バックのミュージシャンを外国人勢で固めていることもあってか、いわゆる「ジャパフュー」的な存在ではない。だからこそ、このアルバムの音がとても新鮮に感じられるのかもしれない。派手な曲も中にはあるけれども、それも何か抑揚を持った派手さなのだよね。力技でねじ伏せるようなこともなければ、中途半端なメロディに乗せるようなこともない。ミュージシャン同士が上手く戦い交わし合っているという印象。
うーん。これが昭和55年かぁ…。
バックのミュージシャンを外国人勢で固めていることもあってか、いわゆる「ジャパフュー」的な存在ではない。だからこそ、このアルバムの音がとても新鮮に感じられるのかもしれない。派手な曲も中にはあるけれども、それも何か抑揚を持った派手さなのだよね。力技でねじ伏せるようなこともなければ、中途半端なメロディに乗せるようなこともない。ミュージシャン同士が上手く戦い交わし合っているという印象。
うーん。これが昭和55年かぁ…。
うむ。朝に聴く音楽ではない。選択をミスった。これはアルコールの入った頭で聴く音楽だわ。
軽く聴き流すための邦物ロックですな。
かなり久しぶりに聴いたのだけれども、これ、今風のバンドがやっているサウンド、英詞曲の先駆けだったのでは?と今さらになって新発見。ちっとも色褪せないし、そこら辺のバンドよりもよっぽどメロディも立っているし、何よりも聴いていて甘酸っぱくなる。どことなく懐かしさを誘うボーカルなのだよね、この声が。
当時は相当に入れ込んでいたけれども、ちょっと離れてしまっていた。ZEPPET STOREは『CUE』から『CLUTCH』までが自分にとってのツボだったのだよね。これは本当に良いアルバムだ。また思い出した頃に聴こう。
「昔よく聴いていたけれども、最近聴かなくなってきた音源を聴こう大会」その2。ZEPPET STOREがその1ね。
このシリーズは、結局1枚目が一番好きだという結果に落ち着くのでありますが、確かにこの所全然聴いていなかったなと思い、CDラックから引っ張り上げた。このアルバムも2012年を最後に1度も聞いていなかった。槇原敬之の丁寧なボーカリゼーションをカバー曲で実感した、という自分にとっては新発見だった1枚なのだよね。選曲も渋いところからメジャーどころまで丁寧にすくい上げているという感覚。何よりも大江千里「Rain」のカバーが素晴らしい。
昨晩ふと感じたことなのだが、もしかしたら今のスピーカー環境であるのならば、クラシックはヘッドホンで聴いた方が最もバランス良く聞こえるのではないかと。スピーカーだと若干ピーキーに聞こえてしまうのだよね。SACDやハイレゾ音源ならそんなことはないのだけれども。
ヘッドホンならばそれほどボリュームを上げなくとも細音もしっかりと聴き取れるし。スピーカーだと黙り込んでしまう部分も、ヘッドホンならばしっかりと捉えられる。自分のクラシックの聴き方を大きく変える転換点になるのかもしれないよ、これは。
ということで、ヴァント指揮ケルン放送交響楽団演奏のブルックナー第7番なぞを。これは予習なのであります。フィナーレに向かってじっと我慢の子という感じ。ただの糸だと思っていたら、機(はた)を地道にトントンと編んでいき、気がついたら織物が一丁上がっていた、といった印象でよろしいでしょうか?
もう、ほとんど引き籠もりをせざるを得ないこんな雨で雪の日には、何でも聴くよ。
こいつをヘッドホンでドライブさせて聴くのは、最高にクールだぜ!
「有頂天」も「Endless Summer」もジワジワと効いてくる。日本でこんなビンテージなロックをするメジャーアーティストなんてB'zくらいなものだものな。
ということで、ヘッドホンにてヘビーローテーション。歌詞も埋め込んだ。
毎度暇つぶしの週刊『雑音万華鏡 -Noiz-』を更新しました。
今回は去年の紅白にも出場したSEKAI NO OWARI『Tree』(2015)を題材に一本。ちょっとばかり真剣に書いてしまいました。なぜ中高生にばかりウケるのか、その理由を解析してみたつもりであります。少なくとも大人が聴くバンドじゃねぇなぁ、という風潮に「ちょっと待った」と思わせたい一心で書きました。って、そこまで気合いは入ってませんが。
例によってお時間のある時にでも一読頂ければ幸い。
『Vol.48 Tree / SEKAI NO OWARI (2015) - 雑音万華鏡 -Noiz-』
【追記】
例によって、こっちにも記載しております。中身は全く同じでございます。
『Tree / SEKAI NO OWARI (2015) | 音波素粒子 -vox-』
でもね、やっぱり大人になっちゃった自分にとっては、これを通して聴くのはちょっと辛いの。
やっぱりおっさんにはこれくらい殺伐とした音楽の方が丁度よいですよ。