても登りたいと思う人は

せっかく登った山を下山し、隣の山にゆっくりと登り始めます。


それが今までを捨てて、進化する、ということかな、と思います。


北島選手には3回できたものを、僕だって、美容師だって1回はきっとできるはずだし、必要なはずです。

2010-08-22 腰が痛い

腰が痛くて我慢してたのだけれど、ふつうにしてても痛いので、医者に行った。

レントゲンを取り、骨に異常がないことがわかると、(でも、僕が痛いっすと言うものだから)

10分間電気を流すリハビリとやらを提案され、最後に痛み止めを処方される。

もっと痛いのなら腰に注射を打つらしい。

週1で、できれば週2でこのリハビリをしてほしいと担当の女性が言っていた。

確かに、ほのかに来たときよりもラクになった気はするけど、これを治療と呼んでいいのだろうか。

あんまり治ってほしいという気持ちが伝わってこない。

別に治ってほしくない気持ちも伝わってこないけど、ただただ流れている、作業として流れている。

そんな気持ちないだろうけど、「とりあえずレントゲン」ってのは「とりあえずビール」と訳が違うのであって、

僕には「怠惰」という言葉しか思いつかない。

美容という仕事をやっているとレントゲン一回で(もちろん数十秒で)4,000円っていう生産性って何なのだろう

と羨望のまなざしとは違う見方で見てしまう。

僕らは30分ほどかけてていねいに複数のトリートメントを塗り、そこにスチームをかけて洗い流すことをして

やっとそれと同じかそれ以下の料金をいただくことができる。

もちろん必要なレントゲンもたくさんあるだろう。ただレントゲンをしない方法で、まず触診で、あるいはまた別の仕方で

見てみようともしないで、診察料はないだろう。

これでは、ずっと治りそうで治らないままに通い続けてもらうことがいいんじゃないの?と言われたって仕方ない気がする。



愚痴はこのくらいにしますけど。

左足の靴下を履けないほどに痛いので、当面お医者さんの言われたとおり、湿布を貼っていいこにしていようと思います。


黒スケとジュニアへ。

父さんはそういう事情なので、散歩中走れません。

あまりぐいぐい引っ張るのはよしてください。

よろしくお願いします。

アキームアキーム 2010/08/25 01:35 腰 大丈夫ですか?? しばらくゴルフもお休みしないといけなそうな感じですね。 あまり無理しないでくださいね。

paris-rabbit-sanparis-rabbit-san 2010/08/25 09:05 アッキームさま
腰もさることながら左足がしびれると言いますか、ま、つながってるんだな、ということが実感できるわけですが、もちろんゴルフなぞおやすみですよ。
カラダは故障する、ということをすっかり失念してブンブン振り回したツケが回ってきたのですね。しばらく静かにすることにします。ご心配感謝いたします。

2010-08-21 正しいあり方

まるで政治家が自分の主張にかなうときにだけ「国民の声もそうなのだ」と言うように

持論と同じ時だけ一応偉いとされているコクミンを持ち出しその論をより強いものにする

という方法論はいかがなものか、と思う。


お客様の声を利用して持論の正当性を主張する、というのもまた同じ。


ここでの前提は「国民、あるいはお客様は愚かでバカである」とは絶対に言ってはいけない、ということにあり、

なぜならそんなことを言うヤツはそれ以上に愚かでバカである、ということもまた言えるのだから、

というところにある。


僕は経営者としてお客様の意見にはできるかぎり耳を傾け、日々改善を心がけることが当然と思う一方、

時にそのお客様を失ってでも守らなければいけないことがあることもまた思う。


リッツカールトンではないが、お互いが紳士・淑女としての、あるいは大人同士のやりとりができる関係性を構築することが

お互いのためになるということを信じてみたい。

2010-08-19 庭先に柚子

庭先にたわわになる柚子をあらゆる料理のアクセントとして利用することの豊かさを思う。

ニイガタ以南の比較的温暖な地域では決してめずらしいことではないらしい。

おそらくニイガタの人には柚子の木を庭に植えるという発想がないのではないか。

ここまで温暖化して、めでたく日本は亜熱帯になったのだから、ニイガタにも柚子を植えることはできるのではないか、

というようないわゆる発想の転換がなされてもいいのではないか。

2010-08-17 連続ドリップ

食材が喜ぶ料理がおいしい料理。

それによって食べた人が喜ぶ、という順番。

食材の笑顔がそれを食べた人に伝染してしまうイメージ。

これが原点。


生まれた町に誇りを持って暮らしたい。

そこに理屈がないこともまた原点。

ねぇ、こんなにステキなところがあるよ、でしょう??と言える喜びははかりしれない。

そして僕らはそんな町に暮らしているのだ、ということをうらやましがられることが

多少なりとも必要であると思う。



コーヒーを2回連続で淹れたら、気持ちが落ち着いてきた。

自分が入れているコーヒーに癒されるということは、

教えている子に逆に教えられるのと近いニュアンスなのかね。

なぜか、淹れたコーヒーではなく、淹れるプロセスのほうなのだよね。

もちろん淹れたコーヒーが不味いわけではないのだけれど。

いっぱいできたので、勝手にみんなに配った。


このくらいのヴォリュームの文章をツイッターでつぶやけばいいのだろうか。

いまひとつ作法がわからず、ひたすらに読む日々なり。

2010-08-13 墓参り、プロジェクター設置

夕方5時営業終了。

4人と黒スケで母の墓参りに行く。

帰宅後、あらためて母と祖母の墓参りに行く、本家の家にて食事を取る。

再度帰宅後、久しぶりにお風呂のお湯を溜めている時間を利用して、

先日ジャパネットたかたで買ったエプソンDVDがついてるプロジェクターを設置する。(ずっと放置していたのだ)

はじめてジャパネットたかたで、それも20回払い手数料無料で、購入したもので、支払いも月々3,000円ちょっとで済んで

それはそれはステキなお買い物であった。

8畳間でスクリーンを拡げるとここまで圧迫感があるのか、と少々げんなりしながら適正な位置に本体を含めて置く。

手近にあった小津安二郎の『晩春』を再生し、さらに見やすい映像にすべく試行錯誤する。

決して上級機種とは言えないから画質も音質もよいとはいえないのだけれど、

寝るまでのわずかな時間に、おもしろくもないテレビを付けておくくらいであれば、

映像が美しい、あるいは音楽的な要素の色濃いDVDを再生しておいたほうがよりましであろう、と思い、

そのようにしたのだけけれど、今後の使われ方は少々疑わしいと自分ですら思っているところ。


最近DVDを観ると言えば、クルマの中しかなかったものだから、じっくりと腰を据えて観る環境が整ったことはうれしい。

ちなみに今回はジムジャムーシュのBOXからおもむろに取り出した1枚を見ながら就寝。

ストレンジャー・ザン・パラダイス [DVD]

ストレンジャー・ザン・パラダイス [DVD]

2010-08-12 台風とドラッカー

7時20分起床。

この時間だと犬たちを2匹散歩してシャワーを浴びてご飯を食べてギリギリの出勤になる。

で、汗も引かないまま服を着て首にタオルを巻いて黒スケを抱きながらクルマに乗り込む。


台風の影響でフェリー乗り場や空港で足止めをくらっている風景を見たり、

近くの、とりわけおいしいとは言えないファミリーレストランの入り口前に溢れかえった人を見るに、

今日がお盆であり、少なからぬ人がお休みであることを知るわけであるが、

それ以外に気づく術を僕は持たない。


もちろん明日はお墓参りなので、お店を夕方5時に閉めてそれぞれの実家に行く。

お墓のお花もルミノさんに頼んだので、あまりにも暗い菊だけで構成された花束を供えずに済むことがうれしい。


ベストセラー本を買う。

僕が読む、というよりも、スタッフが読めるものなのか、という視点で読む。

これは野球部のマネージャーがドラッガーの『マネジメント』を参照しながら、甲子園を目指す話なのだけれど、

プロローグの最後にこうある。

「どうやったら野球部を甲子園に連れていけるか」と考える前に、まず「野球部を甲子園に連れていく」と決めてしまった。

そうして、決めたらもう考えるのをやめ、すぐに行動に移したのである。


最近より意識していることである。


そして、もしこの本の表紙が美少女アニメでなかったら、どのくらい売上は変わるのだろう、ということを考える。


たとえば、これもしかり、であるが。

女医が教える 本当に気持ちのいいセックス

女医が教える 本当に気持ちのいいセックス


でも、まっとうなものが多くの人に届く、という意味において、これはとても大切な差し出し方である。

手にとってもらわないことには意味はない、という主張にも少なからぬ真実が含まれている。

2010-08-06 8月6日(金)

6時過ぎ起床。

万代川沿いのとある部屋にてケイタイのアラームで起きる。

すぐに階下の駐車場からクルマに飛び乗り、高速経由で自宅に帰る。

犬たちが僕をじっと見つめている。

すぐに短パンに着替え、いつも通り黒スケから散歩を始める。


今日は建物の看板に「HAIR SALON」という表記が加わった。

結果として、PARIS RAVISSANTの下にラインが入り、そのまた下に少し小さめの字で「HAIR SALON」と入った。

これでやっと「で、何屋さんですか??」と言いながらゆっくりとドアを開ける人がいなくなるだろう。

いまさらだけど、何屋かってのはとても大事だ。

詳細はこちらにて。

no title

2010-08-04 8月4日(水)

7時起床。

今日はまさに本格的な夏というにふさわしい一日。


よくわからずにツイッターを始めてみたが、まだ一言もつぶやいてはいない。

タナカヨシユキ(@YoshiyukiTANAKA)さん | Twitter

はたしてこれは始めたことになるのだろうか。


我が母校新潟明訓高校の1回戦は第2のふるさと京都府代表の京都外大西と13日に初戦を迎える。

毎回募金できずにごめんなさい。


ミーティングが3時間もかかってしまってごめんなさい。

さすがに瞼を閉じる時間が増えるよね。

寝ているのと長いまばたきのちょうど中間地点を狙うとはさすがです。

来月からはスムーズな進行を目指します。反省します。



それにしても昨日の長岡花火はすばらしかったなぁ。

長岡高校昭和44年卒業生一同のスターマインがとりわけすばらしくって恥ずかしながら涙が頬をつたった。

もちろんフェニックスもよかったのだけれどね。

右岸にて花火を見て、新幹線で帰る、というルートは案の定わるくなかった。

何せ、11時前に帰宅できるのだからね。

車だったら間違いなくこうはいかないだろうし。

でも左岸のマス席あたりの迫力もまた魅力的であるし、見る場所によって見え方はかなり違うのだな、ということを

実感した気がする。


来年、また行きます。

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