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Peepooblue’s Notebook

2016-02-11

[][]久留里線の旅その1 22:57

 きょうは建国記念の日独立記念日も含めて国家の創建を祝う記念日は多くの国にあるのだろうけれど、その由来が日本ほど曖昧な国は珍しいのではないだろうか。なぜ2月11日が建国記念の日なのか、西暦何年のこの日に日本は建国されたというのか、その時一体何があったのか、こういうことをちゃんと説明できる日本人もさほど多くないような気がするけれど、どうなんでしょう。安倍首相は何も見ずともスラスラと説明できるのだろうね。

 一応、僕も説明できるが、面倒なので説明しない。まぁ、神話に基づいたものだし、12月25日がキリストの誕生日だというのと同じぐらい根拠は薄弱である。

 ということで、久しぶりにどこかのローカル線に乗りたいな、と思い、JRの総武線内房線を乗り継いで、木更津までやってきた。めあては木更津から房総半島の内陸部へ分け入り、上総亀山(君津市)に通じる久留里線。「くるり」という名前がかわいい、32.2キロの非電化ローカル線だ。過去には2004年の夏に一度乗ったことがある。

 11時12分発に乗車。1両だけのディーゼルカーで、キハE130という新しい車両。

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 この列車は終点までは行かず、途中の久留里止まり。時刻表をみると、終点の上総亀山まで行くのは、朝晩はそれなりに本数があるが、日中は非常に少ない。木更津7時24分発の次は13時01分発、その次は15時48分発である。もう少し列車があるかと思っていたのだけれど。

 とにかく、11時12分に久留里行きは北へ向かって動き出し、右にカーブして内陸へ向かう。次の駅は祇園。こんなところにこんな名前の駅がある。1995年の夏に自転車房総半島を旅行した時にこの駅は通った。というか、久留里線の沿線はほぼ全区間自転車で走ったことがあるのだ。

 冬枯れの田園の中に住宅が点在する平凡といえば平凡な風景の中を列車は走る。

 上総清川、東清川と停まり、次の横田で木更津行きと行き違い。その次の東横田も95年のツーリングで休憩した駅として覚えている。あの時はまだ健在だった川崎木更津間のフェリーで房総半島に上陸し、半島を横断して外房の御宿まで走ったのだった。猛烈に暑くて、バテバテのヘロヘロになったものだ。

 東横田から久留里線は南寄りに針路を変え、相変わらず小櫃川沿いの平坦な風景の中を行く。

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馬来田駅に停車中)

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 馬来田(まくた)、下郡、小櫃(おびつ)、俵田と停まって、久留里には11時57分に到着。

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 久留里は城下町であると同時に町の各所に自噴井戸が点在する名水の里として有名な土地だ。上総亀山行きは13時50分発なので、2時間近くある。その間に町を見物してこよう。

 駅のすぐそばにこんこんと水が湧く井戸があり、大量のペットボトルやポリタンクをもって水を汲みに来ている人たちがいた。

 町を歩いていると、あちこちで井戸がある。

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 この土地で明治時代に始まった上総掘りという井戸掘り技術の成果で、この上総掘りの技術は現在では東南アジアアフリカなどの発展途上国でも活用されている。

 市街を南に抜けると、久留里城への入口があった。このあたりはΩを連ねたように激しく曲がりくねりながら深い谷を刻んで流れる小櫃川が天然の濠となった要害の地で、久留里城はそうした土地を見下ろす山の上にある。

 急坂の自動車道を登り、途中からは城山探鳥路という山道に入る。ただ、野鳥シジュウカラがさえずっていたぐらい。フクロウなども生息しているらしいけれど。

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 久留里城は室町時代の1456年に上総武田氏の武田信長(こんな名前の武将がいたんですね)によって築城され、その子孫(真里谷氏)の居館となり、戦国期には「南総里見八犬伝」にも出てくる里見氏が城主となり、小田原北条氏と攻防を繰り広げた(一度、北条氏に奪われ、その後、里見氏が奪還)。江戸時代になると、久留里藩の藩庁として、大須賀氏、土屋氏が相次いで藩主となったが、1679年に土屋氏が改易となって久留里城も一度は廃されてしまう。しかし、1742年に黒田氏が藩主となって久留里城は再興され、明治維新まで存続し、明治5年に廃城となっている。

 城山からの眺め。

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 標高128メートルの二の丸にある資料館をみて、さらに標高145メートルの本丸へ。

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上総掘りの井戸掘り櫓)

 途中には「男井戸」(おいど)・「女井戸」(めいど)と呼ばれる2つの井戸があった。伝説によると奈良時代に僧・良弁が掘り、「金剛水」「胎蔵水」と言ったそうだが、戦国時代には城主・里見氏が北条氏に攻められ、籠城戦となって、最後は北条軍を撃退した激戦で、この井戸は籠城を支えた貴重な水源となったという。

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 ちょうど今、吉川英治の『私本太平記』を読んでいるのだが(4回目)、後醍醐天皇鎌倉幕府討伐の呼びかけに応じて挙兵した楠木正成が籠城し、鎌倉方の大軍に囲まれながらも耐え抜いた千早城もこんな感じだったのかな、などと考える。恐らく、久留里城を築くにあたっても、楠木正成千早城を念頭において城塞を構築したのではないだろうか。

 本丸には復元天守閣があった。もちろん、戦国時代にはこんな天守閣は存在しなかった。

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 じっくり見て歩くと、かなり面白そうだが、時間がないので、ざっと見ただけで城山を下る。

 こんな道もあったが、今回はパス。どれぐらいの確率で出るのだろうか、シカとイノシシ

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 上空を頻繁に飛行機が通る。途中でカケスの声を聞いた。

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 小櫃川の旧河道の深い谷。

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 久留里の商店街。駅入り口。

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 久留里駅舎。

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 13時50分発の上総亀山行きがやってきた。今度は2両編成。

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(つづく)