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Peepooblue’s Notebook

1992-03-01

[]津軽逍遥  17:24

 この日は青森県深浦町艫作(へなし)の「みちのく温泉」から日本海に沿って深浦駅まで歩き、五能線津軽鉄道を乗り継いで津軽半島西海岸の小泊へと向かいました。

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     旅先の朝

 6時前に目が覚めた。見慣れぬ天井を見上げながら、旅先の宿にいることを思い出す。

 今日は3月1日、日曜日。天気は回復して、薄い青色の空の下で日本海も穏やかな表情。沖合に貨物船や漁船が浮かんでいる。

 庭に出て、まだ空っぽの露天風呂を見物したり、すぐ前を通る五能線の線路を歩いてみたり、館内に戻って温泉につかったり、部屋の窓から一番列車が軽やかに走りすぎるのを見送ったりしてから食堂で朝食。

 テレビの生番組が東京の穏やかな空を映している。陰鬱な空ばかり見上げて冬を過ごす雪国の人々は毎朝こうして都会の青空を見せつけられるわけだ。冬の日本の不公平な気候東京中心型の情報社会について、しばし思考をめぐらせる。

 ただし、東京の番組とはいえ、地方色がないわけではない。たとえば、合間のCM。急に地元広告の静止画像になって、津軽弁が流れてきたりする。

 天気予報も青森ローカルで、県内各地のけさの気温は概ね氷点下2度前後。気圧配置は冬型に戻りつつあり、津軽・下北地方の今日の降雪確率は30パーセントだという。しかし、今はまだ晴れている。

 それにしても、朝からご飯を3杯も食べてしまった。まだいけそうでもある。この食欲は一体どうしたことか。旅に出ると、食欲が増すということだろうか。昔から自分の家では小食なのに、よその家に行くとよく食べると言われたものだが…。

 ところで、本日の予定はまだはっきりしない。とりあえず、艫作(へなし)崎の灯台にでも行ってみようと思い、仲居さんに道を尋ねて、徒歩で出発。

「今度は新婚旅行で来てくださいね」

 というのが見送りの言葉だった。

     艫作灯台

 小鳥の声を聞きながら、国道を駅のほうへ戻り、艫作の集落を抜けて、五能線の踏切を渡ると、やがて、昭和11年の五能線全通を祝う記念碑があり、背後の丘の上には灯台の白い帽子が見えていた。

 記念碑の脇から細い坂道を登っていくと、灯台に至る。

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 日本海を航行する船舶の安全を見守るこの灯台も今は無人。薄曇りの空の下、ひっそりと門を閉ざしていた。

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     黄金崎不老不死温泉

 海風に枯草がなびく岬から海岸へ下ると、「黄金崎不老不死温泉」という、仙人でも出てきそうな海辺の宿がある。「黄金崎」というのは温泉の色にちなんだ艫作崎の別称らしいけれど、なぜ「不老不死」なのかは分からない。どうであれ、昨今の秘湯ブームで、ここもちょっとした人気を集めているようだ。昨日、「みちのく温泉」の前にこちらに電話したら、すでに「満室」であった(一人なので断られた可能性もある。人気の宿ではよくあることだ)。

 しかし、この辺鄙な温泉が有名になったのは、おめでたい名前のせいばかりではなく、宿の前の海岸に露天風呂があるからでもある。ちょっと見物に行ってみると、実にあからさまで大胆な露天風呂である。広々とした海岸のド真ん中。周囲には釣り客もちらほら。さすがに今は誰も入っていないが、ここならテレビの温泉番組や旅行雑誌のグラビアに最適な絵が撮れることは間違いない。「黄金」と「不老不死」という人々の欲望に訴えかけるネーミングとも相俟って、メディアに登場する回数も自然に増えていったのだろう。

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     横磯

 さて、これから艫作駅に戻れば、9時半過ぎの弘前行きに十分間に合う。しかし、最果ての海を見ていたら、もっと歩きたくなった。空はブルーの絵の具にホワイトをたっぷり混ぜたような色をしているけれど、雪や雨の降り出す気配はないし、寒くもない。

 僕は海沿いの道を駅とは反対の方向へ歩き出した。隣の横磯駅をめざすが、気が向けば深浦まで歩いてしまおう。深浦まででも10キロ程度。お昼の汽車には間に合うだろうし、疲れたらヒッチハイクという手もある。

 ところが、道はすぐ海辺を離れて雑木林の中へ入っていく。べつに遊歩道ではないから、無人の海岸などに用はないわけだ。やがて踏切を渡って国道に出てしまった。

 国道なんて歩いても楽しくないけれど、仕方がない。てくてく歩いていくと、道は緩やかに下りながら左へカーブして、再び海が見えてきた。

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 五能線の線路を跨いで海辺に出ると、国道は横磯まで2キロ余りにわたって海岸段丘上の狭い土地を縫うように続いていた。

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 段丘上には棚田が作られ、松林の緑と海の青のコントラストが鮮やかで美しい。しかし、季節風が強まって吹雪にでもなれば、風景の印象は一変するはずだ。道端のお地蔵さんもガラス扉付きの「家」の中から道行く人や車を見守っていた。

 さて、横磯。ここは14歳の春に訪れたことがある。深浦のユースホステルに泊まるはずが、休業中で、代わりに紹介されたのが深浦の隣駅・横磯に近い民宿だった。横磯は中学生のひとり旅には寂しすぎる土地で、初めての日本海も冷たく無表情。最果ての風が身に染みて人恋しくなり、海辺の民宿に急ぐと、お婆さんが笑顔で迎えてくれたのはいいけれど、津軽弁がまったく分からず、ずいぶん遠くへ来てしまったなぁ、と心細く思ったものだ。今となっては懐かしい思い出である。

 その時に泊まった民宿「きへい荘」は変わらずにあった。集落の佇まいも記憶のままだ。ただ、海を見下ろす丘の上の小学校はすでに廃校になっていた。そういえば、民宿のお婆さんは元気だろうか。

     海辺の遊歩道

 横磯駅の手前で国道と別れて、港へ下りていく。前に来た時はまるで人気のない寂しい漁港だったけれど、今日は堤防で釣りを楽しむ人たちがいる。静かでのどかな日曜日の海である。

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 案内板によれば、ここから深浦まで海岸遊歩道が整備されているらしい。まだ歩く元気は十分にあるし、どうせ列車も当分来ないので、あと6キロぐらいあるけれど、最後まで歩いてしまおう。

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 横磯漁港から先、黒々とした岩の多い海岸伝いに、なだらかな荒蕪地の裾を縫うように遊歩道は細々と続く。

 日曜日といっても、春まだ浅い津軽の海辺を何キロも歩く物好きがほかにいるわけもない。道は枯草に埋もれ、途中の便所もベニヤ板でしっかり封鎖されていた。

 

     女護の澗

 ところで、このあたりの岩礁地帯は「女護の澗」と呼ばれているらしい。昨日、深浦駅でもらった観光パンフレットによれば、次のような由来があるようだ。

 藩政時代、全国各地の関所は「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まったが、人買いに売られて旅をする遊女たちは、たくみに法の網の目をくぐり抜けていたようである。

 深浦港では多くの船が、食べ物や水を補給した。そのとき出女たちを乗せている船は港に入る前に、奉行所の目がとどかない女護の澗に入って出女を一時下船させ、港で用事をすませてから、再び女護の澗で女たちを乗せて航海を続けたという。こうして命を救われた「出女」のなかには遊女ばかりでなく、幕府の探索をくぐり抜けてきた武家の婦女子もいただろう。こうしていつのころからか、女を助けてくれる「女護の澗」と呼ばれるようになったわけである。

 奉行所に見つからないように密かに売られてゆく娘たちが本当に守られ救われていたと言えるのか、という気もするが、この地にそんな痛ましい歴史があったことも確かなことなのだろう。

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 その「女護の澗」にはおばさんが何人かいた。この人たちは「出女」ではなくて、潮の引いた岩礁のあちこちで岩海苔を採っているのだ。男たちが漁に出ている間の女の仕事なのだろう。見知らぬ旅の者など気にも留めず、一心不乱に岩をこそいで海苔を集めている。磯で餌を漁っていたクロサギだけが僕に気づいたか、サッと飛び立った。

     入前崎

 道はやがて入前崎の松林の中へ緩やかに上っていく。

 岬を取り巻く海岸は磯釣りの名所なのか、大勢の釣り客が集まって、色とりどりのジャケットで花畑のような賑わいだ。

 季節はもう春。茶色い松葉に覆われた地面のあちこちで淡い緑色のフキノトウが顔を出している。頬を撫でる冷たい微風も心地よい。

 入前崎を過ぎると再び海岸に下る。彼方には深浦町役場のレンガ色の建物も見えてきた。まだ距離はあるけれど、なんとなくホッとする。

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 海藻採りのおばさんがいて、そばを通りかかると、

「遊びにきてるの?」

 と声をかけられた。50代後半くらいだろうか。地元の人ではなく、弘前から夫婦で来ているそうだ。しかし、旦那さんの姿は見えない。

「おとうさんが釣りしている間、退屈だから海藻拾ってたの」

 手にしたビニール袋が緑色の海藻でいっぱいだ。海岸に打ち上げられた切れ端を拾っているらしく、要するに海の雑草みたいなものだ。

「食べてごらん」

 ひと切れ差し出すので、受け取って口に入れてみる。歯応えがあって、ワカメやコンブよりも大味な感じ。野の味というか磯の味というか…。

 おばさんも口をもぐもぐさせながら、互いに顔を見合わせていたけれど、うまい感想の言葉が浮かばない。そうしたら、おばさんが、

「ね、おいしいでしょ?」

 と言った。味噌汁の具にするといいかもしれない。

 これからどうするのか、と聞かれて、汽車弘前方面に出るつもりだと答えると、

「車で送ってあげてもいいけど、まだ来たばかりだから…」

 と言う。そこまでお世話になるつもりはないけれど、言葉だけでも嬉しかった。

     深浦駅

 結局、深浦駅には正午少し前に着いた。

 空も海も町並みも明るく、微笑むような陽気。何もかもが昨日の陰鬱な印象とはまるで違って見える。この土地に一泊してよかったと今は思う

 駅にはすでに上り下りの列車が着いて小休止していた。僕の乗る弘前行きは昨日東能代から乗ってきたのと同じ列車。今日は車内にも陽光が射し込んで、のんびりとした行楽気分が漂っている。観光客も意外に多い。

     五能線

 深浦発12時10分発。

 赤茶色の奇岩がゴツゴツと連なる険しい海岸に沿って列車は走る。

 …広戸追良瀬驫木(とどろき)…風合瀬(かそせ)…大戸瀬千畳敷北金ヶ沢…。

 いかにも最果て風の駅名が続く。

 「とどろき」というのは普通、車が3台で「轟」だけれど、津軽では馬が3頭で「驫」なのが面白い。

 その次の風合瀬では駅名標が「風瀬」になっていて、「合」の字だけあとから手書きで足してあった。

 艫作もそうだけれど、ここらの駅名を漢字テストに出題したら、読むのも書くのも難しい。五能線は風と波のローカル線…それだけは駅名から読み取れる。

 そんな五能線の車窓も今日は春めいて、カモメが餌を求めて海面を見回しながらゆっくりと滑るように飛んでいた。

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 ところで、これからどこへ行くか。

 さっき海藻拾いのおばさんには弘前まで行くと言ったけれど、車窓に広がる海を眺めていると、このまま日本海と別れてしまうのは惜しい気もする。日本海に沈む夕陽はきれいだろうなぁ、とも思う。津軽半島西海岸の小泊にでも行ってみようか。十三湖も見てみたいし…。だんだん気持ちが固まってきた。五所川原津軽鉄道に乗り換えよう。

 列車は鯵ヶ沢を過ぎると、日本海に別れを告げて津軽平野を東へ向かう。

 乗客もだんだん増えて、木造(きづくり)では高校生がドッと乗り込んできた。今日が卒業式だったらしく、卒業証書の筒や花束を手にした生徒が目につく。彼らもやがて故郷を離れ、都会の色に染まっていくのだろうか。卒業アルバムをめくりながらの明るい津軽弁のおしゃべりを聞くともなしに聞きながら、そんなことを考えていると、向かいの席のおじさんが声をかけてきた。

 目が少し不自由らしく、僕と隣の子連れの若い母親を夫婦かと勘違いしたようだ。こちらが当地とは無縁の東京からの旅行者だと分かると、自分の息子も東京に行っているのだと、おじさんは少し誇らしげに言った。

     津軽鉄道ストーブ列車

 五所川原には13時40分に到着。大勢の乗客に混じってここで降り、ローカル私鉄の津軽鉄道に乗り換える。

 今度の津軽中里行きは13時51分発でディーゼル機関車の引く客車列車だった。しかも、車内には暖房装置がないので、ダルマストーブを積んでいるという変り種である。あまりに珍しいので、会社側では「ストーブ列車」として観光客向けに大々的に宣伝しているらしい。しかし、乗客の大半は地元の高校生などで、車内はほぼ満席。座れそうもないので、僕はデッキに立っていた。

 片隅には石炭で満杯の楕円形バケツが置いてある。これは懐かしい。昔、小学校の教室石炭ストーブがあって、冬になると毎朝当番がこのバケツを提げて校舎の裏にコークスを取りに行ったのを思い出した。

 さて、五所川原を出た列車は津軽平野をのろのろと北へ向かう。

 同じ津軽でも海岸部にはほとんど雪がなかったのに、この辺は一面の雪野原。午後の陽射しを浴びてキラキラ輝いている。

 30分ほど走ると金木に着く。太宰治の生まれた町だ。小説『津軽』の中で太宰は金木について

「これという特徴もないが、どこやら都会ふうにちょっと気取った町である。善く言えば水のように淡白であり、悪く言えば底の浅い見栄坊の町という事になっているようである」

 と記している。

 車窓からでは町の雰囲気までは分からないが、津軽鉄道の沿線では五所川原に次いで大きな町であり、ここでかなりの下車客があった。地元客に混じって観光客の一団もここで降り、駅前から観光バスに乗り込むのが見えた。ツアーの一部にこのストーブ列車の「体験乗車」が組み込まれていたのだろう。津軽鉄道の経営は苦しいに違いないから、こうして多少なりとも乗客が増えることは喜ばしい。

     津軽中里

 金木でようやく座れ、雪原をさらに20分走って、終点の津軽中里に14時40分頃着いた。

 改札を出ると、駅前に小泊行きのバスが待っていた。発車まで10分ほど余裕があるので、その間に小泊の宿に電話しようと電話ボックスで番号を調べていたら、あれれれれ…その隙になぜかバスが動き出し、そのまま行ってしまった。呆気にとられてバスを見送り、一体どうしたことかと停留所の時刻表を確かめると、僕の手元のものと時刻が違う。ちなみに僕のは出発前に近所の図書館で最新の時刻表の必要ページをコピーしてきたものだけれど、どちらが正しいかはすでに明白。僕は乗り遅れ、次の便まで1時間半以上も待たねばならないのでした。あぁ…。

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  ストーブ列車もすでに折り返してしまい、閑散とした駅前にひとり取り残された僕は気を取り直して町へ出た。

 津軽半島の真ん中に位置する中里町については、何の予備知識もないけれど、知らない土地を迷子のように彷徨い歩くのは嫌いではない。

 雪に埋もれた裏山の神社を見上げたり、こじんまりとしたマーケットにぶらっと入ってみたり、文具店を兼ねた書店で地元の子らに混じって立ち読みしたり小さな買い物をしたり…そんな折々に味わうちょっとした異邦人気分にもひとり旅ならではの楽しさと寂しさがある。

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 駅に戻ると、待合室の片隅の古びたカウンターに座った。昼食がまだなので、壁に貼られたメニューの中からピラフと紅茶を注文したら、おじさんが、

「いやぁ、ちょっとご飯を切らしててねぇ…」

 と申し訳なさそうに言う。

「じゃあ、サンドイッチを…」

「いやぁ、ちょっと…」

 まことに面目ない、といった面持ちである。

「あの、何ができるんでしょう?」

「いやぁ、ちょっと…。女房が出かけてるもんだから…」

 おじさんは溜め息をついた。

「はぁ…」

 僕も溜め息をつきたくなった。結局、食事物はできないらしい。腹減ってるのになぁ、と思いながらも、

「じゃあ、紅茶だけでいいです」

 と諦めて、日曜午後ののどかなテレビを眺めていると、おじさんはおもむろに鍋を取り出した。何か作り出すのか、と思ったら、お湯を沸かすだけで、やがて、そのお湯をカップに注ぎ、ティーバッグを浸しただけの紅茶が出てきた。

「女房がいたら、何か作れるんだけど…。今日は出かけちゃってねぇ」

 おじさんはもう一度弁解してから。傍らの売店のお客の相手を始めた。一人で両方を切り盛りしているらしい。

 テレビに気のない視線を送りつつ、冴えない気分で紅茶を飲んでいると、おじさんが戻ってきて、どこからかお皿を取り出した。

「あの、これ、ゆうべ女房が作ったものだけど…。よかったら、どうぞ」

 お皿には薄いホットケーキみたいなものが、2切れのっている。

「あ、どうもすみません」

 余程、僕が空腹そうに見えたのだろうか。おじさんの心遣いに今度はこちらが恐縮しながら、お手製のおやつをいただいた。

     小泊へ

 さて、16時25分発の小泊行きバスは中里駅前を発車すると町を北へ抜けて、夕映えの雪原を走る。

 海岸に出るまで沈まないでくれよ、と夕陽に祈りながら車窓を眺めていると、

『悔い改めよ』

 の文字が目に飛び込んでくる。

キリストはあなたがたの罪を血であがなう』

『神の裁きの日は近い』

 沿道のそこかしこに聖書黙示録あたりの言葉を書いた札が貼ってあるのだ。深浦でも同じものを見かけたから、あぁ、またか、と思う。黒地に白や黄色の文字で書いてあるので、ひどく脅迫的で恐ろしげな印象である。次々と現われる言葉を拾い集めるように意味もなく頭の中で暗唱してみたけれど、今はもうほとんど忘れてしまった。

 とにかく、バスはよく整備された道を北へ北へと快調に走り、今泉という集落を過ぎてまもなく十三湖の銀色の湖面が車窓に広がった。風が吹き渡るばかりの寒々として寂しげな湖だ。周囲の風景にも最果ての色が増してきた。

 湖畔を離れたバスは北辺の小さな集落をひとつずつ律儀に訪ねて走り、とうとう日本海岸に出た。

 あんず色の夕陽が最後の光芒を放ちながら水平線に浮いている。日没間近。なんとか間に合った。

 バスの行く手には小泊岬が残照を浴びている。満員だった車内もいつしか閑散として、夕暮れの寂しさが胸に募る。穏やかな早春の一日が暮れようとしている。

     小泊で迷子になる

 中里から1時間余り、17時半に終点の小泊案内所に着いた。この「案内所」というのは一般に言う営業所のことらしいが、予想に反して小泊の街はずれにあって、降りたのは僕を含めて2人だけだった。

 今夜の宿は小泊観光荘。所在地がはっきりしないので、電話で尋ねてから歩き出したら、たちまち迷った。近くのストアで道を聞いて、改めて宿をめざすものの、どうもよく分からない。知らない町でも道に迷うことなど滅多にないのに、今日はどうもおかしい。

 日没とともに風が出て、冷え込んできた。仕方なく再び電話したら、

「その場所で待っててください」

 と言われて、迷子になった子どもの気分で夕暮れの街角に立っていると、すぐにおばさんが小走りで迎えに来てくれた。情けないことである。

     小泊の夜

 商店街に面した鉄筋3階建ての宿にやっと着いて、2階の部屋に通された。狭い部屋である。畳もすっかり日焼けして、ずいぶん古びた感じ。窓の外は隣の屋根が見えるだけ。

 なんだかパッとしない宿だ、と思っていたら、食事になって一気に逆転満塁ホームラン

 大きなイカやホタテ、サザエ、エビ、カキ、さらに名前不明の焼き魚などが気取らず飾らず「どうだ」とばかりに食膳を賑わした。とりわけ、小ぶりながらも毛ガニが丸ごと1匹、お皿の上に鎮座ましましていたのには思わず顔がほころんでしまった(と、この時は毛ガニだと思い込んでいたけれど、あとで考えると、クリガ二、正確にはトゲクリガニだったのではないかと思う。まぁ、似たようなものです…たぶん)。ついでにワカメがたっぷり入った味噌汁の中にもタラが隠れていて、これで1泊2食付き6,000円。文句を言ったら罰が当たる。

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 ところで、小泊は本州の日本海側では最北端に位置する村である。この先は北のはずれの竜飛崎まで何もない。その竜飛崎へ行ってみたいが、小泊からのルートは冬の間、閉鎖され、車も入れない。夕食の後で念のため、おばさんに確認すると、

「歩いていけるんじゃない?」

 と意外なことを言う。

「えっ? でも雪が積もってるんじゃないですか?」

「海岸沿いだから雪はないわよ」

 一瞬、その気になりかけた。

「何キロぐらいあるんでしょう?」

「さぁ…」

 なんだか心許ない話だけれど、壁に貼ってある観光案内地図を見ると、20キロ弱といったところか。まぁ、歩けない距離ではないが、曲折ぶりからして道中は相当な山路のようでもあるし、ちょっと無謀な気がする。夏ならともかく、今の季節は吹雪が怖い。無人の山中で遭難、なんてことにもなりかねない。今回はやめておこう。

 夜になってシベリアからの季節風は一段と強まり、窓ガラスは絶えずガタガタと鳴っている。窓を開けてみると、いつしか粉雪も舞っていて、積もる間もなく屋根から屋根へと吹き飛ばされていく。

 人通りの絶えた街路を眺めていると、かつて旅した知床半島羅臼の夜に似ている気がした。ただ、あの時は同宿の仲間たちと酒を飲みながらバカ騒ぎができたけれど、今宵はそれも叶わぬ夢というものだ。

 それにしても静かな夜。館内はしんとして、聞こえるのはヒュルヒュルという風の音ばかり。ほかに客がいるのかどうかも定かではなく、どこかで人の話し声がしたような気がするが、姿は見えない。

 暇つぶしに館内をちょっとばかり探検してみる。

 薄暗い廊下の突き当たりには宴会用の大広間。ガラス越しに暗く冷えきった部屋をのぞき込むと、片隅にはカラオケセットが用意されているが、もちろん今日は使う者もいない。

 そっと忍び込んで窓辺に立つ。外は道路をはさんで小泊漁港が広がり、点在する常夜灯が夜の静寂をオレンジ色に染めている。窓ガラスに額を寄せて目を凝らすと、テトラポッドに荒波が噛みつき、白い飛沫が上がるのが微かに見えた。