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Peepooblue’s Notebook

1992-03-02

[]津軽海峡  21:14

 津軽半島西海岸・小泊の宿をあとに五所川原を経て青森へ。さらに津軽海峡青函トンネルでくぐり抜け、北海道函館へ渡りました。

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     小泊から五所川原

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(小泊の宿の窓からの風景)

 津軽半島西海岸・小泊の宿で迎えた朝。刺身付きの朝食の後、8時過ぎに出発。

 宿のおばさんに教わった通り、宿のすぐ裏手の「浜町」という停留所で五所川原行きのバスを待つ。

 昨夜来の雪は今もちらつき、バス停ポールの円い標示板も雪化粧して、文字が消えている。路上の雪は風に吹かれ飛ばされ、箒で掃いたような模様を描いている。

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 やがて、小泊案内所発のバスが来て、子ども連れの若い母親やお婆さんらとともに乗り込み、小泊村をあとに昨日来た道を引き返す。

 結局、小泊では夕陽を見て、道に迷って、魚をたくさん食べて…それだけだった。まぁ、いいか。

 停留所ごとに乗ってくるのはほとんどがおばさんかお婆さん。みんながみんな顔見知りのように挨拶を交わしている。よそ者は僕ひとりなのだった。

 かつて北海道の最果てを旅した時にも感じたことだけれど、北国の厳しい気候風土は都会よりも遥かに濃密な人間関係磁場を生むようだ。冬の寒さや雪や荒海に晒された土地で、圧倒的な自然の猛威になんとか耐えながら互いに助け合って生きることで、人間同士の絆も必然的に深まるのだろう。

 そうした自然の脅威を文明の力で封じ込めて、人間が築き上げたコンクリートの要塞が現代都市であるとすれば、その中で安住する都会人は自然と共存する意思と能力が低下するばかりか、他人と共に生きる力も弱まりつつあるのかもしれない。東京で暮らしていると、そんな気がする。

 バスは中里駅前を経由し、金木では太宰治の生家である「斜陽館」の前を通り、金木病院前でお婆さんをたくさん降ろして、小泊から2時間弱で五所川原駅前に到着した。

 これから青森へ出ようと思う。次の五能線は都合がよく青森直通の快速である。しかし、発車まで1時間ほどあるので、その間に街へ出た。

     五所川原

 五所川原津軽地方では青森弘前に次ぐ都市である。再び太宰治の『津軽』を引用すれば、彼は五所川原についてこんな風に評している。

「…善く言えば活気のある町であり、悪く言えば騒がしい町である。農村の匂いは無く、都会特有のあの孤独の戦慄がこれくらいの小さな町にも既に幽かに忍びいっている模様である」

 さすがに太宰は敏感だ。確かに小泊村から金木町五所川原市と来るにつれて人間関係の密度は希薄になっていくようである。しかも、これが書かれたのは昭和19年。半世紀近くも昔のことなのだ。いま、もし太宰が生きていて、今日の金木や小泊を訪ねたなら、そこにもやはり「孤独の戦慄」を感じ取るに違いない。それでもなお、東京からの旅行者の目で眺めれば、津軽には今でも人々のさりげない優しさがごく自然に漂っている。この五所川原の街にだって、たとえば、古めかしいバスの待合所の雰囲気の中に、初めて来たのに懐かしさを感じるような人間の温もりがあるように思うのだ。

 津軽を旅すると人間が好きになる。昨夜、小泊の宿でノートに書きとめた言葉である。

 駅前通りの両側に連なる、雪国特有の「雁木」と呼ばれる古びたアーケードの商店街をはずれまで歩いていくと、岩木川にかかる乾橋。

 晴れていれば、眼前に津軽の名峰、岩木山が聳えているはずだが、今日は見えない。というより、いつ来ても岩木山は雲をかぶっていて、僕はまだ全容を拝んだことがない。

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 これ以上歩いても、何もなさそうなので、再び激しく舞い始めた牡丹雪が空しく川面に消えていくのを橋の上からしばらく眺めて駅に戻った。

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     青森

 さて、11時01分発の青森行きは五所川原を出ると、津軽平野を一旦南へ下って川部へ向かう。

 このあたりはリンゴの産地として有名だけれど、昨年(1991年)は台風19号のせいで壊滅的な被害が出た。そのせいか、リンゴ畑にも苗木ばかりが目につくような気がした。

 苛酷な自然に支配され、苦しめられ、それでも自然に依存し、その恵みを受けて生きる。あらゆる生き物は遠い昔からずっとそうやって健気に生きてきたわけで、その「健気さ」こそが生命の美しさの本質である、と僕は思う。それは人間についても同じであろう。津軽の旅はそんな当たり前のことを改めて思い起こさせてくれたりもする。

 列車は川部から奥羽本線に入ると、V字を描くように今度は針路を北に転じ、途中、車窓が白く霞むほど雪の降りしきる峠を越えて青森市街にさしかかった。

 青森市は全国の都道府県庁所在地の中で最も雪深い街であるが、今年は暖冬のせいか、積雪はさほど多くない。

 青森到着、12時10分。駅に降り立って、少し驚いた。見慣れた連絡船桟橋は姿を消し、ホームから桟橋へ通じていた跨線橋は途中でぷつりと切断されている。船に貨車を積み込むための線路もすべて撤去。そして、何よりも整然となった構内を跨いで立派な道路橋が完成しつつあるのだ。その名も青森ベイブリッジ青函連絡船を失った青森の街は新時代を切り開くべく変貌を遂げつつあるようだ。

     八甲田丸

 ところで、今日はこれから初めての青函トンネルをくぐって函館へ行ってこようと思う。しかし、次の函館行きにはまだ2時間近くもあるので、その間を利用して青森岸壁に「安置」されている青函連絡船「八甲田丸」の「遺体」と対面してきた。

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 もはや海峡を渡ることのない「八甲田丸」は連絡船記念館として、降り続く雪の中、静かに眠っていた。この船には何度か乗ったので、懐かしいような哀しいような気分で、随所に在りし日の面影を残す船内の様々な展示施設を見て歩いた。現役時代には立ち入ることのできなかった操舵室の窓から眺める海は黙して語らず、ただ茫洋と広がり、降りしきる雪は積もることも知らず、儚く海に消えていくのだった。

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(この写真は2000年夏の八甲田丸)

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青森駅で発車を待つ海峡9号)

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      青函トンネル

 青森14時05分発の函館行き快速「海峡9号」は赤い電気機関車ED79-3の後に青い14系客車を5両連ねた編成で発車した。

 車内には北海道へ渡る客ばかりでなく、下校の女子高校生などもたくさん乗っている。本州側唯一の停車駅、蟹田まで帰るのだろう。各駅停車ディーゼルカーより速いし、車両もデラックスだから利用価値は高い。

 いつしか雪も止んで、薄陽が射すなか、列車は津軽半島東海岸に沿って、単線津軽線を北上する。

 車内アナウンスでは観光客向けに青函トンネルの概要を説明し、この列車のトンネル突入予定時刻や通過所要時間まで案内している。莫大な費用と労力をかけて長期にわたる難工事の末にようやく開通した世界最長の海底トンネルであるから、そのありがたみを充分に噛みしめてくぐらなければなるまい。

 もちろん、海底トンネル青函連絡船の旅情にかなうはずはないけれど、まぁ、それは言っても仕方がない。折しも、家並みの向こうに見える陸奥湾東日本フェリー函館便が北上している。連絡船が廃止になってもフェリーが健在なのである。帰りは僕も船に乗ろう。

 また陽が翳って雪になった。北西の季節風にのって雪雲が次々と押し寄せてくるので、その下をくぐるたびに空が暗くなって雪が激しく舞う。雲が過ぎればまた晴れる。

 蟹田女子高生らを降ろした「海峡9号」はやがて雪原の真ん中で単線津軽線から分かれて、新幹線並みに立派な複線高架の津軽海峡線へと突き進む。途端にトンネルの連続となり、いくつ目かのトンネルに入ると、それきり暗闇が明けることはなくなった。青函トンネルである。

 40分もの闇路を突き抜けると、そこはもう北海道であった。あまり実感は湧かないけれど、そうなのである。

 海の底から白い大地の片隅に這い上がった列車は木古内から再び単線江差線に入り、津軽海峡に沿って、さらに1時間近く走り続ける。

 海峡の彼方に津軽・下北両半島が望まれ、前方には函館山も見えてきた。そして、海上にはこの列車と競うかのように函館行きのフェリーが相変わらず浮かんでいた。

     函館

 函館到着16時52分。

 隣のホームの列車は「大阪」などという行き先を標示しているから「一体ここはどこなんだ?」という気分にもなるけれど、とにかくこれが6回目の函館である。といっても、今回はどこにも泊まらず、深夜便のフェリーで青森に帰るつもり。それまでの短い滞在ではあるけれど、とりあえず、荷物コインロッカーに預けて、夕暮れの街へ出た。

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 べつに観光するわけでもなく、地元の人間のフリをして書店やらレコード店やらに立ち寄りながら、ぶらぶらと散歩するだけで嬉しい。それぐらい函館は好きな街だ。

 いつしか上空は光の色が失せて、藍色が深まり、たそがれの街には街路灯やネオンが点って、夜の装いに変わっていく。

     函館の夜

 夜の函館といえば、夜景である。過去に2度、函館山からの夜景を眺めているけれど、今回もまた山麓駅まで歩いてロープウェイに乗った。

 フランスの最新技術を導入したという大型ゴンドラで山頂までわずか3分。ぐんぐん昇るにつれて眼下に宝石箱のようにきらめく街が広がり、満員のギャルズ&オバサンズから思わず歓声があがる。

 青函トンネル開通に合わせて新装された山頂駅は函館風土や歴史とは無縁のモダン建築。寒い思いをせずに快適な展望フロアからガラス越しに夜景を眺めることができる。レストランもあって、夜景を楽しみながら食事をするカップルがたくさんいる。僕はといえば、雪の積もった屋上に出て、夜風に吹かれながら下界を見下ろした。

 真っ暗な海に囲まれた小さな半島の上にひしめく光の街。彼方に広がる漆黒の大地。函館の夜景の魅力は、この光と闇のコントラスト、あるいは、ちっぽけな街を取り巻く暗闇の果てしない広がりにこそあるのではないか、そんな風に思う。

 さて、再びロープウェイで下山して、ライトアップされたハリストス正教会など元町周辺を散策してから街なかへ戻る。

 山上からはきらめく光に満ち溢れて見える街も、実際に歩いてみると、駅周辺の繁華街を除けば意外に寂しい。

 だだっ広い通りの両側に青白い街路灯が点々と連なるばかりで、人通りもほとんどなく、車も少ない。時々、思い出したようにガラガラの路面電車がガタゴトと走り過ぎたりする。今夜は帰る宿もないので、旅愁もひとしおである。

 というわけで、足は自然に繁華な中心街へ向かい、駅に近いこじんまりとした定食屋で夕食にした。

 3人のおばちゃんが切り盛りする家庭的な店で、3年前にも入ったことがある。店内の様子もおばちゃんも変わっておらず、壁に山川豊の色紙ばかりがずらりと飾ってあるのもそのままだ。そういえば、彼は「函館本線」という曲でデビューしたのだっけ。

     夜の駅

 ホタテのお吸い物つきの銀鱈定食を食べて店を出ると、あとはもうすることもない。しばらく夜の街を散歩してから函館駅に戻り、待合室で鞄から文庫本を取り出した。

 僕にとって旅先で一番落ち着くのは列車の中、次いで駅の待合室のようである。特にこういう地方都市の夜の駅には独特の風情があって、なんとなく好きである。

 夜がふけるにつれて、食堂もキオスクも店を閉じ、私服に着替えた従業員たちがそれぞれ家路につき、駅に発着する列車の数も出入りする人の数も減ってくる。

 ガランとした待合室のベンチにぽつねんと座っていると、蛍光灯の明るさまでが虚無的に感じられてくる。今宵帰る場所もない身にとっては、自分の乗る列車の時刻のみが待ち遠しい。

     深夜のフェリーターミナル

 23時06分発の江差線木古内行きの最終列車はディーゼルカーたった1両きり、それでもガラガラだった。なんでこんな列車に乗ったのかというと、2駅目の七重浜がフェリーターミナルの最寄り駅なのだ。

 駅を出ると、街路灯の青ざめた光に照らされた広い通りがまっすぐに伸びている。一緒に列車を降りた若い女性が足早に住宅街に姿を消すと、もう誰もいない。24時間営業のコンビニエンスストアだけが光のオアシスに感じられる。

 函館フェリーターミナルまでは約1キロ、15分ほど。ずいぶん不便なようだが、長距離トラックを中心とする自動車と人間をセットで運ぶのが本来の役目であるから、こんな場所でも全然問題はない。僕みたいな物好きを相手にしているわけではないのだ。

     青函航路 

 今度の青森行きは0時10分出航の2便「びいな」。青函連絡船よりはだいぶ小さな船で、函館青森間の料金は鉄道の半分の1,400円。これでちょっとした船旅が楽しめるのはありがたい。

 乗船申込書に記入して切符を買うとすでに乗船時刻で、慌しく車両搬入口から船に乗り込み、カーペット敷きの2等船室の一角に寝場所を確保して、ようやくホッと一息。もっとも、船内は閑散として、ローカル航路の侘しさが漂っている。

 かつての青函連絡船のようなドラマチックな気分の高揚もないまま、フェリーはひっそりと岸壁を離れた。

 窓の外をオレンジ色の常夜灯がゆっくりゆっくり後方へ流れ、函館山の灯も夜空に輝く青い星の如く、少しずつ遠ざかっていく。

 数少ない乗客はみんなカーペットの上にゴロリと横になって、早々に休んでいる様子。青森まで3時間40分の船旅。僕も眠っていこうと思いつつ、窓辺にもたれて深夜の海に目を凝らす。

 函館港を出てだいぶ経つのに、闇の彼方にはまだ渡島半島南岸の町の灯が震えるように瞬き、名も知らぬ岬の灯台が真夜中の海峡を照らしている。

 つい先ほどまで踏みしめていた北海道の大地が今はもう星より遠く感じられて、もう少しの間、しんみりとした旅情に浸っていたい気がした。