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ここは小説家・寒竹泉美の活動の報告用ページです。
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  • 2008-04-29 誠実な詐欺師のように このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

     種だった。それが一本の樹になった。大地に根を張り、天に向かって成長し、枝葉を自在に伸ばしているのが初稿の段階。これからできることと言えば、葉を刈り取ったり枝を曲げたり幹を磨いたり肥料をやったりすることくらいで、大きな根本みたいなものはもう変わらない。ポテンシャルのようなものも、種から樹に育つ時点でもう決まっている、とわたしは思う。

     初稿が完成しました。今から推敲。もうほとんど時間がないのだけれど。

     向き合えば向き合うほど、足りなさが分かる。でも、出来上がってしまった樹を否定しない。それはそれだ。成ってしまった物語は、自分のポテンシャルの中で精一杯やっている。わたしのできることは、少しでも誰かに深く届くよう、誠実に推敲していくだけ。

     今までは、書き上げてから賞に落ちたのが分かるまでずっと満足し続けていたのに、最近は書き上げてから満足しなくなるまでの期間が、だんだん短くなっている。おととしは、一ヶ月。去年は三日。今年はたぶんもっと少ないね。満足しなくなったものを、人に読んでもらうのは苦しいよ。でも面白かったと言われると嬉しい。「ありがとう、でもまだ」と思い続ける。だけど、「でもまだ」なのは作り手の勝手な事情だから、面白かったという言葉自体を損なわせてはいけない。「まだ」は、ごっくんと飲み込む。ありがとう。その一瞬だけ、「まだ」を忘れることができる。生きててよかったと思う。

     前よりは、実力がついた気がする。でもまだ。書けば書くほど足りなさが身に染みる。足りなさは書かないと分からない。奢らず僻まずにいるにはどうしたらいいんだろうって思ってた時期もあったけれど、そんな状態は真剣にやっていれば自然に到達できるんだ、と最近思うようになった。もっと言えば、到達できたとも思ってる。もしこれから先、わたしが少しでも奢っていたら、それは真剣さが足りてない証拠だ。指差して、笑ってやって。

     奢らず僻まず判断するなら、今回は一次通過くらいかな。推敲頑張ります。

     奢らないということは、足りなさに気づくことだ。

     僻まないということは、足りなさに目を逸らさないことだ。

    cafecafe 2008/04/29 10:07 おめでとうございます。
    はじめまして(^^)
    私も満足できませんでした。小説を書くことは、自分の中のまだ分からない何かと闘う事だと、感じました。
    頑張っている姿を見ると、もっとがんばろう、と思えます。(今は、二次を通過できなかった初めて味わうショックから自分を立て直している途中でして(汗)
    落ち着いたら、朗読、待ってますw

    pasocopasoco 2008/05/01 21:21 初めまして!コメントありがとうございます。全力尽くしたのに満足できないというのはある意味朗報ですよね。次が見えてるという。
    最終候補になった人でも、次の作品で一次にもかからず落ちた…という話もよく聞きます。賞に受かるか通るかは、作品やタイミングによっていろいろですよね。でも落ちても過去に二次通過した実力は減りませんよ。次作での巻き返し楽しみにしてます〜!朗報待ってます。
    わー、朗読待ってるなんて!嬉しいです。はりきって更新しますw

    2008-04-20 ある休日 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

    f:id:pasoco:20080419142108j:image

     青空って見ただけで、すっとする。長い長い冬。青空に飢えてたかもしれない。これからは嫌と言うほど見るんだろうけれど。どうしても書けないシーンがあってうろうろうろうろしながら、公園でブランコ揺らしながら子供眺めたりして。ようやく書けると思ってファストフードでミニキーボードとesで執筆。彼が帰ってきて時間切れ。と、これだけ聞いたら優雅極まりない一日ですが。考えすぎて、ふと気がつけば、知り合いにあったら目を逸らされるような小汚い格好でうろうろしてました。子供にも警戒されそうな勢いで。カッフェーとか入れないんだ、これが。まあ、いつものことだが。…ああ、書けない。いや、書けているのか。もう20日だなんて!

     手帳に書きつけた数行の日記をぺらぺらと読み返す。昨年の10月始まりの手帳。12月にも3月にも完成できなくて賞に出すのを諦めていて、結局昨年の3月から何一つ仕上げていない。何をしてたんだ、わたしは。何をしてたのかの答えがこの作品にこめられるはずだと妄信することでしか、わたし立っていられないな。

     もう駄目かもしれない。

     もう、どころか最初から何もなかったのかもしれない。

     なんてこと思ったりはしないけど。まだまだ。

     今まで面白いって言ってくれた人たちに失礼じゃん。

     239枚。ようやく登り始めたと思う。足りないものだらけだ。ぐらぐらと踏み外しかねない不完全な階段を一歩一歩、歩いていく。見えないんだけどね。どこへ向かっているのか。まだ。嗅覚だけがたよりです。

    2008-04-16 中間点 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

     4月16日。中間点フラグ折り返しました。締め切りまで、あと14日!

     書けることは書けるんだけど、書けば書くほど薄まっていく気がする。かといって、大きな山をあと4つくらい超えるつもりなので、今は助走という気もする。助走しているのか中だるみしてるのか分からない。気を抜くとすぐ小手先で書いてしまう。少し頑張ればそれなりに面白く書いてしまえるようなっている。でもそれなりを積み重ねたってどこにも到達できないし、山は登れない。書きながら気持ちよがっちゃだめだ。楽に書けるなと思ったら、平地をぐるぐる回ってるだけだったりしてね。ちゃんと頂上を見据えなければ。

     走り出してから初めて、足りないものに気づく。それは資料を集めたり勉強したりしてその場で付与できるような生易しい不足ではなく、わたしの人生観とか思想とか人間性とか考え方とか、人生かけて磨かなきゃいけない大きなもの。足りない、足りない、と思いながらも、走り続けるしかない。書くことでしか「足りない」ことに気づかない。全部満たされるのを待って書くことは、きっと出来ない。いつまでたっても「足りない」と思うだろうし、そうありたいなと思う。足りないともがきながら走り抜けた軌跡が作品になって、それを振り返ってみたときにここまで来れたと思うのが理想だな。たった一つの珠玉の作品を作れればいいけれど、もがいた軌跡が残って何かに到達できる、そんな作家になりたい。完成した人間なんていないように。全ての作品は未完成、成長の可能性を秘めている。

    2008-04-07 esで執筆 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

     何度も書いてるけど、わたしwillcomの巨大PHS「es」の愛用者です。わたしが大学に入ったとき(十年前…!)は全員PHS持ちでしたよ。070から始まる番号でしたよ。それが成人式あたりから「070なんて恥ずかしい」という風潮が現れ始め、続々とみなさん携帯に変えてしまわれました。willcom(当時DDIポケットでしたが)もそんなみんなを繋ぎとめようと、「次世代ケータイ」というキャッチコピーで新商品を売り出しましたが、「次世代ケータイっていうけど070だからピッチじゃん」と、世間の反応は冷たく。そしてその頃は写メールやらの全盛期。付属ユニットで付けられるもののカメラのないPHSは世の中の流れに置いていかれるのでありました。ピッチ、安いのに…。

     で、何だか意地になってwillcom使い続けてて、そしたら携帯の人たちが引くような機種が出て一年前に乗り換えたのでした。それが、「es」。テレビのリモコンみたいな巨大な形。でもスライドさせると英字配列のキーボードが出てきて、携帯の文字打ち独特の「お」を打つときにあ行を5回押すというようなわずらわしさから解放される。しかもタッチペンで操作できる。ウィンドウズモバイルが入っている。オペラとIEも入ってwebも見れて、しかも通信料が安い。あ、もちろん電話も出来ます。この機能はときどき忘れます。windowsが使えるPHSというよりは、通話も出来るPDAという感じですが。

     で、本題!家にずっと篭ってても新しいアイデアは浮かばないわけですよ。ワンシーン書いたら外へ出て、ぐるぐる散歩して、思いついたと思ったら素早く帰ってきてまた書く。でも素早く帰ってこれる距離ならいいけど、そうじゃなかったら往復時間が馬鹿みたいだ。思いついたその場で執筆したいじゃないですか!パソコンを持ち歩くわけにもいかない。歩いてもいいけど、バッテリーがもたない。紙に書くのがいいんだろうけど、頭のスピードと手で書くスピードが合ってなくていらいらする。手の方が遅いので当然汚い字になって後で解読不可能になってしまう。一文字一文字原稿用紙を埋めるような文学的な話なら手でもいいんだろうけど、今書いているのはどんどん物語を進めていくタイプの話なので紙とペンじゃ追いつかない。というわけで、小さいパソコン欲しい。だが、高い。ああそうだわたしにはesがあるじゃないか。ワードもついてるし。これにミニキーボードを接続すると書きやすいという噂をネットで見つけ、早速キーボードとUSBホスト購入。合計4000円くらいの出費。

     で、これが届くのが待ちきれなくて、カフェに座ってるときに、ついにes本体で執筆してみたらこれが案外書けるんだな。両手で持ってぴこぴこと文字打ってる姿は怪しいことこの上ないが、頭のスピードを止めることなく、それなりに長い文章が書けてしまう。やばい、携帯小説家デビューか。いや、PHS小説家か…。新しいよね…。

     だけど問題が。こんなオタクっぽい姿を公共の面前で晒したらさぞかしみなさん避けていくだろうと思いきや、関西のおっちゃんおばちゃんたちはフレンドリーでかつ好奇心旺盛。しかも自分が携帯を持ち始めて機種とかいろいろ気になるお年頃だから、気になってしょうがないらしく、「それなんですか?」と話しかけられる。…執筆できないじゃん。まさか執筆中ですのですみませんと言うわけにもいかん。どう見ても遊んでいるようにしか見えないし…。

     なおかつ、これにキーボードを接続して執筆した日にゃあ、関西人の興味を惹きまくってしまう!あやしくて誰も近寄れないだろうと思ってたわたしは関西人を舐めていた!執筆するときは周りをよく見回して、おっちゃんおばちゃんのいないところでやろうと思います。サイトを見てる方は、関西で安っぽいチェーンのカフェでこれで執筆してる女を見つけたら、ぱそ子さんですかって話しかけていいからね。許可する。おしゃれなカフェでは執筆できないんだよね。おしゃれなカフェって客にもおしゃれでいるよう強いる気がする。わたしなんぞ。

    ほらこれに100円ショップで写真立て買ってきてPHSを固定させると完成だぜ。

    f:id:pasoco:20080407083245j:image

    music1983music1983 2008/04/07 20:46 おお! かっこいいですね。
    たしかに、モバイルパソコンって高いんですよね。
    執筆がんばってください!

    pasocopasoco 2008/04/07 22:18 わ、かっこいいって言われたー!よかった!ものすごいオタクっぽいと思っててびくびくしながら使ってるんで、これからは堂々と使います(笑)
    がんばります!

    2008-04-05 インベカヲリ★写真展 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

    以前Folioに作品を載せさせていただいて、しかも表紙にも使わせていただいたインベカヲリ★さんの写真展が大阪西梅田駅の近くのニコンサロンで3日から8日まで開催されています。

    Folio4号「エロス特集」で初めて作品を目にしてそれ以来ファンでしたの、よ。

    http://folio.daa.jp/04/ (インベカヲリ★作品集をクリックしてください)

    世の中にはいろいろなエロスがあると思いますが、そして写真にもいろいろあると思いますが、なんかこうぐっと来ました。なんというか、とにかく言葉になる前の段階のもやもやをそのまますぱんと届けられてすっきりする感じです。彼女のサイトにたくさんの作品が掲載されているのですが、見れば見るほど本物の写真を見たくて、ずっと写真展の開催を心待ちにしてました。

    あ、ちなみにサイトは、

    http://www.inbekawori.com/ こちら。

    一目見てまあ破廉恥な…って引く人もいると思いますが。エロいんだけど、尖ってるんだけど、どこか可笑しく、媚びてないのに可愛げがある。

    で、写真展。3日に行きました。たくさんの作品を見ることができて大満足でした。一例ですが。(本人に撮影許可もらいました!)

    f:id:pasoco:20080403145337j:image

    ウェブだとセンセーショナルな印象ばかりが先走ってしまうのだけど。こうやって写真一つ一つと向き合ってると、何だか違うものを感じました。モデルの子たちはみんなこちらを睨んでるんだけど、なんだか日常の表層の楽しさとか嬉しさとはまた違う、一段深い魂の満足を感じる。これでいいんだ、みたいな、腑に落ちる感じ。すごく力がある写真でした。写真展の最初に書かれている言葉にとても共感してどきどきした。

    「ありのまま……」という言い方があるが、作者はその言葉を信用していない。私服や普段見せる表情は、本人が社会に適合するために演出として使う外見上の主張であって、それが真実とは限らないからである。

    [倫理社会]<インベ カヲリ★展>より引用。

    ここに全文が載っています)

    小説の話になりますが、わたし自身に関しては最近は「ありのまま」を信じなくなったところだったので、ああまさに!とこの言葉を読んで嬉しかったのでした。もっと自分に近いありのままの主人公にしたらいいんじゃないかと言われることがよくあって、そうしようと思って書いたこともあるのですが。それは結局完成したのに何だか駄目な気がしてもう日の目を見ることがない作品になってしまいました。嫌な死んだ物語になってしまった。何でだろう…と考えてた。自分に近い主人公を書くと、プライドや見栄やそのほかいろいろな余計なものが邪魔してしまうのかもしれない。自分をさらけ出しているつもりでも実は「よく見せよう」という下心が物語をゆがめているのかもしれない。その点、全く違う境遇の主人公を一生懸命書いているときはそんな意識は全くなくなる。で、出来上がった主人公が全くの別人かといえば、それはありえない。何をどうやっても自分というものはついて回る。

    もちろん自分をさらけだすのが天才的にうまくて魅力的な小説を書く人もいる。そういう人やそういう小説に憧れていたけれど、でもわたしはそのタイプではないのだと分かった。作品を一つ一つ書いていくことでしか自分の持ち味なんて分からない。まだ分からないことだらけだけど。

    自分で全てを選択して自分らしい装いをしているつもりでも、それは職業や周りの人間関係や年齢や流行や一般常識の影響を受けている。そういうものを全部取り除いたときに何が見えるか。インベさんの写真が文学的だと感じるのはタイトルやセンセーショナルな文字のせいだけじゃないと思う。だからとても惹かれるんだろう。

    おまけですが、初日に行ったのでインベさん本人とお話することができて、舞い上がりまくりました。もう声がうわずるわ何喋ってるのか分からないわ。大変でした。そんな自分、ここ数年来見たことない。よほど好きなんだろう。関西にお住まいの方、週末よかったら。

    T 2008/04/07 03:14 物語を書いている人に対して釈迦に説法な感じですが、“ありのままの自分”を出すとそれは物語ではなく、徒然日記になってしまうからではないでしょうか。面白い物語を書くという事は、共感の出来る非現実として、読み手に空想させる必要があるような気がします。
    絵画でもそうですが、写実画よりも抽象画の方が絵の物語性があるのと同じことだと私は感じます。

    ぱそ子ぱそ子 2008/04/07 07:13 コメントありがとうございます。読み手に空想させるってなるほどなーと思いました。本当そうですね。ありのままの作者を知るだけじゃ、読み手の中は何も広がっていかない。

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