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ここは小説家・寒竹泉美の活動の報告用ページです。
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  • 2014-09-29 怪談朗読ライブ「幽宴」其の壱 閉幕 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

     9月28日(日)に開催した FlagShipStudioプレゼンツ <怪談朗読ライブ「幽宴」其の壱> たくさんの方に来ていただき好評のうちに終了いたしました。来ていただいた方、応援してくれた方、企画づくりにかかわって下さった方、本当にありがとうございました。大成功だよ!と言い切ってしまいます。

     怪談というテーマで2時間弱。どうやって楽しんでもらおうか、いろいろ考えて構成したのですが、緊張感あふれる部分もゆるい部分も恐い部分も脱力する部分も、全部お客さんが受け止めてくれて一体感のある場ができていた。あらゆる意味で、誰にも真似ができない怪談イベントになったと思う。

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     会場は築100年以上の古い民家を改装して作ったフォトスタジオ。そのロケーションを生かして、森の中の小さな家にたったひとりで住んでいる女の話を選んだ。

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     イラストレーターの木村友昭さんには少し抽象的で想像力をかきたてるような絵をお願いした。人間のシルエットはいれないでもらった。

     音響さんには森の音をたくさん使ってもらった。

     聞いてる人が森の中の一軒家の中にいて、主人公である女の息遣いをすぐ隣で聞いているような、そんなイメージにしたかった。

     ソファーにゆったりもたれるような、落ち着いたしゃべり方ではなく、前へ前へ背中を押されて急き立てられるような、そんな読み方を目指した。感情は抑え目。批判的な観察者として強い一定調子の声で「女」の輪郭を作っていった。その代わり文章と音楽は女の心情に寄り添って情緒豊かに悲しく響かせた。

     部屋の隅々まで物語が支配しているようなそんな20分だった。みんなが物語に吸いこまれてひとつの生き物になったような感じだった。朗読というのは、一度ついていけなくなったらすぐに置いていかれてしまう。一つの文を理解してクリアしないと次の文が頭に入らない。一文でもつまづくとそこで終わりだ。だから無駄な理解しにくい集中力を欠くような言葉をまぜてはいけない。すべてが物語のための言葉じゃないといけない。

     昨日の公演は2回とも、みんなが一緒にいる、という感じがした。わたしが演者で聞いてる人がお客さんという感じじゃなくて、わたしがたまたま懐中電灯を持っているから先頭を進んでいるだけで、みんながすぐ後ろを固めていて、協力しながら一緒に暗闇を切り開きながら歩いているような、そんな感じがした。

     TREESの公演のときもちょっと感じたけれど、今回は1人で全部読んだからよけいに感じたのかもしれない。朗読は、演劇以上に観客が能動的にならなくてはいけない。ビジュアルがほとんどない分、自分の頭で想像して再生しないといけないから。不思議な時間だった。このイベントのサブタイトルに「言霊のしらべ」とつけたのだけど、まさにわたしは言霊のしらべを聞いたと思った。

     20分張りつめてやったあとは、ゆるっと怪談。怪談なのに、ゆるっとってどういうことよ、って感じですが、まあ来た人だけにやにやしててください。演る前は、こんなにゆるくて大丈夫か、と一緒にやってる人から心配されてたけれど、楽しんでもらえた。でも、これ、朗読が失敗していたら、しらけてただろうな。朗読に没頭してくれて心が開いたまんまになってくれてたから、そこからはすごくやりやすかった。届いてる感じがした。これが物語の力なんだと思った。

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    photo:Jyari

     休憩を挟んで写真物語。わたしがモデルをして撮影したポートレートを並べてスライドショー的な動画にして、それを映しながら物語を朗読していく。テーマが怪談だったのでロケ地は某廃墟(撮影許可をもらって撮りました)。壮絶で美しい写真を見ながらわたしはそこから希望をひろいあげた。

     怪談についていろいろ考えた。悲惨で無念な死を遂げた人の霊をモンスターみたいにきゃあきゃあ怖がるのは絶対にやりたくないと思った。通り魔みたいな無差別な怨念の話もしたくなかった。恐いけれど、そういう通り魔は現実の世界だけで十分だ。

     怪談にどうアプローチしていくか、ヒントになったものが2つある。

     1つ目は四谷怪談だ。四谷怪談のお岩さんの話の全容を知った時、ある意味痛快な思いがした。お岩さんを陥れた男は同情の余地がないくらいの悪党で、生きていたときのお岩さんはなすすべもなくひどい目に合わされて死んでしまったのに、化けて出た彼女は男をあらゆる方法で次々恐怖のどん底に陥れる。きっと今よりももっと、弱いものが、正しいものが、虐げられて死んでしまう時代だっただろう。死んだら終わりではなく、「霊」という無敵なものに復活して復讐を遂げる。そこには希望があると思った。その物語が愛されている理由が分かった。

     2つ目は稲川淳二の怪談。DVDを借りて初めて見た。恐いんだけど、恐がらせようとしているんじゃなくて、こんな不思議な話があったんですよ、ということを語っていく。世の中に幽霊はいるのかもしれないなと思わせられる。幽霊がいるというのは恐いことだろうか。幽霊がいる、何かひどいことをしたら祟られる、そういう気持ちがなくなったら、自分以外の他人の命を尊重することがなくなるんじゃないか、そんなことを思った。

     

     幽霊よりも現実世界の人間のほうが怖くて残酷で非道だ。無念な死を遂げた人はたくさんいる。できればそんな話は聞きたくない。でも、生きているうちに残酷な仕打ちを受けて、死んでからも忌まわしがられて忘れられるなんて浮かばれないと思った。残酷さ・悲惨さに向き合おうと思った。そしてその中をくぐりぬけて希望を一粒でも拾って来れるかどうか、それをやりたいと思った。今回の朗読のために子殺しについていろいろ調べた。向き合った。ネグレクト。虐待。日々、たくさんの事件が起きている。昔から今までずっと起き続けている。死んでしまった彼らは生き返らないけれど、彼らを想うことはできる。そこから物語をつむいで希望のかけらがほんの少しでも見えたら、そんな風に思った。

    すべての原稿ができあがって一番最後にもうひとつ写真物語をつくった。これは一発で書いて、一度も推敲せず、そのまま自分のなかでOKを出した。そんなことはめずらしい。そのあと何度読んでもやっぱり変えるところがなかった。わたしがこのイベントをやるにあたって、考えたこと全部がつまっている。

     

     ここに全文載せておきたいと思います。

    かつてここで誰かが暮らしていた

    ここで笑い、ごはんを食べ、生活を営んでいた

    その誰かがいなくなってからどれだけ時が経ったのだろう

    住む人のいなくなった家は魂の抜けた体のようだ

    魂の抜けた体、それはつまり、死体だ。

    だけど、ぶよぶよの腐った死体ではない。

    乾いた清潔な白骨死体だ。

    それは白々と誇り高く光り、静かに少しずつ朽ちていく。

    そっとたたずむ骨の死体は肉の死体とは違うものだ。

    少し怖いけれど、何だかじっと見てしまうだろう。

    そして説明のつかない畏敬の念を抱きながら

    その骨がどんな姿をしてどんな生を生きていたのかいろいろ想像してしまう。

    白骨死体のすさまじさ みすぼらしさ 美しさ

    廃墟に惹かれるのは、それが美しいからだ。

    見捨てられたというのに自然に破壊され朽ちていくばかりなのに

    誇り高くそこにあり続けるからだ。

    恐くてみすぼらしいそれを美しいと思ってしまうことに

    わたしは希望を感じる。

    なぜなら廃墟は死体だからだ

    朽ちた死体を美しいと思うことは命をまるごと肯定することだからだ

    廃墟を見ると人は物語をつむがずにはいられない

    人々が物語を忘れた時生きることを忘れた時

    白い骨を見ればいい

    かつて人が住んでいた壮絶な跡地を見ればいい

    わたしもいつか命が尽きたその場所でゆっくりと腐敗して風化して

    白々とした白骨死体になりたいけれど

    文明がそれを許さないだろう

    せわしない時の流れがそれを許さないだろう

    早々と片づけられて人目に触れぬよう小さな壺に押し込められる

    この場所もいつまで残っているだろう

    いつまで許されているだろう

    みすぼらしいもの、不安を与えるもの、恐いものは

    目に触れぬよう、見なくて済むよう、さっさと片づけられてしまう

    でも、恐いという感情は自分の命に触れることです

    日頃ないがしろにしていた命の泣き声を聞くことです

    目の前の忙しさにばかり目を向けていると

    あなたの命が飢えて泣き続けていることにも気づかないでしょう

    今日少しでも恐いと思ってくださったなら

    あなたの命に触れてくださったなら

    わたしは嬉しく思います

    本日は幽宴にお越しいただき、本当にありがとうございました。

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    photo:Jyari