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Peepooblue’s Notebook

2018-03-30

[]越谷オサム『房総グランオテル』 17:22

房総グランオテル

房総グランオテル

 越谷オサムの新作が出た。この人の作品はとりあえず買う。

 今回の舞台は房総半島太平洋岸にある海岸リゾート・月ヶ浦。架空の地名だが、明らかに御宿である。少なくとも、僕は御宿の風景を思い浮かべながら読んだ。そこにある房総グランオテル。Grand Hotelフランス語読みであり、立派な、あるいはオシャレなリゾートホテルを想像するが、実際は漁師町ならではの海鮮料理が売り物の民宿兼食堂である。木造から鉄筋コンクリートの二階建てに建て直した際に「漁師民宿ふじひら荘」から改名したのだった。

 本の帯に「海辺の民宿を舞台にとびっきりの奇跡が起きる最高にキュートな物語」と書かれているが、キュートどころか、物語はその民宿の客室でいきなり「私」が何者かに銃口を向けられているという緊迫したシーンから始まる。

 この「私」とは両親が営む民宿の看板娘で17歳の女子高生、藤平夏海。10月半ばのある日、彼女が学校帰りに月ヶ浦駅で降り立つところからストーリーは改めて始まる。その日、彼女の自宅である民宿には3人が宿泊の予約をしていた。それぞれにワケありの3人の2泊3日の間の出来事を描くのがこの作品であり、ストーリーは夏海と3人の客、合わせて四つの視点で語られる。

 一体、なぜ冒頭の緊迫シーンが生まれてしまうのか、夏海に銃口を向けてるのは誰なのか。

 キャッチコピーにある「とびっきりの奇跡」を予定調和の出来すぎた話と感じる人もあるかもしれないが、僕は楽しめたし、越谷オサムの作品は読んで損はない、というこれまでの印象は今回も裏切られなかった。

 とにかく、夏海が魅力的。こういうキャラクターを描かせると、越谷オサムは抜群に上手い。

2017-10-21

[]十方庵敬順『遊歴雑記』 21:47

遊歴雑記初編 (1) (東洋文庫 (499))

遊歴雑記初編 (1) (東洋文庫 (499))

遊歴雑記初編〈2〉 (東洋文庫)

遊歴雑記初編〈2〉 (東洋文庫)

 先日、村尾嘉陵の『江戸近郊道しるべ』を取り上げたが、同じく江戸時代江戸とその周辺の紀行。

 江戸・小日向(現・文京区)廓然寺(浄土真宗明治12年廃寺)の住職だった十方庵敬順(1762‐1832)が隠居後に各地を旅した先での見聞を詳細に記録したのが『遊歴雑記』と題する書物。全5編から成り、各編とも上・中・下の3冊ずつで合計15冊が存在するが、現在出版されているのは初編の3冊のみ。それが『遊歴雑記初編1』(上・中を収録)と『遊歴雑記初編2』(下と解説)の2巻で、平凡社東洋文庫から刊行されている。現代語訳ではなく原文のみ(朝倉治彦校訂)。

 僕は世田谷区に関する地誌や紀行を集めた『世田谷地誌集』(世田谷区教育委員会)を図書館で借りて読んで、初めてその存在を知ったのだが、非常に面白い。

 十方庵は村尾嘉陵よりも遠くまで足を延ばし、初編では江戸市中から鎌倉江の島川越八王子、市川あたりまで取り上げられているが、残念ながら江戸からの道中についての記述は少ない。そのかわり現地での見聞については詳細に書かれており、当時の人が実際にその土地に出かけてみないと分からないような貴重な話がたくさん出てきて、それが面白い。ほかの編では三河尾張まで出かけているらしい。

 僕にとって身近な場所ではたとえば世田谷豪徳寺。十方庵は文化11(1814)年に訪れていて、次のように書いている。

「表門は南のせたがやの宿(世田谷新宿=現ボロ市通り)の北裏手にあり、境内爪先あがりに自然に高く、且広大に寂々寥々たり、栗鼠・ましら(=猿)・諸鳥の声のみありて清閑の伽藍といふべし」

 これで200年前には豪徳寺にリスやサルがいたらしいということが分かる。江戸の住人である十方庵にとって、当時の世田谷は辺鄙で不便なド田舎であり、俗世間を離れて花鳥風月を愛でながら隠遁生活を送るのにふさわしい場所と映ったようだ。

 また下北沢の森巌寺の境内にある淡島堂はどんな病にも効果があるという「淡島様の灸」が有名で、お灸が施される毎月3と8の日には江戸市中からも大勢がつめかけたという。ここまでは僕も知っていたが、どんな様子か見物に訪れた十方庵によれば、とにかく大変な人出だったようで、番号札を受け取った人たちが順番を待つための茶屋が門前に3,4軒あり、飲食だけでなく遠方からの客が宿泊もできるようになっていたらしい。そのあたりの様子が生き生きと描かれていて、貴重な証言となっている。

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(森巌寺)

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淡島堂

 当時の下北沢村も十方庵には辺鄙な土地だが、そこにこれだけの人が集まるということは「寺は勿論、一村の潤ひなるべし」と書いている。

 ちなみに彼の知人9人も淡島様に通って灸の治療を受けたそうだが、二人は病気が全快したものの、「七人は悉くいぼひて起居動静もなりかね、久しく床に臥、服薬して漸くに本服しける」とのこと。

 お灸の効果について謗る人もあれば貴ぶ人もいて「いろいろの人ごころも又面白し」と結んでいる。

 

2017-10-14

[]村尾嘉陵『江戸近郊道しるべ』 21:22

 村尾正靖(号は嘉陵)は宝暦10(1760)年に生まれ、天保12(1841)年5月29日に満81歳で亡くなった江戸の侍。徳川御三卿の一つ、清水家に仕えた幕臣である。その村尾嘉陵が江戸近郊各地に徒歩で出かけた旅の紀行をまとめたのが『江戸近郊道しるべ』である。本書はその現代語訳。

 収録されているのは文化4(1807)年から天保5(1834)年にかけての旅。嘉陵、47歳から74歳までである。

 もう若くはない嘉陵だが、歩く、歩く、とにかく歩く。

 江戸城下から西は府中や高幡不動、北は大宮の先の桶川、東は松戸・柏、南は川崎あたりまで足を延ばしている。しかも、ほとんど日帰り。目的地は神社仏閣が多いが、誰かから景色がよいと聞いた場所にも実際に出かけている。

 そして、途中のルートも克明に記録しているので、現代の地図でも彼がどこを歩いたのか、ある程度、辿ることができるというのが楽しいところでもある。

 現代人は出かけた先でちょっと気になったものを気軽にカメラで撮影できる。しかし、江戸時代ではそうはいかない。嘉陵は風景をスケッチしたり、お寺の扁額や石碑、石塔などにどんな文字が書かれているかとか寺社の境内の樹木の種類や大きさなど、気になったものは何でも絵や言葉で記録し、また、歩いた道筋を地図に描いたりしている。

 そして、彼の歩く江戸郊外の風景が現代の東京からは想像もできないほど美しい。当時から大都市だった江戸の街を少し離れただけで、人家もまばらな田園地帯である。新宿や渋谷でももう田舎。そんな時代の江戸近郊散策日記。江戸時代のブラタモリみたいな本である。

 読んでいて、東京近郊の200年前のリアルな光景が細部まで伝わってくる。もうそんな風景は失われてしまったとしても、自分も街をどんどん歩いてみたくなる。そんな本である。

 ところで、嘉陵が途中で水を飲むために持っていたという「椰子の器」というのが気になる。休憩させてもらった豆腐屋のおばちゃんが非常な関心を示して、「みんな来てごらん、これを見てごらん」と人を呼び集めたり、お酒を持ってきて、その器で飲むところを見せてくれ、などと言ったりするのだ。

 残念ながら、この現代語訳は抜粋編集で、挿絵なども割愛されている。そして、やはり嘉陵自身の書いた言葉で読みたい気持ちにもなる。というわけで、現代語訳の底本で、ほぼ完全版といえる平凡社東洋文庫版も神保町の古書店で見つけて購入してしまった。江戸時代の日本語なら大体わかるし、こちらは解説も充実している。

江戸近郊道しるべ (東洋文庫 (448))

江戸近郊道しるべ (東洋文庫 (448))

suijun-hibisukususuijun-hibisukusu 2017/10/14 23:40 時代小説や江戸エッセイなどを読んでいると、
江戸は緑の美しい田園都市だったんだなぁ、
行ってみたいなぁと考えてしまいます(笑)。

peepoobluepeepooblue 2017/10/15 08:25 suijun-hibisukusuさん
まさに江戸は田園都市ですね。
本当に行ってみたくなります。
どこまでも歩きたくなるような道がたくさんあったのでしょうね。

2017-04-19

[][]『小説春一番・キャンディーズに恋した作曲家』 07:01

小説 春一番 ~キャンディーズに恋した作曲家~

小説 春一番 ~キャンディーズに恋した作曲家~

 キャンディーズのメインライターだった作曲家・穂口雄右氏とキャンディーズファンのライター増島正巳氏の共著になる作品『小説春一番・キャンディーズに恋した作曲家』を書店で見つけ、迷わず購入。誰かにこういう本を出してほしいとずっと願っていたような作品がついに出た。

 作品は穂口雄右氏の目から見たキャンディーズのコーラスグループとしての成長・進化の物語とキャンディーズファンの少年の日常を当時の世相も絡めて描いたストーリーが2本の柱として1978年4月4日の後楽園球場に向かって同時進行する構成になっている。

 「年下の男の子」や「春一番」「微笑がえし」などキャンディーズの主要作品を生み出した穂口氏はグループサウンズ全盛時代に「アウトキャスト」というグループのオルガン奏者として世に出て、バンド脱退後はスタジオミュージシャンとなり、さらに作曲家に転身した人物である。たまたまテレビで目にしたまだレコードデビュー前のキャンディーズの姿と声に心を惹かれ、彼女たちの担当スタッフが偶然にもかつてのバンド仲間(松崎澄夫氏)だったことからヴォーカルレッスンを任されるようになる。このあたりはすでに知られた事実だが、実際にどのようなレッスンが行われていたのか、現場の様子が当事者によってイキイキと描かれている。まだ10代のラン・スー・ミキが難しいレッスンに必死でついていく姿が目に浮かぶようだ。キャンディーズのコーラスを特徴づけるランのファルセットが発見されたのもこのレッスンの時のことである。その時、その場所にいた人にしか知ることのできない内容が明らかになっており、これこそが本書の真価といえる。

 それはキャンディーズ・ブレイクのきっかけとなった5枚目のシングル「年下の男の子」のレコーディング裏話についても同じ。新進気鋭のドラマー村上“ポンタ”秀一やベーシスト岡沢章を起用した先鋭的すぎる演奏が渡辺プロダクション社長・渡辺晋氏に受け入れられず、やむを得ずミュージシャンを替えて再録音された話やその後の深夜に及んだ歌入れで一度はOKが出てキャンディーズが帰宅した後、ミックス作業の最中にランの歌のある一か所、穂口氏には気になる部分があり、結局、未明にランがスタジオに呼び戻され、歌いなおしたエピソードなども、そこでどんな会話が行われたのか、ランの歌唱のどの部分が問題になったのか、など高い再現度で描写されている。この時のオケの録音でリズムギターの差し替えが行われていたというのは僕は今回初めて知った。

 そして、最後のシングル、「微笑がえし」のレコーディング。キャンディーズがスタジオの譜面台に置かれた譜面を初見で歌ったことはすでに穂口氏によって明かされているが、そのあたりの描写もファンにとっては感慨深いものがあるし、単なるアイドルグループとしてキャンディーズを認識している人たちにとっては驚きの一コマということになるのかもしれない。

「微笑がえし」は「リハーサルなしの一発録り」だったのだ。そして、それが当時の彼女たちにとっては普通のことになっていたのは彼女たちの「了解です」のひとことでわかる。本書を読み終えて僕が一番心に残ったのがこの「了解です」だった。

 タイトルにある「キャンディーズに恋した作曲家」。穂口雄右氏が恋をしたのはキャンディーズのルックスや人柄ももちろんだけれど、なによりもその音楽の才能、声の魅力だったことは明らかだろう。

 僕がキャンディーズをずっと聴き続けているのも彼女たちの音楽的魅力が一番の理由だ。そして、当時、中学生だった僕が彼女たちの音楽的な魅力を強く印象づけられた楽曲が「グッドバイ・タイムス」。この曲について、こんな風に書かれている。

「そもそも穂口はこの曲を作るにあたって、プロとして成長したキャンディーズの実力を未来に残したいと考えた。みんなが『もったいない』と惜しむキャンディーズの解散。それを、もっともっと惜しいものに、いや、あとに生まれてくる人たちまでが、くやしがるほどのものにしてやろう・・・」

 僕はまさに穂口氏の目論見通りにキャンディーズの音楽にハマり、そして抜け出せなくなったのだった。

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2016-12-07

[]越谷オサム『魔法使いと副店長』 19:53

 越谷オサムの(個人的には待望の)新作が出た。

魔法使いと副店長 (文芸書)

魔法使いと副店長 (文芸書)

 藤沢太郎は41歳厄年、大手スーパーマーケットチェーン「ホリデー」に勤務するサラリーマン。埼玉県久喜市栗橋にマイホームを建て、妻と小学1年生の息子がいるが、都心にある本社から転勤して、神奈川県藤沢市の「ホリデー」藤沢店の副店長となり、単身赴任中。順調に行けば、半年後には本社に戻れるはずだが、いまは藤沢市在住の藤沢太郎という「役所の申請書の見本」のようなことになっている。

 満月の夜、小田急江ノ島線の沿線にある親友の家で飲み、家庭の温かさに触れて、ホームシックを感じつつ、江ノ電の柳小路駅そばにあるアパートの自宅に帰ると、そこから彼の生活は一変する。

ベランダで満月を眺めながら妻と電話で話していると、月の中に小さな黒点のようなものが現れ、みるみるうちに大きくなり、ものすごい勢いでこちらに迫ってきたのだ。人だ! 女の子だ!! 箒にまたがっている!!!

 サッシ窓を突き破って、太郎の部屋に突入してきたのはデコレーションケーキのように派手な色づかいの服を着た少女。ガラスで額を切り、顔が鮮血で真っ赤に染まっているという凄惨な姿で登場したのは外見も中身も幼く見えるが、14歳のアリスと名乗る自称「見習い魔法使い」。一緒にいたのはモモンガともリスともつかない謎の小動物。アリスから「まるるん」と呼ばれるこの手乗りサイズの齧歯類は中年男の声で日本語を話し、魔法も使える。彼はアリスを補佐する相棒だという。そして、アリスは魔法学校で魔法を学んでいて、人間界のしきたりや習俗や行儀作法を身につけるために、いわば留学生としてやってきたのだった。そのホームステイ先として、子煩悩な太郎のアパートが選ばれてしまったわけだ。

 とにかく、太郎の抵抗むなしくアリスとまるるんは次の満月までという約束で、太郎のアパートに居候することになる。他人である少女を自宅に同居させているなどという事実が家族や会社にバレれば大変なことになるわけだが、さてどうなる。

 ここまでだと荒唐無稽なファンタジーだが、中盤以降、アリスのような魔法使いとはどんな存在なのか、ということが明らかになるにつれて、読み手の気持ちはガラッと変わってしまう。切ないような、やるせないような…。

 一体、この物語にはどんな結末が待っているのだろう。いろいろと想像しながら、読み進めていく。そして、最後にはこの作品を読んでよかった、という気持ちになった。

 この先、江ノ島に出かけたら、島に通じる橋の途中で足を止めて、しばし空を見上げてみることになりそうだ。

 近々、藤沢に住む妹に会う予定なので、貸してやるかな。

 


 

 

 

suijun-hibisukususuijun-hibisukusu 2016/12/07 23:03 「陽だまりの彼女」も中盤まではバカップルの恋愛話で、
途中で投げだそうかと思いましたが、
(オチは途中で読めていました)
ラストがやっぱり切なくてグッと来ました。
本作も読むのが楽しみです。

peepoobluepeepooblue 2016/12/08 22:00 suijun-hibisukusuさん
越谷オサムの作品はずいぶん読みましたが、今作もなかなか良かったです。
荒唐無稽な設定でも巧みに読者を引き込んで、ちゃんとした着地点に導く技があるように思います。
江ノ島など知っている場所が出てくるので、光景が目に浮かんできますし…。
「陽だまりの彼女」のオチ、途中で読めていましたか。
僕は最後の最後で、えっ、こういうの、ありなの?と思ってしまいました。初めて読んだ越谷作品があれだったもので。