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Peepooblue’s Notebook

1983-03-17

[]急行「八甲田」〜青函連絡船「大雪丸」 23:01

 上野駅の13番線ホームには独特の雰囲気がある。行き止まり式の地平ホームの中でも一番端に位置し、頭上は高架ホームに覆われているため、いつも薄暗く、どこかヨーロッパターミナル駅のようでもあるし、その仄暗いなかに列車が運んできた北国の空気が濃密に漂っているようでもある。このホームに立つと、北への旅の始まりを実感する。

 その13番ホームで、これから北海道へ旅立つ僕は青森行きの夜行急行八甲田号を待っていた。

 現在は高崎行きの普通電車が停車中で、勤め帰りの人々が次々と乗り込んで、かなりの混雑ぶり。この電車が発車すると、八甲田号の入線となるのだが、それを待つ行列もすでにだいぶ長くなってきた。地味な服装の、これから故郷に帰るといった風の人が目立つ。

 さて、高崎行きの発車時刻は18時37分だが、時間になっても一向に発車する気配がない。構内に何やら放送が流れているが、反響して聴き取りにくい。何度も繰り返されるのを聴いて、ようやく理解したことは、高崎線熊谷駅構内で信号機の故障があり、一時高崎線がストップした。現在は運転を再開しており、各駅に停まっていた列車が順次動き出しているので、線路が空きしだい、高崎行きも発車する、ということだった。

 結局、高崎行きが出発したのは19時頃で、18時44分に入線するはずの八甲田号は当然まだ姿を見せていない。放送によれば、すでに車両基地は出ているが、途中で立ち往生しているらしい。

 発車時刻の19時10分を過ぎても、まだ列車は入ってこない。それでも、乗客は特別いらだった様子もなく、のんびりしたものだ。このぐらいでイライラするような人はそもそも青森まで11時間以上もかかる列車になど乗らないのだろう。

『お待たせいたしました。東北線回り青森行き急行八甲田号がまもなく入線いたします』

 19時20分、重々しいディーゼルエンジンの音を轟かせて、銀色の荷物車スニ41、続いて白い細帯を2本巻いた青い12系客車が9両、電気機関車EF58?)に後押しされて、ゆっくりと入ってきた。なんとも言えない、ワクワクするような瞬間だ。

 所定の位置に列車が停止し、ドアが開くと、乗客の列はあっという間に客車内に吸い込まれた。僕は後ろから2両目の中ほどに席をとる。大体1ボックスに2〜3人程度の乗車率で、僕のところは隣に女の人、前に男の人が1人で、計3人だ。

『準備が出来しだい発車いたします』

 というアナウンスがあり、結局、19時30分に列車は動き出した。車窓にホームの風景が流れ、列車はゆっくりと高架線へと駆け上がっていく。

『ご乗車いただきまして有り難うございます。この列車は東北線回りの青森行き急行八甲田号でございます。上野駅を20分ほど遅れて発車いたしております…。途中停まります駅は…』

 列車は帰宅ラッシュの満員電車を横目に大宮までは軽いウォーミングアップといった調子でゆっくり走る。曇った窓ガラスに街のネオンが滲んで幻想的な風景が流れていく。

 25分の遅れで大宮を出ると、大都会のネオンともお別れ。車内検札も済み、青函連絡船の乗船名簿を受け取ると、あとはもう青森までゆっくり眠ることに専念するだけだが、まだ20時を回ったばかり。隣の女性客はウォークマンで音楽を聴いているが、僕はそういう類のものは何も持っていないので、ただぼんやりと車窓に広がる宵闇を眺めていた。

 小山、宇都宮、西那須野に停車して、関東平野北端の黒磯に到着したのは21時55分。相変わらず定刻より25分遅れている。この駅で9分停車の間に機関車を交換。

 前方から赤い交流機ED75の勇ましいホイッスルが聞こえ、八甲田号は再び闇の中へ加速していく。

 まもなく、国境の丘陵地帯を越えると、“みちのく”である。

 みちのく最初の停車駅・白河も過ぎて、郡山には30分ほど遅れて、23時頃に着いた。磐越東・西線はもう終列車が出た後で、明朝の始発列車の案内をしていたが、そんな乗り換えをする人がいるのかどうか。

 郡山を発車後、おやすみ放送。青森までの停車駅と到着時刻を告げた後、お酒を飲んでいる人は程々に、などと言って、その後、車内減光。もう通過する小駅も消灯して眠りについている。車内もそろそろ寝静まってきた。でも、僕はまだ眠くはならない。

 福島に到着。ホームの乗車位置を示す列車案内板が風に揺れている。明日の天気はよくないぞ、という風だ。

 白石にも停まって、仙台には35分遅れで到着。ホームの時計はすでに午前1時を回ろうとしている。3分停車のところを7分停まって、後続の寝台特急ゆうづる」に道を譲る。

 いくらかウトウトして、ふと気がつくと、列車は停まっていた。でも、駅ではない。信号停車らしい。

 どの辺だろうと、闇の車窓に目を凝らすと、薄暗い車内灯に窓外の地面が仄かに白く浮かび上がる。いつのまにか北国へやってきていた。

 列車はゆっくり動き出すと、そのまま一ノ関駅へと進入。時計の針は2時半を指している。この駅は深夜でも列車が発着するので、駅の待合室には夜通し電灯が点いている。人の姿は見えない。水銀灯に照らし出された構内の片隅にはローカル支線のディーゼルカーがひっそりと休んでいた。

 次の水沢で隣の席の女性が降りていった。これで僕のいるボックス席は2人だけになり、向かいのシートに足を投げ出せるようになった。姿勢が楽になると、たちまち眠りに落ちた。

 北上、花巻は知らぬ間に過ぎて、次に気づくと盛岡駅に停車中だった。時刻は3時45分を過ぎたところ。東京から新幹線を利用すれば3時間20分弱のところを8時間以上かかって、ようやくである。青森まであと3時間だ。

 さて、列車は未明の盛岡を出ると、時刻表上は八戸まで停車しない。いつしか雨が降り出した。並行する上り線の濡れたレールが冷たく光っている。

 やがて、列車は沼宮内に停まる。これは最後尾の荷物車から新聞を下ろすための停車で、お客の乗降はできないから、時刻表には通過のマークがついている。いわゆる運転停車というやつだ。八甲田号は新聞配達の役目も担っているのだ。

 十三本木峠に通じる上りにかかると雨は雪に変わり、沿線の積雪も深くなる。御堂、奥中山といった通過駅はどこも雪に埋もれている。雪ばかりを照らす標識灯や信号灯が美しい。

 一戸、北福岡にも連続停車して新聞を下ろす。雪のホームを駅員が新聞の小さな束をのせたリヤカーを引いていく。先頭の機関車から鋭いホイッスルが聞こえ、軽い震動とともに八甲田号は動き出す。機関車がグイグイと列車を引く様がここまで伝わってくる。

 並行する国道の派手な電飾のトラックを追い抜きつつ、八甲田号は未明の山間を駈けていく。

 車窓を何気なく眺めていると、闇の中で道路灯がたったひとつ、光を放っていた。真っ暗な雪面がそのスポットライトの中だけ淡いオレンジ色に浮かび上がって、ハッとするほど幻想的に見えた。

 軽やかな足取りで峠を越え、青森県に入った列車が三戸でも新聞を下ろすと、八戸が近い。中断されていた車内放送が再開され、車内灯も明るくなる。東の空が白々と明るくなってきた。いつしか雪は止んだようだ。

 5時20分頃、相変わらず30分ほど遅れて八戸に到着。隣のホームに八戸線始発のディーゼルカーが八甲田号からの乗換客を待っていた。

 青森まであと1時間半足らず。

 三沢を過ぎて、上り特急はつかり2号」とすれ違う。

 北海道の風景に似た荒涼とした丘陵地帯を抜けて、野辺地も過ぎた。

 一晩中走り通した車内はいつしか空席が目立つようになり、寝不足の朝の倦怠感が漂う。

 まもなく列車は陸奥湾の海岸に出た。三角形の白波が立ち、灰色の雲がどんよりと低く垂れ込めて、今日の連絡船は揺れそうだぞ、という予感がする。

 浅虫も出て、海岸部を離れると、やがて列車は青森の市街地へと入っていく。車内では下車の準備も済んで、あとは到着を待つばかり。

 車内放送で青森での乗り換え列車、連絡船、函館からの接続列車が案内され、最後に「列車が遅れましたことをお詫びいたします」と結んだ。

 6時45分、急行八甲田号は30分遅れのまま本州北の終着駅・青森にすべり込んだ。上野から735.6キロ、11時間15分の旅であった。

 伸びをして立ち上がり、重い荷物を下げて、ホームに降り立つと、ひんやりとした北国の空気が寝不足の身体を包み込む。連絡船桟橋は前方の階段である。

 ホームでも遅れを詫びる放送をしている。熊谷駅の信号機が悪いのに、遠く離れた青森駅で謝られたりするのが国鉄のすごいところだ。

 さて、次の青函連絡船は7時30分出航の23便。乗船改札が始まるまで桟橋の待合室で青森港の風景を眺めながら時を過ごす。待っているのは派手な色彩のダウンジャケットを着て大きなリュックやバッグを持った若い旅行者が目につく。

 7時05分から改札開始。八甲田号の車内で受け取り、氏名や住所などを書き込んだ乗船名簿を係員に渡して船に乗り込む。今日の船は大雪丸である。

 普通船室の座席に腰を落ち着けて、出航を待っていると、連絡列車待ちのため5分遅れて出航との放送があった。後続の特急列車も遅れているらしい。

 しばらくすると、「15分遅れて出航予定」とのアナウンス。これ以上遅れて北海道側の列車ダイヤにまで影響が出たりしたら熊谷駅の信号機の責任は甚大である。

 結局、23便・大雪丸は20分遅れて7時50分に青森港の岸壁を離れた。

 まもなく食堂が営業を始めたので、カレーライスを食べる。

 朝食後は甲板に出てみようとしたら、強風のため閉鎖中であった。仕方がないので甲板へ通じるガラス扉の内側から海を眺めていたら、そこまで波しぶきが飛んできた。甲板はもう水浸しだ。

 船は津軽半島を左舷に見ながら北上を続ける。

 津軽半島の山影が海中に没するところが竜飛岬。それと対峙する北海道最南端も鉛色の海の向こうにぼんやりと見えてくる。いよいよ津軽海峡にさしかかる。

 目に見えて海が荒々しくなり、船の揺れも激しくなった。波にグーッと持ち上げられてはスーッと沈み込む。そこに横揺れも加わるのだから、まともに立っていられない。

 出航時の放送で、「今日の津軽海峡は多少船が揺れる程度です」といっていたが、多少どころではなくなってきた。

 まともに歩けない状態なので、自分の席に戻って大人しく座っていたら、たちまち睡魔がやってきた。

 ふと目を覚ますと、海峡は無事通過したらしく、激しい揺れはおさまっていた。窓外に目をやると北海道の大地はすぐそこだ。

 やがて、到着15分前の放送が始まり、連絡列車が案内される。

 函館港の防波堤の灯台、埠頭の倉庫群、たくさんの船が見えてくると、出口付近には下船を待つ長蛇の列ができるが、僕はすぐに列車に乗り継ぐわけではないので、最後まで席に座っていた。

 函館桟橋に接岸したのは11時30分。3時間50分かかるところを10分短縮して、定刻より10分の遅れだった。