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Peepooblue’s Notebook

2006-08-06

[][]日立電鉄廃線探訪記   20:40

茨城県のローカル鉄道日立電鉄は2005年3月末限りで廃線になった。僕がこの鉄道に乗りに出かけたおよそ3か月後のことだった。

日立電鉄乗車記

 そして、2006年8月、僕は再び日立電鉄の出ていた常陸太田へやってきた。第一の目的は常陸太田駅の西方にある坂東33ヶ所観音霊場の第22番札所・佐竹寺への参拝だったが、廃止から1年4ヵ月余りを経た日立電鉄の常北太田駅や線路跡がどうなったか、この目で確かめたいという思いもあった。

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JR水郡線常陸太田駅)

 昼過ぎに常陸太田駅に降り立ち、まずは猛暑の中、佐竹寺へ向かう。案内書によれば2.8キロもあって、タクシーを利用しようかと迷ったのだが、あまり安易な巡礼もどうかと思い(本当はお金を節約したかったというのもあるが…)、徒歩で行く。カンカン照りで日陰も少なく、額から流れる汗を何度も拭いながら歩き続け、途中でカブトムシオニヤンマの死骸が転がっているのを見つけたりして、30分ほどで佐竹寺に着いた。985年創建と伝えられ、平安末期から400年以上にわたって常陸国を支配した佐竹氏の菩提寺として発展した古刹である。

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 立派な瓦屋根の仁王門は昭和15年の建築だそうで、迫力満点の仁王像は江戸初期のものだという。こういう札所はどこでもそうだが、大量の千社札が所構わずベタベタ貼り付けてある。どうやってあんな高いところに貼ったのか、と思うようなところにも貼ってある。もちろん、今はそういうものを貼ってはけない(前に別の寺で千社札を貼った人は修繕費として一千万円を奉納していただきます、という貼り紙を見たことがある)。

 さほど広くない境内は木々が生い茂り、木陰を吹き抜ける風が涼しい。ノウゼンカズラが咲いている。

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 1546年に再建されたという本堂は茅葺き屋根の見事なもので、こけら葺きの裳階をめぐらし、外陣側面の円窓など造形的にも凝ったデザインで、桃山建築の先駆的なものとされているそうだ。

 薄暗い堂内をのぞくと、本尊十一面観音厨子の扉が閉じられていたが、お前立ちの観音様のお顔を拝むことはできた。ご朱印をいただいて、お寺をあとにする。

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 さて、14時過ぎに駅に戻って、次の目的・常北太田駅跡を訪れる。常陸太田駅から国道を挟んだ向かい側である。

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 駅前は代行バスの乗り場になっていて、駅舎もバスの待合所として健在だった。ただ、構内にたむろしていた電車の姿はすでになく、線路も架線柱もすべて撤去され、片隅に枕木が積まれている。駅から通りを挟んで伸びる線路跡も封鎖され、立ち入れないようになっていた。

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 下は現役時代の常北太田駅(2004.12.19)。東京地下鉄銀座線の車両を丸の内線みたいな塗装で使用していた。

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 さて、僕のほかにもうひとり、駅跡の写真を撮っている人がいた。お互いに会釈すると、

「これから大橋の陸橋へ行きますけど、一緒に行きますか?」

 という有り難いお言葉。「大橋の陸橋」が何なのか、よく分からないが、廃線探訪をしているのは間違いない。ということで、喜んで車に乗せていただく。お名前はあとで知ったのだが、Kさんという地元の方で、日立電鉄廃線跡を定点観察し続けているそうだ。

 この出会いがなければ、僕の日立電鉄廃線跡めぐりは常北太田駅だけで終了、となるところだったが、常北太田駅を出てすぐの里川鉄橋、久慈浜駅までの各駅跡、大橋陸橋の跡などを案内していただいたおかげで、以下のレポートが可能になった。

 まず案内していただいたのが里川橋梁。一見すると現役時代と変わらず、今にも電車がやってきそうだが、鉄橋の前後はすでに線路も撤去され、架線も両端が切断されて垂れ下がっている。鉄橋の撤去作業渇水期にしか認められず、恐らく今年の冬にでも工事が始まるのではないか、とのこと。

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(里川橋梁)


 続いて、小沢駅跡。今日は常陸太田市議会議員選挙の投票日で、“駅前”の公民館が投票所になっていた。ホームに10キロポストが転がっている。日立電鉄の起点は常北太田でも鮎川でもなく、常磐線との接続駅の大甕(おおみか)駅となっていて、小沢は大甕からちょうど10キロの地点にあった(常北太田からは1.5キロ)。

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 常陸岡田駅跡(常北太田から2.5キロ)。相対式ホーム。太田寄りに岡田変電所の建物が残っている。

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 川中子駅跡(常北太田から4.3キロ)。そばに川中子温泉がある。このあたりは田圃や畑の中に線路跡が続いていて、雑草が生い茂っているところもあるが、きれいに除草されているところもある。

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 大橋跨道橋跡。この区間は橋脚を連ねた陸橋になっていた。下を通る道路は旧国道6号線(陸前浜街道)のため踏切にはできなかったとのこと。

 橋脚は写真の1基を残して、あとはすべて撤去済み。最後の1基も足場が組まれ、シートに覆われていた。前後の築堤はまだ残っていた。現地に立つと、ほとんど民家の庭先を電車が走っていたのが分かる。

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 大橋駅跡(常北太田から6.2キロ)。駅の脇に農業倉庫。駅前には人の姿を見ると吠える犬がいる。電車が来なくなって、犬も寂しかろう。

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 茂宮駅跡(常北太田から7.2キロ)。緩やかにカーヴするホーム。ここまで田園地帯を抜けてきた線路はここから丘陵の裾を行く。

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 南高野駅跡(常北太田から8.4キロ)。

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 久慈浜駅跡(常北太田から9.4キロ)

 日立電鉄常磐線の下をくぐって、そのまま短いトンネルを抜け、まもなく久慈浜駅に着く。広い構内は先週まで線路が残っていたそうだが、すべて撤去作業が終わっていた。

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 日立電鉄の線路跡は次の大甕駅を経て鮎川まで続くわけだが、すでに線路の撤去はほぼ完了しているそうで、車両も残っていないようだ。

(おまけ)2004年12月19日の鮎川駅

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 車内の様子。ガラガラ。

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 さて、日立電鉄廃線探訪はここまでにして、Kさんに勝田駅まで送っていただいた。その途中でも2ヵ所のポイントを案内していただく。

 ひとつは村松軌道の廃線跡。村松軌道は現在の常磐線・東海駅(当時の石神)と阿漕とを結んでいた4キロ足らずの鉄道。村松虚空蔵尊(日本三大虚空蔵尊の1つ。初厄を迎える13歳で厄除けにお参りする習慣が茨城県一円にあるといい、Kさんもお参りに訪れたそうだ)への参拝客を運ぶ目的で大正15年に開業したものの、乗合自動車に客を奪われ、昭和8年に廃止になった短命の鉄道。石神から常磐線の西側を北上し、常磐線の下をくぐって東(海側)へ向かう、そのガード下の線路跡が今は道路になっている。そのガードのところに連れて行っていただいた。

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 写真の道が村松軌道の跡で、ガード上は常磐線。また、常磐線のガードには大正時代銘板が残っていた。こんな貴重な(そしてマイナーな)ポイントを知っているのはまさに地元の方ならでは、でしょう。



 最後に案内していただいたのが、勝田駅から隣接する日立水戸工場への専用線。現在は写真のように踏切部分で線路が封鎖され(ただし、柵は移動可能)、使用されていないようだが、1993年まで通勤列車も走っていたそうだ。晩年はバッテリー機関車が元東急6000系2両を引っ張っていたという。

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 勝田駅構内の西端にホームが草に埋もれて残っていた。

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 とにかく、これだけの廃線めぐりができたのはKさんのご好意のおかげで、ひたすら感謝、感謝です。本当にありがとうございました。

 Kさんは茨城県鉄道に関するサイトを運営されていて、県内の鉄道路線(JR、私鉄廃線)を完全にカバーされています。貴重な情報も多数あるので、興味がある方はぜひ訪ねてみてください。

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