続:初恋・或る夏の思い出















北海道のカトリック学生グループが賑やかに数日過して帰って行った後、何も無い田舎の

教会は台風一過のように寂しくなりました。 丁度まだ夏休みの最中で、普段は子供達で賑やかな

園庭も人っ気が無くて遊具のブランコが人待顔で風に揺れていました。

街外れにあるこの教会は、ドイツ系フランス人のW神父様が主任司祭兼助任司祭で何年も前から

教会運営に当って居られ、「私は、日本の土になります!」 と宣教師魂を話される、フランシスコ・

ザビエル顔負けの熱心な宣教師でした。 やがて、地域の小さい保育所を教育事業の修道会が

引き取って、シスター達が経営に当るようになりました。 

以前の貧しい民家のような保育所は、やがてシスター達の手で、明るくそこそこ設備の行き届いた

保育所に生まれ変わり、其の地域の子供達がどんどん集まって来ました。















私が司祭館に良く出入りしている姿を見て、シスター達は保育所を手伝うように声を掛けて下さいました。

健康面にまだ問題はあったのですが、其れも含めて責任を持つ!と引き受けてくださり、教育実習を

兼ねて、お昼寝つきで将来の勉強もしながらお手伝いをするようになりました。

繁華街にある伯父の家を離れて、新しく新築された保育園の中の和室を私の部屋にして下さり、

初めてとても自由な生活が与えられたと心細いながらわくわくする喜びを味わっていました。

神父様もシスター達もとても温かく接して下さり,病んでいた心も身体も徐々に健康を回復して

行くのを感じました。 私の病弱は、物心ついて以来、起きてくる家庭の色々の出来事で、引越しや

転校を繰り返し、絶えず変わる環境の変化に付いて行けなかったのにも原因があったように思いました。

神父様に出会って以来、人の優しさに触れることが多くなり、自他共に大切に思う普遍的な

思いやりの心を学ぶ事が出来て、大海原に浮かぶ木の葉のように翻弄され自分の存在を見失い

かけていた思春期から青春期になろうとする私は、初めて将来に希望を持ち始めたのでした。

神父様は、寂しく一人で病院で最期を迎える人を探しては、希望を与え最期を平和に迎えるよう

お手伝いしておられました。 其の頃私は、そんな神父様のお手伝いをして病院訪問を良く

していました。 私の顔を見ると曇って寂しいお顔をされていた人が明るい笑顔になって、喜んで

下さるのを見て、私でも人を喜ばせることが出来るのだ!と自分のなかに自信がみなぎって来るのを

感じたものでした。 其れまで、お金や物で人間の価値を決める人の多い事に反発を感じていた

私にとって、心の持つ力、精神が人に与える喜びや希望の不可思議に神父様やシスターを

通じて感じるようになったものでした。














さて、北海道の青年達がやって来たのは丁度その様な頃だったのです。  

彼らは、私と違って恵まれた家庭の青年達で伸び伸びと青春を謳歌している印象でした。

私達は、カトリックの信仰を通じて共通の信念を以って心から結ばれた仲間のようでした。

たった、三日間でしたがお互いに心から話し合い、楽しんだ数日間でした。

その後もお礼状が届いたりして、交流は続きましたが、徐々に又楽しかった、夏休み気分も

抜けて、各自 現実の日々の生活に戻っていきました。

Sさんは女子短大を卒業後,病院経営の聖Y修道院に入会することになり、夢と希望に溢れて

後、僅かな勉学に励んでいる!と連絡が来て以来 音沙汰がなくなりました。

きっと、神の花嫁になる準備に忙しい日々を送っているのでしょう!と想像していました。

私自身も数年先には幼児教育の資格を取って、教育事業をしている、D修道院で生涯を

捧げようと決意していました。 そういう意味でも,Sさんとは特別の結びつきをお互いに感じていました。

彼らが去って暫らくは、寂しい気分に浸っていたのですが、やがて、新学期が始まり又、賑やかな

子供達との生活が始まり、その夏の思い出も日々の忙しさで心の片隅にしまわれていきました。

秋が来て冬が来て、新学期が始まり、新しい子供達に振り回されて一学期があっという間に過ぎ

去って行きました。 夏休みに入って一週間余り、普段出来ない部屋の模様替えやお掃除、買い物

等と忙しい日々を楽しみ半分で過していました。 午前中忙しくして疲れたので、昼食後 座敷で窓を

開けて風を通しながらお昼寝をしようと寝転んでいた時でした。

誰も来る事のない園舎の広い玄関から 「ごめんくださ〜い」 と男性の声がしました。  

「あれ?父兄でも来たのかしら?」 と思いつつ、廊下を走って出て行きました。 

そこに立っていたのは、なんと、昨年の夏に五人で司祭館を訪れた中の一人の O君でした。

一瞬 誰か判別できず様子を見てから あ、O君!と思い出し、「あら〜O君? でしょう〜?」と

目を大きく開いてO君を確かめるように眺めました。白いワイシャツの袖を肘まで折って、

黒い学生ズボン!と今では考えられない当時の学生ルックにリュックを肩に引っ掛けていました。 

「どうしたの〜? ひとり〜?」 と私は、立て続けに言いました。

彼は、「ご無沙汰しました! お元気ですか?」 と男らしく一寸、はにかんだような笑顔で

懐かしそうに にこにこしながら私を眺めていました。

「 驚いたた〜! 又、旅行?」と言うと「はあ〜 名古屋から山陰まで行って、これから帰るところで

近くまで来たので寄りました…。」「へぇ〜 そう じゃあ これからは?」  「帰ります!」 

「じゃぁ 送っていくわ〜一寸待ってね。」と言って 、部屋に 戻り身支度をして彼が突っ立っている

玄関へ出て行きました。 私は、初めての経験で何をどうして良いかも解らず、どきどきした気分を

外に現さないように注意しながら、素知らぬ顔で「ごめんね〜お待たせして〜」 と言って鍵を閉めて

園の外に出ました。  「この辺、ちっとも変わってないな〜」 と彼はキョロキョロ見回しながら、

二人で広い幼稚園の庭を横切り門を出て行きました。

  
















港までのかなりの距離を、タクシーに乗る訳でもなく歩いて話しながら行きましたが、時間はあっと

いう間に過ぎた気がしました。

後で思えば、彼は,Sさんが手の届かないところに行ってしまったので、傷心旅行のような感じでも

あったのではないかと思いました。 Sさんとは仲良くしていた私に会って話したかったのでは

無いか?と思います。 私はと言えば、生まれてこの方、異性と言えば、祖父、伯父、父親、兄と

弟くらいで、学校の同級生は全く記憶に無いくらい無関心でした。 一番身近な父親を嫌っていた

所為もあったのでしょうか?男の子を本能的に敬遠していました。 ですからこの夏休みの出来事は

奇跡的な出来事で、素直に異性と話が出来て、好感を持って受け止める事が出来たのは不思議な

事でした。でもこの時はぎこちなく、はるばる立ち寄ってくれた彼にお茶の一杯もご馳走してから、

送って行けば良かったのでしょうけれど、全くそこまで気が廻らない不器用さでした。

船着場に近くなった頃、彼はカメラを出して、私を撮ってくれました。 私はなぜか嬉しくてず〜っと

話しながら、コロコロ笑っていました。 何故こんなに楽しくて嬉しいのか分らないのですが、O君と

一緒に港まで話しながら歩いた時間が今でもキラキラ輝いて蘇ってくるのです。

港で写してくれた一枚の写真は、その後如何言う訳か送られて来ませんでした。

そしてその後私達は其々新しい人生の門出に向かって歩みを進めて行きました。  

Sさんとはその後東京のカトリック系S女学院へ勉強に行った時バッタリ出会って、シスター姿の

立派なSさんを確認しました。 

O君もきっと医学を修めご自宅の医院を継いで立派なお医者様になられたことでしょう。

あの五人の青年達は其々の道を歩み、きっと何時までもあの夏の日の小さなA島の教会と

司祭館での出来事を私と同様 懐かしく思い出しているのでは無いでしょうか?

今思えば、O君との出会いは私の初めての恋の芽生えのような気もいたします。 

私が余りにも晩生で折角訪ねてくれたO君の意図を察してゆっくり話を聞いて上げられなかったのも

自然の成り行きだったのでしょうね。 

皆様のご期待に添って燃えるような初恋の成就をお聞かせ出来なかった事をお詫び致しますね。