ライフ 命をつなぐ物語

どっかのアリが生息する環境では、草だけが生茂っていた。そこに生物はいない。そこ のアリは草を刈って巣に運ぶ事を仕事にしている。アリは草を食べる事はできない。仕事の訳は巣で草を発酵させることで出来るキノコを食料にしていたのだ。更に巣内の通気性を良くするため、巣上には大きな換気口がある。群衆生物の本質とは皆で協力して、生きるためのシステムを構築することである。システムの一部になることこそが地球の循環に貢献する立派な生きる理由。生き物に優劣はない。地球にとっては一片の無駄は無いのだ。全ての生き物には優劣関係なく生きる意味がある。

って誰が企業の歯車や!!そうやって命は続くんだ。

SUPER8

宣伝文句はE.T.とスタンドバイミーの合わせ技なんだと。エイリアンはキモすぎてE.T.のような愛らしさは微塵もない。スタンドバイミーのような少年時代の甘酸っぱさは多少あるが、オタク要素が強すぎる。今の世代の監督として正に時代を象徴している。そこが気に入らない。音の迫力と、正体不明の何かで恐怖を誘おうとするミエミエのスタイルも好きになれない。
実力は凄いし、評価されてる理由も解るがエイブラムスが肌に合わない。

さや侍

これまでの二作に比べて、だんぜん良かった。
まさか、あの野見さんに泣かされるとは思ってもいなかった。
松っちゃんの映画に対する魂とか芯って結構わかりづらいので、
素材はできるだけ純粋な方が良い。その点、素人の野見さんは、
誰のつばもついてなくて、松っちゃん的にとっても純粋で鮮度抜群の素材。
というか、松っちゃんのつばがついている。
今回は松っちゃん的に撮りたいものを、撮りたいように演出・加工できて、
松っちゃんのイメージ再現度としては最も高いものになっていると思う。
松っちゃんは、松っちゃん的にツボな素材を松っちゃんなりに面白いと思う形に加工して、
映画を撮りたかったのであって、北野さんみたいに人にうまく伝えられないイメージを自分で表現してしまった方が結果的に良くなるタイプとは、根本的にスタンスが違うのだと思った。
いや、ほんとに良かった。

空前のあべまブーム

最近ヒットしつつある、日本のロックシンガーあべま。彼女の代表曲の「モットー。」、「貴方の彼女になりたいのです。」という曲達は、むっちゃロック。マーティ ー・フリードマン大絶賛中。
最近の自分のモットーや、気持ちととても一致していて、ハマり中。日本の女性のシンガーでここまでロックな人を僕は知らない。あべまのソウルはとてもロック。あべまはperfumeとのコラボを希望している模様。今後が楽しみ。空前のあべまブーム到来。


第2回モンゴル・ウランバートル国際マラソン

[前置き(近況)編]
一年間やってきた仕事も終わりを迎え、無事出荷に漕ぎ着けた。
就職して初めての自分の製品。自分の製品を持つのは、5年以内に実現させたかった夢、目標だったので、昨年に事業部に異動が決まってからは、この仕事には特に思い入れ、立ちはだかる課題や、困難に主体的に取り組むよう心がけてきた。そしてよく実践できた方だと思う。
生産間近には、何かとトラブルが多く、難産のわりに、品質が悪いと周りの評判はすこぶる悪い。
自分の初の子供を可愛く思う親心が解ってしまう位の自分ありきの製品だ(と思っている)。
なので、この製品を可愛く思う気持ちと達成感は半端なく、誰になんと言われようと、初めての子としてとても誇りに思っている。しかし、少し品質が悪いのは確かなので、今後のしつけ(バージョンアップ)でカバーしたい。

さて、そんな一年を締めくくる、休暇旅行兼、集大成マラソンとして密かに計画していたモンゴル・ウランバートル国際マラソンから先日帰ってきた。
今日は、その感想や、今の思いをこのブログに書きなぐりたいと思う。

とっても長いので、お時間がある人だけ、読んで貰えると嬉しいです。時間無い人は、マラソン中にiPod nanoにて撮影したモンゴルの大草原風景(ブレブレ)だけでもご覧ください。

[マラソン完走(感想)編]
7:20にスタート。まずは市街地を駆け抜けて、大草原へと突っ走る。
前半は、モンゴルの気候と自分の体調の様子を見るため、普段よりゆっくり目のペースで走った。
朝の方は、気温も12,3度で調度良い。空気は乾燥して日本の秋口のようで申し分なかった。そのお陰か、前半は何の問題もなく順風満帆に過ぎ去った。折り返し地点を過ぎたころ、時刻は午前10時過ぎ。アジカンの青空と黒猫を聞きながら、走るモンゴルの大草原。マラソンコースにも徐々に車が通り始める。珍しいのか、対向車を通り過ぎる車から手を振って応援してくれる人がたくさんいた。自分とすれ違うランナー達とも、拍手や挨拶で互いを励まし合い、話に聞いていたほど孤独ではなかった。
日本で開催された鳥取ラソンで覚えた日本式挨拶(帽子のつばをなぞるもの)と笑顔で、約20〜30人くらいの人と挨拶を交わした。マラソンを通して、世界中の人々と交わす挨拶。一瞬ながらも程良く密で心持ち良い絶妙なコミニケーション。国内マラソンでは味わえない、国際マラソンならではの体験。今後も語り告げられるような素敵な思い出になると確信した。
この頃の、約22〜24km地点が自分の気分が最もハイな時間帯で、一番気持ち良く走れていた。繰り返し聞いていた「青空と黒猫(アジカン)」と、モンゴルの青空と大草原と、自分の気持ちとが、とても良く調和していた。永遠につづく青空と道、そして応援してくれた人々の姿は、青空と黒猫という音楽でタグ付けされて、今後決して忘れることのない良い記憶として残るだろ。それだけでも、十分収穫のあるイベントだ。

もちろん、このまま何事もなく終わるほど僕はできが良くない。
市街地に近づき、おそらく残り10kmくらいの所で道に迷った。
一本道を行って帰ってくるだけの単純な道で迷ったのはなんとも自分らしい。
発端は、ある分岐点で違う道を選択したことだ。

僕はゴールに近づき、スタート地点の市街地に近づいていた。
時間は11:00過ぎ。8時頃に通っていたであろう場所に戻ってきていた。
車の交通量は朝とは桁違いに多い。最後に走ったマラソンが4月で、練習も不足しているためか、いつもよりペースが遅い。先にも述べた通り、同じ道を往復するだけの単純なコースなので、帰り道は、行きとは反対の車線を走っていた。問題の分岐点では、帰り道を走る自分とは反対の車線側から進行方向からやや左よりに伸びている道と、今自分が走っている道路とでVサインを描いていた。
往路では、確か自分はあの反対側の道を走ってきたのだ。自分は他の参加者より遅く、今はここを交通整備する係の者がいなくなったのだ。そう見極めた僕は、あっち側へ行かなければいけないと思った。そして、わざわざ車道を横断して、なんの疑いもなく向こう側の道へと吸い込まれた。その先の道は舗装されていなかった。沿道と車道の区別のない土道に、大量の車が入り乱れ、両サイドには見るからにやばそうな外見の男どもが、仕事中にも関わらず職場の休憩所に設けられた手製のダーツで遊んでいる。とても荒れ狂ったご様子だ。そして、僕の胸に張られたゼッケンを見て何やら笑っていた。
「あいつ道に迷ってんじゃないか??」と言っているに違いない。
この、荒れ果てた場所を走って、初めて自分が道を間違えたことに気が付いた。遠くの方にはゴール近くにあった目印のビルが見える。
どうやら、おおまかな方向は間違ってはなさそうだ。ここまで来たのだから、引き返さない方が良い。そう考え、僕はそのまま押し進んでいった。
不運にも愛用のペース測定器(Nike Plus)は、前日行ったスポーツジムにて無くしていた。ただでさえ残りの距離を示す標識が少ないのに、迷ったお陰で、自分がどれほど走っているのか全く解らなくなっていた。道しるべとなっていた目的地近くのビルもそういえば今は見えない。
何となくの方向感覚で走っている状態。はたして、本当に自分はゴールできるのだろうか。iPodにて時間を見ると、もう制限時間まで20分もない。前夜際で知り合った日本のベテランランナーに、自分の完走予想タイムを伝えていた。予想タイムを既に20分も過ぎている。ゴール前で恥をかく自分を想像してしまい、余計に気が滅入った。そんなまっ暗闇の危機的状況に、さすがに絶望して僕はとうとう歩いてしまった。
それから、時だけがいたずらに過ぎ、制限時間まであと5分というのに未だビルが見えない。疲労感も限界で、既にフルマラソンの距離プラス5kmは余分に走っていそうな感覚。間もなくもう諦めようと沿道にある岩に腰をおろしてしまった。
ラソンで、ここまで心が折れたのはこれがは初めて。
それから間も無く、制限時間の12:00を超え、僕の連続完走記録もここまでだと落胆した。

腰を下ろしてから約10分程が経過したころだろうか。某バスケ漫画の学校教師が発した、有名な言葉が脳内に浮上した。今の仕事でも挫けそうになったとき、おまじないのように、唱えてきた言葉だった。この状況で、すぐにこの言葉が出る自分の成長ぶりには関心した(爆)。
ゴール地点に誰もいなくてもいい。笑い話になったっていい。どんなルートでもゴールにたどり着けたら、それを自分自身のゴールとしよう。そう気持ちの軌道修正を行い、僕は再び走り始めた。道を誤ってからの自分の方向感覚はあながち間違ってなかった。その証拠に再走してから約5分ほどで、ゴール近くのビルが真横に見えた。その時、やっと光がさしたのを実感した。

ゴール地点のスフバートル広場前の公道を抜けて、広場へと入るのが本来のルート。そのルートと直行するルートとの交差点に誘導員が立っていた。ということは、本大会はまだ終わっていそうにない。なんだかとてもほっとした。しかし、その本来のルートと直行するルートから出現した僕を見て、とっても驚いた様子の誘導員の顔は、とても印象的で今後忘れられそうにない。もうゴールは目の前。広場にいる観客の拍手や声援が聞こえる。ゴールと同時に、参加章のメダルが首にかけられた。制限時間が過ぎているのに、ゴールとして認められたこと、そして何よりも、自分の期待以上の結果(まだ大会が開催されていたこと)がとてもうれしかった。
体力的に限界の僕はすぐさま座り込む。すると、なんやらモンゴル人が話しかけてきた。それに答える余裕はない。というか、何言ってるか解らない。たまらず、「I can't speak」と答える。過大解釈すると、北島康介の「なんもいえない」だ。本大会も無事終了。
[記録]
完走。
タイム:測定不能(5時間越え)
*実際は5時間20分くらいかな(笑)←前回のフルマラソンより1時間くらい遅い。


[まとめ編]
自分のこれまでの人生を振り返ると、なにごともすんなりゴールすることはなく、予定と違ったり、ハプニングが起きたり、自分の取り越し苦労で回り道したりと、まるでこのマラソンはそのミニチュア(誰しもそんなもんか)。手段やルートが予定や理想と違っても、なんだかんだで目標達成できたことは、素直に自分を褒めてあげたいと心底思う。そして、そんな今の自分を形作ってくれた周囲の人々(友や家族や職場の人や先生)に心から感謝したいと思った。あとは、今後、できるだけ自分の理想や、計画の通りに事が進むよう精進するのみ。
ラソンは自分の性に合ってると再認識できた良い大会だった。かつ過去最高の旅行で、過去最高のマラソン大会。そして人生最大の良い出来事であったかのように思う。
次はこれを超えられるようまた、何かにチャレンジしたい。というか、絶対に超えるぜ!!

鳥取マラソン2011

鳥取ラソン2011。初のフルマラソン
なんとか完走。タイムは4時間16分。
今日のライバルはとある美ジョガー。自分とペースが似通っていて、20キロ地点までほぼ併走状態。最初は気にしてなかったが、あまりにも一緒に走ってたので、だんだんライバル視するようになってきた。
20キロを超えた辺りから、なぜか美ジョガーが見あたらなくなり、少し心配になったが、ハーフ経験しかない自分にとってここからは未体験ゾーン。他人を気にする余裕はなかった。30キロ地点くらいから待ち受けていたのは、これまでに経験したことのない足の激痛。体力は残ってるんだけど、足がついてこない。あと12キロを走れるとは到底思えない程の激痛で、途中で止まるのはすごい悔しかったが、端によってストレッチを慣行。すると、先ほどまで並走していた美ジョガーが追い越していった。リタイアしてなかったことに安心したけど、同時に負けたくない思いが込み上げて、気合を入れなおし再走。残り12キロ。ここからは片道5キロの直線道を往復する地獄の一本道だった。
見渡すと周囲のランナーは皆、バンビちゃん状態。生まれたての小鹿の足取り。美ジョガーの方も先ほどまでの快走とは打って変わって明らかにペースダウンしていた。間もなく美ジョガーもバンビちゃん状態。ここからは、お互い自分との戦いだったと思う。路上で応援してくれてたスポーティなお兄さんが「折り返しまでいくと楽になれるから!!」とヘトヘトランナー達を勇気付ける。自分もその言葉に感化され、ニヤっと笑ってペースを上げる。それを見たスポーティ兄さんが「いいね!!上がってるね!!」とさらに勇気付けてくれた。が、調子に乗りすぎ、足が痙攣してリアル転倒。通勤中にマジゴケするのとは違い、まったく恥ずかしくはなかった。気が付くとまた、美ジョガーの姿は見えなかった。残り7キロ、折り返し地点に差し掛かかった。対向車線のランナーを横目に突っ走っていると、美ジョガーの姿がそこにあった。もうここからは、お互い完走したいと心底思っていた。折り返しを過ぎると、悪魔の収容車が自分を横切った。自分の目の前で収容車に乗り込んだ者もいた。自分のスピリッツは死んでなかったので、その収容車とできるだけ目を合わせないようにした。が、足が痛すぎて、何度も歩いてしまった。何度走り直しても、止まってしまう状態。もはや気力で乗り越えるしかなかった。そうこうしている間に残り5キロ地点。光が見えたような気がしてもう歩かないと決心した。この決心が最後まで守れたのは、今大会の自分を褒められるポイント。
残り2キロ地点くらいで、美ジョガーが自分を一瞬追い抜いた。美ジョガーのスピリッツもまだ死んでいない。歩かないことを決めたときから、差がついていたのは確かで、途中後ろを振り返った時にはかなりの後方にいたはずだ。自分は一切ペースダウンしてなかった。それが、いつの間にか追いついて、更には追い抜かれた。この美ジョガーの精神力の強さには度肝を抜かれた。自意識過剰かもしれないけど、美ジョガーにとって、自分は少なからず良い結果を出すためのゴースト(マリカーに出てくる目標のやつ)になっていたのだと思う。この美ジョガーの真っ向勝負に受けてたとうと勝手に思い、残り2キロで自分もペースアップ。これは、昨年、競輪選手(関係者)と自分との関係が逆転したような感じだった。そこからは足の痛みも感じず、短い間だたけど、伊勢マラソン以来のハイな状態になった。気持ちよかった。そしてなんとかゴールした。美ジョガーは、自分の3人後ろぐらいでゴールして、何とか共に完走できたことに安心した。ちょっとくらい声をかけたかったけど、流石に全く知らない人だったので躊躇したけど、心のそこから、お疲れ様と、完走おめでとうを言いたい気持ちになった。美ジョガーのスピリッツとっても素敵やった。
あと、長々とこれを読んでくれた人はもうお気づきかと思うけと、4時間以上もほぼ一緒に走ると、流石に「惚れてまうやろーーっ!!」。以上、初フルマラソン体験記。

3・11の悲しい出来事で、日本中で様々な催し物が中止さている。節電するのも、募金するのも、催し物を自粛するのも、個人が本当に被災者を思いやっての行動であれば、効果の有無も、その形も問題にならないと思う。そんな中、鳥取ラソンは被災者へ勇気を届けるというコンセプトを急遽引っさげ慣行された。とても自然体な大会で個人的には、この自然さがすごい好きだった。完走者にバナナが配られたり、スポーツゼリーが配られたりして、余った分を被災者へ送ると、かき集めてた中学生ボランティアが印象深い。思いやりを持ってとる行動は美しい。月並みな表現ですけど、明けない夜はありません。ただ、それと同時に沈まない太陽もありません。私はそのことを思い、本大会ではただ走れる喜びを十分に噛締めることができました。
被災者の皆さん、これから長いけど、必ず夜は明けます。それまで耐えてください。他の皆さん、思いやりをもって、日々の生活で自分にできることで自然に被災者の皆さんに協力できればそれでいいと思いいます。後、被害に合わなかった我々は、沈まない太陽もないことも肝に銘じて、今を幸せに思い、当たり前のことを当たり前と思わずに感謝して今を精一杯生きることに徹するべきだと私は思う。