甲府盆地の端っこサイクリング(その1)

 体育の日。朝から自転車をかついで京王線に乗り、高尾で中央本線の松本行きに乗り継ぐ。
 大月に着いたところで富士急行に乗り換えて富士山麓を走ろうか、あるいはスバルラインで5合目まで行こうか、などと迷ったが、そのまま松本行きに乗り続ける。となると、塩山で降りて、また奥多摩へ抜ける柳沢峠を越えようか、ということになるのだが、初狩、笹子とスイッチバック時代の設備が残る駅を過ぎ、笹子トンネルを抜けたところで急に思い立って甲斐大和駅で下車。中央本線はこの先、山間部を抜けて、勝沼ぶどう郷、塩山・・・と甲府盆地へ向かってどんどん下っていくので、塩山に行くにしても、ここで降りれば、ずっと下り坂のはず、と甘いことを考えたわけだが、それが間違いのもとだった。
 甲斐大和駅で登山客に交じって下車。1993年までは初鹿野(はじかの)という良い名前の駅だった。ここは昔の初鹿野村で、その後の合併で大和村となったので、村名に合わせて改称されたわけだが、大和村は今は平成の大合併甲州市塩山市勝沼町+大和村)の一部になっている。

 甲斐大和駅付近の標高は640メートルほどだそうだ。

 駅前でお巡りさんが「山は冷えることがあるので」と万が一の遭難に備えて登山者にアルミ温熱シートを配っていて、僕も一枚もらった。ただ、今日は暑くなるらしい。
 とりあえず、自転車を組み立て、駅のすぐ下を通っている国道20号線を走りだす。すぐにセブンイレブンがあったので、この先の山上りに備えて飲み物やおにぎりなどを買う。
 国道はここからずっと下り坂。実に気持ちがいい。その分、あとでまた上るわけだが。シカの図柄の「動物注意」の標識が頻繁に現れる。

 大型車を含め交通量が多いので注意しながらも快調に下っていくと、「大日影トンネル」の案内看板に心惹かれて自転車を停める。大日影トンネルは中央本線甲斐大和(初鹿野)〜勝沼ぶどう郷勝沼)間にあった下り線のトンネルで、新トンネルの完成で廃線となった後、遊歩道として開放されているのだ。それでちょっと立ち寄ってみようかと思ったのだが、漏水などが発生し、現在、緊急閉鎖となっていると掲示が出ていた。
 そこに近藤勇銅像がある。幕末維新の戊辰戦争で、慶応4年3月6日(1868年3月29日)に板垣退助率いる新政府軍と近藤勇率いる旧幕府軍甲州をめぐって戦った「柏尾坂の戦い」の現場だそうだ。戦闘は洋式兵器を駆使した新政府軍の圧勝で終わったという。
 そばに馬頭観音が立っていた。石塔の三面に馬頭観音像を刻んだ立派なものだ。明治36(1903)年に中央本線が開通するまで甲州街道を通って江戸に物資を運ぶ上で重要な存在だった馬の供養のために難所だった柏尾坂に天保7(1836)年に建立されたものだそうだ。

 古戦場をあとにさらに下って、甲州街道から勝沼ぶどう郷駅方面へ左折。すぐに下り過ぎたことが分かった。道路は急坂をどんどん下ってきたが、坂に弱い鉄道は山の斜面をまっすぐ下るなんてことはしないのだ。だから、笹子峠を越えた甲府盆地の入口にあたる甲斐大和から盆地を囲む山並みの中腹を大きく迂回しつつ距離を稼いで、少しずつ下るわけだ。この区間は列車で何度も通っているので、そんなことは分かっているはずだが、下り坂が気持ちよすぎて、ついビュンビュン下ってしまった。
 そこから勝沼ぶどう郷駅までは激坂の連続で、すでにヘロヘロ状態。駅の標高は490メートルほどだそうだ。
 そして、なによりも道の両側はぶどう畑ばかりになった。今がまさにシーズンで、ぶどう狩りのできる農園や直売所もあちこちにある。僕は勝沼駅が勝沼ぶどう郷駅に改名した時、あまり良い印象を持たなかったが、本当にもう「ぶどう郷」としか言い様がないくらい、ぶどう畑だらけだ。むしろ勝沼駅というには勝沼中心市街から遠すぎて、あまりに不便な場所で、そちらのほうが不適切なぐらいだ。でも、やっぱり勝沼駅のほうが好みではある。大月から初狩、笹子、初鹿野、勝沼、塩山・・・と続く駅名の響きがいかにもこのあたりの風土や風景に似合っているように思っていたので。

 モズの高鳴きなど聞きながら、なんとか勝沼ぶどう郷駅前にたどり着いた。市街地から離れているので、客待ちのタクシーが多い。ちょっと休憩。眼下に甲府盆地が広がり、絶景の地にある駅だ。そして、盆地を囲む傾斜地がほとんどすべてぶどう畑なのだった。まえに夜の中央本線で列車が塩山から勝沼へと徐々に高度を上げるにつれて、車窓に甲府盆地の夜景が星の海のように広がった記憶がある。
 駅前の地図で、標高400メートルほどの塩山までなるべく等高線に沿うように行けないものかとルートを検討する。当初は甲斐大和勝沼、塩山と線路に沿うように下っていけるのでは、と思っていたのだが、なかなか適当なルートがない。
 とりあえず走りだしたら、後輪から違和感。あ、パンクした。原因はよくわからないが、バルブの先端部分が折れ曲がっている。とりあえずチューブを交換。しかし、いきなり出ばなを挫かれた感じだ。と同時に、甲府盆地をのんびりサイクリングしながら甲府あたりまで走るのも面白いかな、などと考える。


 向こうに「ぶどうの丘」というのがある。行ってみようか。

 なんだか気持ちがのんびりしてしまったまま走り出し、中央本線のガードをくぐり、とりあえず塩山方面へ向かう。
 ぶどう畑に交じって柿の畑もあった。スズムシが鳴いている。

 等高線に沿って道があればいいのだが、そんなことはなく、いったん下って、また急坂を上って、「ぶどうの丘」にやってきた。ぶどう狩り農園のほか、ワインショップやレストラン、ホテル、美術館、温泉施設などがあるようだが、とりあえず眺めがいい。

 小学5年生の時に家族旅行で特急「あずさ」に乗ってここを通った時、車窓風景を眺めながら「あ、扇状地だ」などと目を見張ったことを思い出す。それ以来、僕にとって勝沼といえば扇状地なのだ。

 モズはあちこちで声を聞く。

 色づいた木々もちらほら。

 ぶどうの丘をあとに塩山方面へ行こうと思ったが、道がよく分からないまま走って、どんどん盆地の底へと下ってしまい、山梨市駅に着いた。塩山から二つ目の駅で、標高は327メートルほどとのこと。

 駅前によくできたチドリの像のある歌碑がある。


 古今和歌集の「しほの山さしでの磯にすむ千鳥君が御代をば八千代とぞなく」という和歌の「さしで(差出)の磯」がこの地にあるのだった。それ以来、「差出の磯」は歌枕として多くの歌に詠まれているそうだ。また、枕詞の「しほの山」は塩山の地名の由来となった「塩の山」のことだそうだ。
 ぶどうの丘から見た塩山方面。画面右側のぽつんとある小山が「塩の山」。

 笛吹川。この上流に「差出の磯」がある。

 山梨市駅前で観光案内地図を眺めていると、案内所のおばちゃんに「どこへ行くの?」と聞かれたので、「特に決まってないんですけど・・・」と答えると「フルーツ公園」に行くといいと勧められた。行ってみるか。

 つづく