おやすみなさい。
テレビが見られない!
引っ越してみたら、想定外の出来事が。
ダイニングにテレビのジャックがなかったよ。
全居室にテレビのジャックがあることは事前に確認していたのに、ダイニングのチェックを見落としていた。まさかね、ないとはね。でも、築年数が結構経っている建物だからね。仕方がないといえば仕方がない。
ダイニングでテレビを見ない自分にとっては全く問題のないことなのだけれども、そこで見る母にとっては死活問題。かと言って居室からケーブルを這わせるような生活はもう二度としたくはない。
とは言え、自宅には無線LAN対応の映像機器がなく、あの手この手で鑑賞する手立てもない。どうにもこうにも手詰まり。
ダイニングにあるのは電話のモジュラーのみ。んー。
こうなったらひかりTVですね。
自分用のnasne環境とひかりTV環境の二本立て構成になるのは何か腑に落ちないものもあるのだけれども、テレビなしの生活があり得ない母からしてみれば、そのようなことはきっと些細な問題。いや、それをきっと問題としては理解していないことだろう。
光回線の工事は次の金曜日。それ以降にあれこれとやって差し上げましょう。
そしてこの工事をもって、ようやくこの家にも真っ当なインターネット環境の構築が可能となりますよ。現時点ではWiMAXのお試し版を利用しているのでね。これはこれで悪くない回線だけれども、やはり固定回線に比較するとレスポンスに若干苦しいものがあったので。
まぁ、ひかりTVを導入しなければならない段階で、WiMAX環境を継続させることも不可能になってしまったわけだけれども。
Day Breaks / Norah Jones (2016 96/24)
昨晩は仕事帰りに青山まで足を伸ばして、BLUE NOTE TOKYOにてAvishai Cohenのライヴを鑑賞。実に見応え、聴き応えのある内容でありました。何かを書けるほどの体力がないので、鑑賞記はなし。
本日は所定休につき引越の後処理をチマチマと。警察署に出向き、免許証の住所変更など。とは言えほとんど死に体。自転車をこぐ足が重いこと重いこと。
ようやく自室のテーブル机を出し、少しだけ真人間に近づく。この一週間ほど段ボールをテーブル代わりにして食事をしていたからね。
音楽は引き続きBluetoothスピーカーで。「これはこれでよいか」などとはつゆほども思いませんがね。「聴く」と言う状況には全くなく、「流す」と言った心技体状態でありますが故。
今はダラダラとこれを書きつつ、ノラ・ジョーンズのこの作品を。本当は『Not Too Late』を流していたのですよ。ところがアルバムの途中で再生が止まってしまった。「何事?」と思い、送り出しのDAP画面を見てみると、microSDカード内に頭の4曲しか転送されていなかったことが判明。曲を追加しようにも、データの入っている母艦PCも外付けHDDもどこかの段ボールの中。
ピリッとしませんな。
とにかくまだまだやらなければならないことが山積みで、かといって日常生活も社会人生活も送らなければならないが故に、寝ても何をしても疲れが抜けきらない。確かに住まいを変えたのだから、すぐに何もかもに慣れると言うのはどだい無理な話。こればかりは徐々に馴染ませていくものなのでしょう。
ノラ・ジョーンズに耳と心を癒されながら、自分をぐるりと囲んでいる段ボールを見遣ってはため息をつくのみ。
ああ、このBluetoothスピーカーは一昨年のリモートワークの際に購入したものではあるけれども、まさかこのような形でフル活用することになろうとは。あの当時には考えも及びませんでしたな。最早私にとっての避難道具のようなものなのかもしれない。
今晩も早く寝ることにしよう。いや、寝ようとせずとも寝ている可能性は大だけれども。
One Deep River / Mark Knopfler (2024 192/24)
マーク・ノップラー最新作。
非常に良いです。これまで通りの落ち着いたノップラーおじさんならではの味わい深さもさることながら、今作ではどこか力強い感覚も伝わってきて、実に聴きごたえがある。
もともとがイギリスのロックの雄、そのバンドのギタリストだったわけですから、ソロ活動においても力をみなぎらせようと思えば出来たのかもしれません。
とは言っても今作がロックであるかと言うと、そう言う訳ではなく。大人に向けた渋い楽曲が並びます。
ここ数作はどこか仙人めいた、水墨画の中で釣り糸を垂らしていそうな雰囲気すら漂っていたのですが、今回は久しぶりに地上に降り立って、地面をしっかりと踏みしめて歩いているような趣がありますね。
時間とせわしなさを忘れ、自分の世界へとゆっくり入り込める。そう言った作品ではなかろうかと。
オーディオ欠乏症候群
引越の兼ね合いで、オーディオシステムが部屋の隅に追いやられていたり、まだ段ボールの中にいたり。
さすがに10日も過ぎると、欠乏症気味になってきますね。今はBluetoothスピーカーでしのいでいるものの、メインスピーカーで聴きたくて聴きたくて。
でもね。部屋にまだカーテンすら下げられていないというのに、オーディオごときにうつつを抜かすなど、一体全体どういう了見なのかと。そう問いただす自分もいるわけですよ。先にやるべきことがあるだろうと。
そのようなことを考えながらも、DAPにヘッドホンを差し込んで、それで当座良いだろうなどとしている自分もおります。人間は矛盾の生き物なのですよ。そう言うことも多々ある。
いや、そのようなことを言いたいのではなく。
やっぱりメインシステムで音楽を堪能したいのです。
あ。
ネットワークをまだ構築していなかった。構築しないことには、最早私は音楽のリスニングが出来ない環境にあるのにね。
やはり音楽以前の問題でした。追々どうにかします。
SCIENCE FICTION / 宇多田ヒカル (2024 96/24)
引越に伴う転出入作業、どうにかこうにか完了。
搬出時のダイニングにあった物たちの断捨離が、時間のなさから目標の6割程度にとどまってしまったとか、とにかく想像していた以上にドタバタしてしまったりとか、早々に疲弊して心身ともにギリギリの所での作業になってしまったりなど、反省点は多いものの、完了すればそれでいいのです。ええ。
転出に伴って、なにせ30余年も住んでいた前居のこと、敷金だけでは修繕費用がまかなえないだろうと覚悟を決めていたものが、蓋を開けてみればその三分の二が返金されるという想像もしていなかったラッキーな出来事もあったりと、様々な観点において「終わりよければすべてよし」となったのです。
まぁ、挙げればキリがないのですよ。
これからしばらくの間は段ボールに囲まれての生活になりますが、徐々に荷ほどきをしながら、ゆっくりと新しい環境に慣れていきましょう。
そんなこんなで、ギリギリの所でこのアルバムを頻繁に聴いておりました。宇多田ヒカルらしい、素晴らしいベストアルバム。ここまでくると再構築ベストアルバム、ですな。選曲、配置、リミックス、新録、それらが絶妙なバランスで収録されている。聴けば聴くほどに、考えを巡らせるマージンが大量に含まれている。
何よりも素晴らしいと感じたのは、彼女の曲が2時間近く収録されているのにもかかわらず、その重さに辛いと思うこともなく、長いと思うこともなく、次々と現れる栄光をまとった楽曲たちに圧倒されながら、あっさりと聴き終える、そして何度も聴けるところ。過去の重荷に対する精進落としを行ったかのごとく、彼女の過去を完遂しているのですよ。
アルバムリリース発表時に曲目を眺めた際に頭の中をよぎった、リテイクは版権の兼ね合いだろうか?、ここまでリミックスバージョンが入っていて違和感は発生しないのだろうか?などといった邪念や危惧が一発で払拭される仕上がり。
これこそが彼女の過去と今を一本の線で繋げる、もしくは一つの面に展開させる、最良の手法であったのだと思わされるのです。
…取りあえずこの辺で。まだ引越ダメージから完全に復活できておわず、手負いの状態でありますが故。
Family / Polaris (2003 44.1/16)
くたびれております。
引越に伴う疲労とストレスで、順当に左耳の調子は悪くなり、目の周りはガチガチにこわばり。こんなに辛い思いをするのであれば、引越など最初からするのではなかった、と思う瞬間も多々あるものの、ここでしなければこのあと、恐らく両親のどちらか片方が他界するまではもうその機会もなくなり、何かしらの長いストレスがかかってしまうのだろうと思えば、まぁ、どうにかなるのです。どちらがマシか?と言うレベル感での取捨択一。今やらなければ、いつやるの。
今でしょ?今しかないでしょ?これがラストチャンスでしょ?
そういうことです。
と言うことで、毎晩ぐったりとしていながらも、それでも作業の手は休めることなくやっております。今晩はこれを聴きつつぐったり、そして再び作業を始めますよ。
引越搬入出日まであと3日です。
…いや、ちょっと、かなりマズいよね、今のこの状況。