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Peepooblue’s Notebook

1992-02-29

[]五能線に乗って深浦へ  16:01

     五能線

 上野青森行きの夜行急行津軽」は9時24分に秋田県東能代駅に到着した。列車を降りると、いつしか小雨がポツポツと降り出していた。

 とりあえず、駅の立ち食いそばで腹ごしらえしてから五能線に乗る。

 五能線東能代から日本海に沿って北上し、深浦や五所川原を経て、川部で再び奥羽本線に合流する長いローカル線である。

 今度の列車は10時11分発の弘前行き。先頭には「ノスタルジック・ビュー・トレイン」というヘッドマークを掲げた、黄色とこげ茶色ディーゼル機関車。その後ろに同じ配色の客車が3両。最後尾は展望室付きの特別車で、座席指定券が要るらしい。観光客風がパラパラと乗っている。僕は地元の客に混じって普通の車に乗り込んだ。

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 わずかな客を乗せて定刻に発車した列車は能代市の中心部を通り、茶色い雪解け水の流れる米代川の長い鉄橋を渡ると、薄く雪の残る田園地帯を北へ向かう。まだ海は見えない。旅人の心を焦らすように、小さな無人駅にこまめに停車しながら、のんびり走る。

 とりとめのない風景が30分ばかり続いて、列車が大きく左へカーブすると八森。家並みの向こうにようやく日本海が広がった。旅に出て最初に海が見えるこの瞬間が好きだ。

 しかし、今日は生憎の雨模様。雲が低く、水平線は煙っている。

 この先、五能線の列車は冬枯れの海岸段丘の上に細々と敷かれた鉄路をたどる。

 人家はまばらになり、海はますます間近に迫ってきた。暗く沈んだまま、時折、白波を立てて、静かにゆったりうねっている。

 荒々しい断崖と鈍色の海が織りなす美しくも寂しい風景。「ノスタルジック」というにはあまりに荒涼として厳しい。たまに小さな集落が車窓に現われるだけの侘しいローカル線の旅。

 列車は岩館と大間越の間で県境を越え、青森県に入った。

 乗り込んできたおばさんたちが話すのはまるで異国の言葉のような津軽弁。これを日本語と呼んでいいのか、単なる方言として片付けていいのか。そのぐらい標準語とはかけ離れている。聞いていると、あまりの難解さに思わず笑みが浮かんでしまう。この雰囲気は地元客の乗らない特別車両では味わえない。急行津軽」より少し遅れて、僕も津軽へやってきた。

 日本海に沿って1時間以上も走り続け、眼下にようやく町らしい町が見えてくると、それが深浦である。

 連続する短いトンネルの合間に小さな湾を囲む家並みを見下ろして、急カーブに車輪を軋ませながら、町の外側を縁取るように走った列車はようやく町の北はずれで駅に停まった。11時54分の到着。

 まだ霧雨が降っていて、気温も東京と同じくらい暖かい。少々拍子抜け。


     深浦町歴史民俗資料館・津軽深浦北前の館

 駅前の国道を南へ歩くと漁港があり、海辺に立つひときわ大きなレンガ色の建物が町役場。最近はどこへ行っても、役場だけは立派である。

 その役場の向かい側が校倉造り風の深浦町歴史民俗資料館で、立ち寄ってみると、土曜日はお昼までだという。時計はまさに正午を指している。しかし、館長さんの「どうぞ」の一声で、とりあえず入館できた。

 ところで、深浦は僕が14歳の春に初めて訪れた思い出の場所である。ただひたすら遠くへ行きたくて、旅に出て3日目の午後に弘前から五能線に乗ったのだった。深浦は中学生のひとり旅には寂しすぎる土地だったが、なんとなく愛着を覚え、この町へ来るのは今回が3度目になる。

 前回は時代が「平成」に改まった直後の2月で、今日と同様に急行津軽」から東能代五能線に乗り継いだ。その日は寒波による吹雪模様。海もシケていた。それで雪と風を避けるために寄ったのが、この歴史民俗資料館だった。客はやはり僕だけで、館長さんが館内を案内してくださった後、事務室でお茶まで出していただいた。色々と興味深いお話が聞けたが、景気のいい話は出なかったと記憶している。

 というわけで、見覚えのある展示品の数々、例えば縄文遺跡の出土品やさまざまな農具や生活道具などを眺めていると、例の館長さんが出てきて、またひと通り説明してくれた。僕も深浦へは初めて来ました、という顔で話を聞いた。

「まぁ、どうぞ、ゆっくりご覧下さい」

 そう言い残して館長さんが事務室に戻ると、今度は棟続きの津軽深浦北前の館をみる。前回の話では、むしろこちらの方が売り物なのだ。「資料館」が深浦の人々の生活史だとすれば、「北前の館」は古くから北前船交易の要港として賑わった深浦の栄華の歴史の展示館である。当時の古文書などの歴史的資料が展示されているが、とりわけ北前船の復元模型や、船で運ばれてきた黄金の仏壇などは自慢の品であるようだ。

 ざっと見物して外へ出ようとしたら、職員の女性が、

「ご苦労さまでした」

 と言った。

     円覚寺

 次は深浦漁港トンビカモメカラスばかりで、人影はなし。静かなものである。

 魚市場のはずれに古びたバスが1台。「ラーメン」「営業中」の看板が出ている。窓にはカーテンがかかり、内部の様子は窺えなかった。

 さらに港に沿って歩くと、「かんのんさま入口」とあって、横道に入れば、山林に囲まれた津軽の名刹・春光山円覚寺。朱塗りの仁王門からして立派な寺である。

 寺の歴史は古く、大同2(807)年に坂上田村麻呂蝦夷征伐の折にここに陣を敷いて、観音堂を建立し、聖徳太子の作という十一面観音像を安置したのが始まりと伝えられている。この観音像は円覚寺本尊として今に伝えられ、33年ごとに開帳されるとのこと。

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 寺は古来、海上安全の信仰を集め、各地の船主や船頭から奉納された船絵馬や毛髪で刺繍した釈尊涅槃図など貴重な文化財も数多いらしい。

 しかし、季節風の厳しい冬の間、本殿はすべて板で囲われ、何も見ることができない。人の気配もまるでない。「休業中」といった風情である。

 仕方なく、周囲の杉木立など見上げてから、石段を下り、もう一度、仁王門の厳しい金剛力士像や天井に描かれた見事な竜などを眺めて、駅に戻った。

 途中、魚屋の店先に色々な魚介類に混じってサメが10匹近くも無造作に積んであった。美味いのだろうか。

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     深浦駅

 さて、深浦はもうこのくらいにして、どこか他の町へ行きたくなった。東京で暮らしていると、この小さな港町が懐かしく思い出されて、こうしてまた来てしまったけれど、記憶のままの町を少し歩けば、それで満足。長居は無用、という気がする。

 ところが、次の列車は3時半過ぎまでなく、まだ2時間近くもある。おまけにさっき東能代から電話で「みちのく温泉」とかいう近くの宿まで予約してしまった。深浦の南方、艫作(へなし)崎のそばで、列車で15分ほどのところだ。少々早まった。弘前あたりまで出てしまった方がよかったかもしれない。「日本海の見える露天風呂」というのが、ちょっと魅力ではあるけれど、雨のそぼ降る陰気な土地に泊まってみても仕方がないのではないか、そんな気がしてきた。でも、まぁ、いいか。どうせあてのない旅。今夜はのんびり温泉につかって、静かに読書でもしよう。読まずに溜まった本が何冊か鞄に入っている。

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 それにしても、次の列車にはまだだいぶ時間がある。前に資料館の館長さんが、国鉄民営化されて以来、五能線の列車本数が減って不便になったと嘆いていたのを思い出す。

 駅の待合室では高校生がストーブを囲み、よそ者にも大体理解できる今風の津軽弁が飛び交っている。土曜日の学校は昼までなのに、列車は上りも下りも正午過ぎに出たきり、3時間以上も間隔が開いている。ずっと待っているのだろうか。そうだとすれば、気の毒な話だけれど、楽しそうではある。

     大岩

 とりあえず、駅前の商店で買ったパンとお茶で簡単な昼食にしてから、今度は町の北はずれの大岩に行ってみる。

 海に沿ってしばらく歩くと、海岸へ下りる遊歩道があって、その先に大きな赤茶色の岩山がそそり立っている。それが大岩。

 かぼそい遊歩道は波の押し寄せる岩礁の間を縫い、険しい巨岩にしがみつくようによじ登って頂上に至る。雨に濡れて滑りやすく、踏みはずせば海にまっ逆さま。助かるまい。もちろん、周囲には誰もいない。

 そんな危険を冒して、手すりを頼りにてっぺんまで登ってみても、べつに何があるわけでもない。

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 深浦の町並みも小雨に煙り、役場のビルと防波堤の赤色灯台が目を引く程度。町の背後の白神山地は霧に隠れている。眼下には冷たく澄んだ暗緑色の海。その奥底に岩礁が黒々と広がっている。こうして眺めていると、やはり寂しいところだと思う。

     みちのく温泉

 ようやく列車の時間になった。深浦15時40分発の東能代行きで15分。

 艫作は小さな無人駅で、僕のほかにも女子高校生など数人が降り、みんなそれぞれ帰るべき家へと散っていった。

 さて…。

 朝の電話でこの時間に着くと告げると、車で迎えに行くとのことだったが、それらしい車は見当たらない。もし迎えが来ていなければ、駅前の商店に頼めば、宿に電話してくれると言っていたから、そういうことなのだろう。周辺には公衆電話すらないのだった。

 早速、駅前に1軒だけある天野商店で尋ねると、すぐに連絡してくれ、電話代10円を払い、ついでに缶コーヒーを買って飲むうちに車が来た。

 エプロン姿のおばさんが運転するライトバンは集落を抜け、国道を南へ走ると、まもなくみちのく温泉に到着。いかにも由緒のなさそうなネーミングの通り、まだ新しそうな宿である。

 玄関先の「歓迎」の札の中に自分の名前があって、なんだか照れくさい。余程、客が少ないのだろう。

 部屋に通されると、真っ先に窓の向こうの日本海が目に入った。すでに暗くなりかけている。

 やけに多弁な仲居さんが標準語で、

「来る時に汽車の窓から見えたでしょう」

 と言う。何のことかと思えば、すぐそこを五能線の線路が通っているのだった。ほんの庭先、といった感じである。しかし、僕は海側の車窓ばかり見ていたので、気がつかなかった。

 庭には露天風呂らしきものも見えるので、あぁ、あれだな、と思っていると、

露天風呂は3月から入れます」

 とのたまう。

「3月からですか?」

 今日は2月29日である。うるう年でなければ今日から3月なので、なんとかならないものか、と思うが、諦めるほかなさそう。ますます別の宿にすればよかったと思う。

 気を取り直して、内風呂へ行ってみると、これがキャラメルみたいな色のお湯。こちらでは「黄金色」と称しているようだが、まぁ、そう言えなくもない。透明なお湯が空気に触れた途端に変色してしまうのだそうだ。こんな色の温泉は初めてだ。

 意外にお客が多いけれど、ほとんど地元の人ばかり。ここはいわば銭湯の役目も果たしているのだった。

 風呂から上がって待望の夕食。今日は朝から貧相な食事ばかりだったので、腹ペコだ。

 さすがに海辺の宿だけあって、サザエ、ウニなど海の幸が中心。急に嬉しくなってくる。

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 テレビのローカルニュースを見ながらビールを飲んでいると、窓の外をガラガラのディーゼルカーが通り過ぎた。