Hatena::ブログ(Diary)

Peepooblue’s Notebook

2006-02-18

[][]江戸五色不動めぐり 10:24

 目黒目白といえば、山手線の駅にもある東京の地名ですが、都内にはほかに目赤、目青、目黄もあるのをご存知でしょうか。これらはいずれも不動尊の名前で、いわゆる五色不動江戸鎮護と天下泰平を願って徳川3代将軍・家光の時代に定められました。

 この五色とは宇宙を構成する五大要素を表わし、水=黒、火=赤、地=黄、風=白、空=青を意味するとか、東西南北中央の方角を表わすとか、諸説あるようですが、とにかく、現在も都内に五色の不動尊が伝わっています(目黄不動だけはニつの寺院に伝わっているため、五色で六ヵ所のお寺があります)。この六つのお寺を自転車を使って一日でめぐってみました。

 不動明王とは密教の中心仏である大日如来化身とされ、火炎を背に、憤怒の形相をして、普通は右手に剣、左手に羂索(けんじゃく)という縄を持っています。その剣で邪悪なものを打ち砕き、縄で衆生を救いとるといいます。

 特に関東地方では古くから不動信仰が盛んで、現在は関東三十六不動尊霊場が定められています。

目青不動尊 10:32

 竹園山 教学院 最勝寺 (天台宗) 世田谷区太子堂4-15-1

 〈御詠歌〉 あらたなり うきよにくるしむ もろびとは たすけたまへる めあをふどうそん

 最初に訪れたのは自宅から最も近い教学院の目青不動尊。実は1週間前にも参拝し、それがきっかけで五色不動巡礼サイクリングを思い立ったのでした。

 世田谷区内で最も活気のある街のひとつ、三軒茶屋の街はずれにあり、すぐそばを東急世田谷線の電車が通りますが、そのわりには静かな雰囲気のお寺です。

 教学院の創建は1311年、初めは後に江戸城内となる紅葉山の位置にあったそうですが、江戸城築城により、麹町に移され、その後も赤坂、青山と移転し、現在地には明治の末に移ってきたそうです。なお、目青不動尊は元は麻布の観行寺に祀られていたのが、このお寺が廃寺となった際に教学院に奉安されたということです。

 住宅街の中の細い参道から境内に入ると、右手に不動堂があります。訪れる人は正面にある本堂(本尊阿弥陀如来)ではなく、不動堂へばかりお参りするようです。それほど、ここのお不動さまは信仰を集めているということなのでしょう。賑わっているわけではないですが、次から次へと人が参拝に訪れています。年配の人だけでなく、若い女性も手を合わせていたのは、縁結びのご利益があると言われるせいでしょうか。

 軒先で猫が日向ぼっこをしている不動堂へお参りすると、目青不動明王像は厨子の中に安置されていますが、お前立ちの不動明王像(1642年作、青銅製)はいつでも拝観できます。脇侍は閻魔大王像と奪衣婆像です。不動堂に「閻王殿」の扁額がかかっているのはそのためでしょう。

 関東三十六不動の第16番札所となっています。

f:id:peepooblue:20170618100901j:image

 教学院をあとに三軒茶屋の街を抜け、次に勘を頼りに目黒不動尊に向かいます。さほど遠くはないですが、ちょっと道に迷いました。

目黒不動尊 10:32

 泰叡山 瀧泉寺 (天台宗) 目黒区下目黒3-20-26

 〈御詠歌〉清らけき 目黒の杜の 独鈷滝 災厄難を 除ける不動尊

 目黒不動尊江戸時代から多くの参詣者を集め、行楽地として賑わったところで、教学院と比べてずっと大きなお寺です。関東最古の不動霊場というだけあって、歴史も大変古く、808年、慈覚大師円仁目黒の地で不動明王霊夢を感得し、その尊像を刻んで安置したのに始まるということです。関東三十六不動霊場の第18番札所です。

 仁王門をくぐって、まず目に留まるのは高台の斜面に独鈷の滝。慈覚大師が独鈷(密教の法具)を投じると、たちまち泉が湧き出し、大師はこれを独鈷の滝と称したと伝えられています。以来、いかなる旱魃でも涸れることなく湧出し続けた滝は今も水音を立てています。滝壷の池には水かけ不動が祀られています。

 滝の脇には青龍大権現を祀った垢離堂、その左上に前不動堂、さらにその左に勢至堂などが並んでいます。この前不動堂と勢至堂のみが1945年5月25日の大空襲による焼失を免れた江戸期の建築です。また、江戸時代サツマイモ栽培を広めた「甘藷先生」こと青木昆陽の顕彰碑などもあります。ちなみに青木昆陽の墓が本堂裏手の墓地にあり、国の史跡に指定されています。

 さて、石段を登っていくと、大本堂です。現在の建物は1981年の再建ですが、安置されるご本尊不動明王像(秘仏、12年に1度、酉年に開帳)は創建以来、3度の本堂焼失でも無事だったそうです。その本堂の裏に露座の大日如来像があります。大日如来密教の中心仏で、不動明王本地仏とされています。

 境内には、ほかにも阿弥陀堂地蔵堂、観音堂、役行者窟などがあり、また山の手七福神恵比寿神も祀られています。

f:id:peepooblue:20170618101620j:image

 目黒不動からは山手線沿いに北上して目白不動へ回ろうと考えていましたが、気が変わって、先に自宅から最も遠い江戸川区平井の目黄不動へ向かいました。家を出た時は寒くて、洟垂れ小僧になっていましたが、走っているうちに身体が温まり、汗ばんできました。マフラーと手袋をはずして、ペダルを漕ぎます。

 目黒通りに出て、目黒駅から白金麻布十番芝公園新橋駅東京駅八重洲口日本橋浅草橋駅蔵前橋、錦糸町亀戸と勘を頼りに走って、少し迷いながら到着しました。

目黄不動尊 10:32

 牛宝山 明王院 最勝寺 (天台宗) 江戸川区平井1-25-32

 〈御詠歌〉ありがたや 目黄に托して 祈る身は 心願叶えて 光り輝く

 総武線平井駅の南側、荒川堤に近い閑静な場所にある最勝寺。どこにでもあるような、町なかのごく普通の寺院です。ひっそりしていて、墓参りの親子が一組だけ来ていました。

 門の両脇に守衛さんの詰め所(朱塗りで瓦屋根付き)みたいなものがあり、その中にちょっと愛嬌のある仁王様がいます。境内に入ると、正面に本堂(本尊釈迦如来)があり、左手が墓地、右手が不動堂です。不動堂の前に大きな睡蓮鉢が並び、いろいろな品種の蓮が栽培されています。訪れたのが2月だったので、すべて冬枯れでしたが、花の季節にはきっと見事でしょう。このお寺は関東三十六不動霊場の第19番です。

 さて、最勝寺平安時代に慈覚大師円仁隅田川畔(現・墨田区向島)にて釈迦如来像と大日如来像を刻み、これを本尊とするお堂を建てたのが始まりといいます。慈覚大師は天台宗を唐から日本に伝えた伝教大師最澄の弟子で、比叡山延暦寺の第三世天台座主となった高僧ですが、天台宗寺院の寺伝には慈覚大師の名がしばしば登場します。

 最勝寺はその後、本所表町(現・墨田区東駒形)に移転し、観音様の浅草寺から隅田川のすぐ対岸ということで、大いに栄えたそうです。現在地に移ってきたのは大正2年とのことです。

 不動堂に安置されている不動明王像は天平年間に奈良東大寺の初代別当・良弁僧都が東国を巡錫した際、隅田川の河畔で不動明王の霊告を感得して刻んだものと伝えられています。のちに最勝寺末寺だった東栄寺の本尊として祀られ、これを篤く崇敬した徳川家光によって江戸を守る五色不動のひとつ、「目黄不動」と定められました。明治になって東栄寺は廃寺となり、目黄不動最勝寺に移され、現在に至っているということです。

f:id:peepooblue:20170618101614j:image

 平井駅近くで遅い昼食をとった後、蔵前橋通りから明治通りに入り、北へ向かいます。東武亀戸線の小村井駅、京成曳舟駅などを通り、隅田川にかかる白髭橋を渡ると、まもなく南千住で、次の目的地、もうひとつの目黄不動永久寺明治通り沿いにあるはずでしたが、あまりに目立たなくて、ずいぶん探しました。明治通りと国道4号線の交差点のそばにそのお寺はありました。

目黄不動尊 10:32

 養光山 永久寺 (天台宗)  台東区三ノ輪2-14-5

 地下鉄三ノ輪駅からすぐの明治通り沿い。分かりやすい場所にあるのに見つけにくいのは、外観がお寺っぽくないからです。最近建て替えられたらしく、ちょっとモダン(?)な建築。不動堂も新しいようです。

 目黄不動だけ二つのお寺に伝わっているということは、どちらかが本物ということなのでしょうか。よく分かりませんが、とにかく不動堂の不動明王像を拝みました。

 ご住職がお留守ということで、ご朱印はいただけませんでした。ちなみに江戸五色不動尊の中で、ここだけが関東三十六不動霊場札所に含まれていません。

 午前中は晴天だったのに、いつしか曇って寒くなってきました。あと2つ、目赤と目白を急いで回ることにします。

 目赤不動尊本駒込にあるので、三ノ輪から三河島駅西日暮里駅を通り、道灌山下から不忍通り、動坂を通って本郷通りに出ます。目赤不動尊はこの通り沿いです。付近には吉祥寺をはじめたくさんの寺院がありますが、目赤不動尊があるのは南谷寺です。

目赤不動尊 10:32

 大聖山 東朝院 南谷寺 (天台宗) 文京区本駒込1-20-20

 〈御詠歌〉聖童の 夢から醒めるや 赤目より まばゆき不動の 五色曳きたり

 境内に入ると、正面が本堂、右側に不動堂があります。不動堂の前には六地蔵大日如来石像恵比寿像などが立っています。

 開山の万行律師比叡山の南谷にて不動明王を熱心に尊信していたところ、夢枕に1人の聖童が現われ、「伊賀国の赤目山に来たれ」と告げたので、お告げに従い、赤目山に登ると、黄金の不動明王像を授けられたと言われています。目赤不動は当初は赤目不動だったわけです。

 やがて、江戸に下った万行は1615年に下駒込の地にお堂を建て、尊像を奉安しました。それが南谷寺の始まりです。お堂があった場所は先ほど通ってきた動坂で、当時は不動坂と呼ばれていたそうです。

 その後、徳川家光によって赤目不動は目赤不動に改められ、五色不動のひとつとなり、万行が新たに拝領した土地が現在、南谷寺がある場所だということです。現在、ご本尊不動明王像は秘仏として、お前立ち不動明王像(常時拝観可)の胎内に納められており、酉年の正月、5月、9月の各28日(1月は元日も)に開帳されます。

 目赤不動尊は関東三十六不動霊場の第13番札所です。

f:id:peepooblue:20170618100858j:image

 さて、最後は目白という地名・駅名の由来となった目白不動です。目赤不動をあとに本郷通りから不忍通りに入り、目白方面へひたすら走ります。下町はまったく平坦でしたが、さすがに山の手に来ると起伏が激しく、かなりアップダウンがあります。

 護国寺にも心惹かれつつ、門前を通過して、やがて目白通りにぶつかると、これを右折。学習院の手前で明治通りに入り、都電荒川線学習院下停留所のところを左折すると、すぐに目白不動尊に到着です。

目白不動尊 10:32

 神霊山 慈眼寺 金乗院 (真言宗豊山派) 豊島区高田2−12−39

 〈御詠歌〉うつし世の まことの道を たずぬれば しるしまみえん 宿坂の里

 これまでのお寺はすべて天台宗でしたが、目白不動だけは同じ密教でも真言宗です。真言宗といえば、弘法大師空海目白不動明王像も弘法大師御作と伝えられています。

 この不動明王像は新長谷寺(現在の文京区関口)に安置されており、太平洋戦争でお寺が全焼した時も奇跡的に難を逃れたそうです。戦後、新長谷寺は1キロほど西に位置する金乗院合併し、それがいま訪れているお寺です。

 金乗院の本堂には本尊聖観音像と弘法大師像が安置され、その右側に建つ不動堂に目白不動明王像が安置されています。ただし、ここも秘仏であるらしく、拝観することはできませんでした。

 また、境内には倶利伽羅不動庚申という珍しい庚申塔があります。庚申塔といえば青面金剛像が多いですが、ここでは剣に巻きつき、呑み込もうとする竜の姿です。

 なお、金乗院目白不動尊は関東三十六不動霊場の第14番札所となっています。

f:id:peepooblue:20170618100854j:image

 納経所でご朱印をいただき、お寺をあとにしました。

 ちなみにこの日の走行距離は73.1キロでした。